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つれづれなるざれごと
『六然』明末 崔後渠(サイコウキョ)
      りくぜん

      自ヲ処スルコト超然(ちょうぜん)
  人ニ処スルコト藹然(あいぜん)
  有事斬然(ざんぜん)
  無事澄然(ちょうぜん)
  得意澹然(たんぜん)
  失意泰然(たいぜん)


  『自処超然(自ら処するに超然)』

      超然とは「一段と高い所から見下ろす態度」で自分自身をとりあつかうには、いっこうにものにとらわれ
     ず、自分をつき離してみること。
     人間自分のことになると、直接利害を受けるからなかなか「超然」とはしてはおれない。
     
     (『吾ガ心、秤(ショウ)ノ如シ。人ノ為ニ低昂(コウ)ヲ作ル能(アタ)ワズ』と諸葛孔明が言い切れたのも
      自分自身のことについて一切とらわれず脱けきったからこそである)


  『人処藹然(人に処するに藹然)』

    他人に対しては藹然つまり、なごやかな態度で接しなければならない。

     『春風以テ人ニ接シ、秋霜以テ自ラヲ粛(つつ)シム』 −言志四録


 『有事斬然』(ユウジザンゼン)


   「斬」は「きる」と同時に「新しい」という意味がある。一朝事あるときには、旧来の陋習(ろうしゅう)を破って
    ズバリと処理してのける勇断がほしい。事が収まった後は「無事澄然」して、雑念を去り楽しむべし


 『無事澄然』(ブジチョウゼン)

      事がが収まり無事の時には「澄然」として雑念を去り清閑を楽しむべし。


 『得意澹然』(トクイタンゼン)


     」は淡と同意語である。得意の時はともするとうきうきして浮薄(ふはく)になりがちだからつとめて淡々たるした
    態度を持するようにする。 
     
      「名ヲ成スハ毎(つね)窮苦ノ日ニ至リ、事ニ敗ルルハ多ク得意ノ時ニ因ル」 -菜根譚(サイコンタン)

 『失意泰然』


     失意のときも、ゆったりと落ち着いて取り乱したりしない。やせ我慢でもいいから、ゆったりと落ち着いていること
    である。


   人生は晴れの日ばかりとは限らない、といって雨の日ばかりでもない「焔の時」と「灰の時」とがある。
   「焔の時」とはなにをやっても上手く行く時であり、こうゆう時は、少々、無理をしてもすべて成功する。
   だが、「灰の時」とは何をやっても上手く行かぬ時であり、もし、「灰の時」に入ったと判断したら、
   何もやらずに沈潜し、ひたすら、自己を磨くことである。


  「まことの人は、彼の義務が要請する時と場合においてのみ、世間の舞台にあらわれなければならねが、
  その他では一個の隠者として、彼の家族の中に僅かな人とともに、また、彼の書斎の間に、精神の風土
  に生活しなければならね」

  しかし、何もやってはいけない「灰の時」に何もやらないでいることは、かなりの勇気と賢明さが必要である。
  勇気と賢明さをもたぬ小心者は、必ず「灰の時」にジタバタして失敗する。




    まだ続く