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つれづれなるざれごと



『木鶏』荘子(ソウジ)
                                       もくけい

   紀省子(キセイジ)、王ノ為ニ闘鶏ヲ養ウ。 十日ニシテ而シテ問ウ。「鶏、巳(ヨ) キカ」ト。
 
  曰く「未ダシ。方(マサ) ニ虚驕(キョキョウ「キョウという字は元本では違いますが、PCだと漢字が出ない」)ニシテ気ヲ
  
  恃(タノ)ム」ト。
 
  十日ニシテ又問ウ。曰く「未ダシ、猶、疾視(シッシ) シテ而シテ気ヲ盛ニス」ト。
  
  十日ニシテ又問ウ。曰く「幾(チカ) シ。鶏、鳴クモノアリトイエドモ、己(スデ) ニ変ズルコトナシ。之ヲ望ムニ木鶏ニ似タリ。
 
  其ノ徳全シ。異鶏、敢テ応ズルモノ無ク、反ッテ去ラム」ト。


    [昔、紀省子という闘鶏を飼育する名人が王のために一羽のすぐれた鶏を育てていた。
     
     十日ばかして「もう、ぼつぼつどうかね」と催促した。すると、紀省子は「まだ、いけません。ちょうど、空元気の最中です」と
 
     断った。
     
     また十日ばかして王がせつくと、「まだ、相手を見ると興奮するからいけません」
    
     さらに十日、待ちあぐねた王が「もういいだろう」というと「まだだめです、相手にたいして、何こやつ!というように
 
     嵩にかかるところがあります」
     
     それから、十日すっかりしびれをきらした王に紀省子がやっとOKを出した。「ぼつぼつ宜しいでしょう。

     もうどんな相手が挑戦してきても、いっこうに平気でございます。多分、いかなる鶏が現れてきても、
 
     応戦せずに皆、退散することでしょう」



  木鶏4つの教訓(伊藤肇)

    1.「競わず」 むやみと余計な競争心をかりたてないこと。
    2.「てらわず」 自分を自分以上に見せない事。
    3.「瞳を動かさず」 落ち着かぬ態度で、あたりをきょろきょろ見回さぬこと。
    4.「静かなること木鶏の如し」 木彫りの鶏の如く、静かに自己を見つめること。

     『望之似木鶏』(之ヲ望ムニ木鶏ノ似シ)



  伊藤肇が処女出版である「わが決断と勇気」を出した時、元日立金属相談役の中村隆一氏が「何かお祝いをしてあげよう」
  といってくれた。
  そのとき伊藤肇は「木鶏」の二文字の揮毫(きごう)をお願いした、中村氏は「木鶏・・・・・うーん」と、
  いかにも感に堪えたような顔をしたという。
  
  伊藤肇は、せいぜい一ヶ月も経ったらきっと「木鶏」が貰えるだろうと思っていたが、春がすぎ、夏がきて、秋になり、やがて
  雪がふりだしても、なんの音沙汰がない。<あんなに嬉しがらせてといて、ひどい親爺だ>と何となく諦めてしまった。
  そんな矢先、日立金属の秘書課から電話があった、飛んでいき応接間の扉を開けると、見事な扁額に表装された「木鶏」が
  おいてあった。
  
  中村氏「この木鶏ね、かれこれ二百枚ぐらい書いたかなあ、ある晩『これなら』という字が書けたので、それを君にさしあげようと
  思って、翌朝じっくり見直したら、どうも気に入らない。そこでまた、書き直した。さすがに朝で清新の気が漲(みなぎ)っていたせいか、
  今度は、本当に気に入った字が生まれた。早速、表装にだし、できあがったのを、この部屋に運んで、かれこれ十日ばかり、
  じっと見つづけてきたが、あきがこない。
  よかろう、というので君を呼ぶきになったのだ」

  たった二文字に、これほどの思いと精進とがこめられているのだ。



 まだ続く、製作中
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