2000年8月の分

2000年8月1日火曜日
朝からスタッフ会議。東チモール人公務員2人を参加させての初めての会議。途中通訳が必要になり4時間かかった。忍耐が大切。この忍耐こそが、このミッションの要。●DOC(District Operation Center)設置の寝回しで午後の大半を使う。豊富な物資力をバックにPKF ニュージーランド大隊がMap Board製作などの援助を申し出てくる。何でもイニシアティブを取ろうとしやがる。●スアイ水道局職員が、レイオフを不満にスト。今までNGO主体でやってきた水道事業。それを公共事業としてUNTAETが引き継ぎ、現地職員をUNTAET公務員制度に移行する。しかし予想される財政難から小さな政府のスローガンの下、半数ほどの人員をレイオフ。明日朝早く様子を見て和解会議を開く予定。

2000年8月2日水曜日
スト中のスアイ水道局職員7人と会談。公務員雇用をコーディネートしているネパール人Iにイニシアティブを取らして進める。こやつなかなか向上している。良い傾向。かたち上現在の雇用主であるNGO、OXFAMとの感情的なもつれがかなり絡んでいるらしい。とにかく、不満をストと言うかたちで爆発させる前に、このオフィスに相談しろ、と最後には笑いを交えて握手。やれやれ。●Kamenasa村の「長老小屋」の完成式に招かれる。車を降りると、民族衣装の長老に出迎えられる。村の真中に、立派な高床式の伝統的建築。木の切りだしに3日。運搬に3日。建設に3日かけるのが、これを建てる儀式。先祖から授かった宝物を納める村のシンボル。去年の9月にMilitiaに焼かれて以来1年。この再建は非常にシンボリックなもの。明日は、踊り歌を夜どおし行う祭りのクライマックス。楽しみ。●夜8時から、NGOのヘッドを集めてのSecurityブリーフィング。皆最初はカリカリしていたが、DOC設置のアイディアを披露すると、我が意を得たりの顔。最後は和やかに。途中、Brigadier Lewisも参加し、まず一旦は靄が晴れた模様。●その後ニュージーランド大隊基地で隊長と一対一のSecurity ブリーフィング。となりのBobonaro県ではオーストラリア隊が銃撃戦の末2人のMilitiaを射殺する。我が県のニュージーランド隊による一掃作戦は依然難攻。今日は、国境沿いで追い詰めて仕留めるまで行ったらしい。でも、西チモール領内に入ったので狙撃を止めたのこと。とにかく、オーストラリアは2人仕留めたのに、ニュージーランドは一人犠牲者を出した。これがこの隊長に重くのしかかっている。本当に憔悴していた。とにかく十分睡眠をとって欲しい、としか言えなかった。来週早々、一緒にFatumeanでTown Hall Meetingをやろうと合意。オフィスに帰ってきたのは夜10時半。

2000年8月3日木曜日


DOC設置に向けてまだ部内でもたもたしている。情けない。Security OfficerとField Administration Officerだ。自分が責任を負わないための口実づくり。典型的な官僚主義。何でも俺に責任を被せろ!と、ちょっと怒った。ひとまずまとめた。●午後は、Kamenasaの祭り。俺の来るのをじっと待っていたらしい。着くと、すぐに民族衣装に着替えるために小屋に入る。皆で寄って集って衣装を着けてくれる。王様になった気分。例の先祖からの継承物を奉納する小屋まで、女性グループが太鼓を持ち踊りながらエスコート。その輪になって一緒に踊り、最後はパームトリーの樹液の酒を飲んで帰還。感謝、感謝。

2000年8月4日金曜日
MilitaがSuai空港付近で目撃されたと言う情報が。20人ほどのTNIの制服を着た集団という。まだ未確認。それに加えて、暗くなってから3発の閃光弾が発射されたのを見たという情報も。Security Officerが日課のPKFでのブリーフィングの後飛んでくる。会議の後、Security Officerが西の空に一発の閃光弾を確認。●まだ情報を流せない。Security Officerと俺だけに止めている。●有事にはUNTAETオフィスに、国連職員全員、NGOが集合。PKF Sector Westかニュー時ランド大隊基地のどっちにに動くか静観。国連職員には、基本的に無線連絡。無応答の職員にはSecurity Officerが個別に誘導。NGOには(NGO専用無線回路はダウン)CivPolが連絡誘導をするとSuai署長に指示。●これが本当の侵入なら、Militiaも見上げたものだ。ボーダー付近の一掃作戦にPKFが出払っているところを狙ったことになる。それとも、やはりTNIの手引きか。

