平塚養護学校編

平塚養護学校編 



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学校概要

学齢期の肢体不自由、知的障害児への教育機関 小学部、中学部、高等部の三学部、私は高等部に三年勤務した。 夏休みは四年間特殊教育免許取得の講習を受け単位認定を受けているが 免許交付の申請はしていない。

学校の様子


障害の多様さに驚いた。肢体不自由に知的障害が重複し、障害の程度が重い子供もいれば 不登校から障害児学級に置かれ養護に来た生徒もいる。転勤した年の夏には特殊教育のありかたを 巡って神奈川県教委特殊教育課を揺るがす問題が起こり特殊教育の親の希望、教員の姿勢、 子供の扱いなど、一般の人たちにはわからない論争を体験、結果として校長が職務命令を発した事件も あった。時代は激増期から減少期に移行する時代に特殊教育の知的障害児のクラスは学級増という 不思議な現象にまきこまれた学校であった。
2004/12/11 1年ぶりに教え子の角田君と橋本隆英さんと七沢の秋場さんと忘年会をしました。角田君は働き出して8年、28歳になったようです。成長しています。感動しています。社会貢献しています。

2004/10/22 平塚養護時代の新採用の養護教諭の小島さんが9月に結婚され、家庭に入るので当時の縁の人に会いたいということで25人が集結。相手の男性は専業農家で両親と同居とか32歳の彼女が20歳近い歳の差を越えての結婚。遠くて近くは男女の仲とはよく言ったものだ。

2002/06/08 1年ぶりの体育祭に平養護から転勤してきた林さんに誘われて顔出しした。桐山さんがいたので話すと既に四年早く退職したとのこと。尾上、関谷、小華和さん元気そうだが年を取った。

2001/06/09 9年ぶりに訪れました。ちょうど体育祭の閉会式、尾上さんを先に見つけた相変わらずの若さと美貌、高岡先生、武田、福田、米波先生、解散の後校舎の周りを1周している時小華和さんに合う。「日出さん」と声をかけてくれたときは姓が出なくて「三舟さん」と内心思っていた。 養訓担当の三好さんも元気そうであるが、校舎の周りを歩いているとき10年の歳月を感じ、「肢体不自由養護だと畑ももてあまし気味なのかな」と思った。関谷さんにはあえなかったのが残念


部活動情報3


スペシャルオリンピックは知的障害者の社会参加と可能性を社会にアピールするために 実施されているが、知的障害のある中・高生の心身機能の向上を目指している。 放課後クラブと称して一時間程度知的障害児の運動欲求を発散させるのと早く帰宅させて家庭の 保護者に負担をかけるより学校で出来るだけ面倒見るという考えもある。そのような視点では 学校5日制は問題となる。

卒業生情報


2003 8/24 養護学校の同窓会


卒業後12年ぶりに会いました。丹沢湖マラソン5キロをクラッチで走った水川、結婚したさおり、茅ヶ崎市のピアカウンセラーの太一、名古屋から駆けつけた美穂、他玉ちゃん、古賀さんそれぞれみんなノーマルに生きている。先生とボランティアも含んで和やかな3時間でした。


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