秦野技術高校編

秦野技術高校編 

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高校概要

昭和47年大学卒業して最初に勤めた学校、高度成長期の地域の工業技術者を 産学協同で養成することを目指して作られた。職業訓練校に併設され1年次は 訓練生を兼ねて全日制課程で勉強し、二年からは地域の会社に勤務夜二日登校する 定時制課程を三年、計四年の変則的学校であったため,私が着任した夏には 廃校が決定、勤めて4年、創設15年で歴史から消えた。卒業生は同窓会も開けず 大変気の毒に思う。社会で活躍している年齢になっているはずだが・・・・・・

有名人情報


特に有名人などは聞かないが、教員になっている人、警察官、会社の管理職、 自営で電気工事会社を経営している。あれは教え子ではないかと思う人と出会うが お互いに声をかけるほど記憶がさだかではないので声を出せないのが現実である。

部活動情報3


廃校が決まった学年の生徒たちは近隣の関連高校に転学した生徒もいたが 残った生徒とバスケットボールの定時制通信制大会に出たり、陸上のインターハイ に出たりした。機械科 新倉君を国立競技場につれていった思いでやバスケの 矢口、清水は今はどうしているか・・・・・

職員情報


2002/3/31 小磯先生は1年で平塚工業高校の校長になりました。

2001/3/31 小磯先生は2年で平塚西工業高校に教頭で戻りました。大谷寿一先生は武道館館長から鎌倉高校の校長になられました。

3/11に小磯さんの教頭昇任と鈴木孝事務長を囲み同窓の集いを計画しました。大変皆様喜んでいただきました。大秦野にいる板垣さんは今年退職とのことですが、遅ればせながら新年度に土田さんが音頭をとって囲む会を企画すると思います。協力よろしく。
3/30 人事異動が発表されました。元同僚の大屋康雄氏が生田の教頭から校長に昇任お祝いを計画しましょう。
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