生きるって事は・・・・8月1日
小学校5年になったある日、担任の先生が黒板に白墨で一本の長い線を書いた。
線の左側に「生」右側に「死」
そして、言った。「いいか、君達はおぎゃーと生まれてから、この 死 に向かって
一生懸命走っているんだ。分かるか、矢のように走って行く者も居れば、ゆっくり走って
行く者も居る。スピードは自分じゃ決められないんだ。
しかし、目標は同じだ。たどり着くまでに、何を考え、行動するか良く考えて一日一日を
大切に生きていきなさい。」
私にとって、この事は今までにないショックな、またセンセーショナルな出来事だった。
「死」・・・そうか、私もいつか体験するんだ。嫌だな、ずっと生きて居たいよ。
今、この身体は赤い血が流れ、細胞は、小さくても一個一個息づいている。
今,この瞬間は、もう戻る事は無い。
そんな事を考え始めたら、どうして良いか分からず、気が狂いそうだった。
そして,私は不眠症になった。
小学生の私が、「もしかしたら、宇宙って自分の中にも存在するのではなかろうか」
などと,言い出したものだから回りからは、変人扱いされたりした。
その頃の私にとって、「生」と「死」の問題は何処に行っても、何をやっていてもついて回った。
先生は、人生を一本の線に置き換えて、日々一刻を大切に生きるんだよ、と言う事を言いたか
ったのだろう。
私は見事に脱線してしまった訳だ。
大人になって、「生老病死」は人生についてまわる、人間にとっても、ほかの生き物にとって
も、避けられないものだと悟った。
そう考えると,いろんな宗教がはびこる理由も解るような気がする。
科学では、まだまだ証明出来ない、底知れぬ何かが確かにあるのだ。
しかしながら、あの恩師は、なんて凄い事を小学生の私達に教えてくれたのだろう。
とても厳しく、とても生徒の事を思ってくれる素晴らしい方だった。
今、あの先生のような教師が何処かに一人でもいるのだろうか・・・・
先生、鬼塚先生 私はあなたの教え子であったことを誇りに思います。
いつまでも、お元気で!