2000年8月5日土曜日
朝からDistrict Security Council。死亡したニュージーランド兵Private Manningのために黙祷から始める。Falintilの新しい指揮官が参加。これも度胸がすわったおっさんだ。PKFによるMilitia潜伏のブリーフィング。ゲリラにはゲリラ戦しかないんで、ヘリやAPC(中型の戦車)でやたらに探し回ったって捕まるわけがない、とキツーイ一言をFalintilの指揮官が子供を諭すように放つ。PKF、何も言えず。●その後、 District Advisory Council。Falintilの指揮官も参加。教育プログラム担当のFilipeが、UNTAETの教育政策をブリーフィング。CNRTの代表が、校舎の屋根かけ事業の遅れを指摘、これから乾期で日差しがきつくなるのにどうやって授業を行ったら良いのか、とUNTAETを批判。しかし、例のFalintil指揮官が、これも子供に諭すように。どうしてUNTAETに頼り切るのか。藁でもいいから何故自分達でやろうとしないのか、と。このおっさん、本当に好きになりそう。●午後6時から、CNRT代表2人と名物神父 Reneとで、チモール人知事選考会議。ディリから送られてきた42人の応募者(グスマオ氏個人の推薦の6人、CNRT公認、カソリック教会推薦、CDT-RDTL推薦)を10人に絞る。インドネシア統治下でかなりの役職を歴任した60歳前後のが数人いたが、落選。やはり、独立運動に関わって、学歴があり、40歳ぐらいのに集中する。●夜は、パキスタン人UNMOの壮行会のためパキスタン工作大隊に呼ばれる。TCWGで息投合していたBobonaro県のUNMO隊長、Lt.Col Raoも出席。最後は、踊りの輪に。

2000年8月6日日曜日
朝からMary Robinson(元アイルランド大統領。国連人権委員会Commissioner)の対応。俺がホストという形でスアイ空港で出迎え。即、我UNTAETオフィスへ。Brigadier General Lewis, UNMO隊長、CivPol署長を交え、報道陣に囲まれながらブリーフィング。小一時間。●その後Suai教会へ。Suai教会での感動的な演出。名物神父Reneに感謝。男共は締め出され、地元の女性たちだけでRobinson女史を囲み交流。普段何気なく振舞っているここの女性たちの過去。去年だから過去と言っても生々しい。レイプ。出産。そうして生まれたばかりの乳児を一人の女性がRobinson女史に差し出す。女史、抱き上げながらすかさず"This is the Child of Suai." しかし、絵になるオバさんだ。

2000年8月7日月曜日
夕方、Security Officeディリから無線メール。CovaLimaを避難脱出プランでPhase2。つまりPhase1を飛び越して、非常警戒体制。馬鹿な。誰がこんな情報を流したんだ。●Security Officer、Cに確認させるとNYHQからの決定らしい。たかが、20人一グループのギャングが侵入し、PKFといたちごっこをやっているだけで、大袈裟な。こんな決定に乗せられて情報をNGOに流したら、即撤退。打撃を蒙るのは地元社会。●典型的な責任逃れのHQシンドローム。明日、何とか、PKFとSecurity Office、全てのSecurity関係者が同じ言葉でしゃべるように調整しなければならない。

2000年8月8日火曜日
朝からスタッフ会議。前回から現地スタッフの参加を祝ったのに、Security、避難脱出プランのことは彼らとは話せないので、まず国際職員だけで。まったく。国連のSecurityプランには現地職員は入れないという通達。これでどうやってTimorizationを実施すればいいのか。現地スタッフには、国際職員の給料のことを話すと嘘をつかなければならなかった。いやだ。●夜は、俺ChairのSecurity Management Team会議。UNMO隊長、CivPol署長等参加。これは、Securityプランの一環。●CivPolスアイ署長が報告。Becoで、二人の女性の口論がきっかけで、またCNRTとRDTLのシンパが衝突。怪我人。RDTLのリーダーの家が焼かれ、CNRTのシンパ2人が逮捕。明日から再度調停作業の開始。やれやれ。

2000年8月9日水曜日
朝9時からTCWG。ヘリでコバリマ側の西チモールのJP−Delta。Laktotos。TNIのベースにUNMOのBLT(Border Liaison Team)が常駐している。出席者は常連。内容は、Militiaの侵入のことだけ。TNIの立場は理解できる。でも、Militiaを容赦無く殺してくれ、はないだろう。●午後4時から、昨日のBecoの件で、CNRTの県のトップリーダーと会議。CivPol署長、Becoの村長(Soco Leader)も出席。CNRT県トップ。とにかくStubbornな男だ。RDTLが政党をかたるからいけない。政党の旗を下ろさない限り直接話すことはない。これ一辺倒。でも、こやつを引き入れない限りBecoのCNRTの不穏分子はコントロールできない。●とにかく、PKFの出動を招いたのは、知事の俺にとっても、CNRTのリーダーにとっても恥だ。PKFの占拠をLiftさせることを目的に、俺と一緒に和解作業に参加してくれと迫る。なんとか同意を引き出した。明日はまず、Beco村長に命じてCNRTの不穏分子を集めた小規模集会を開くことに何とか同意させた。明日も忙しくなりそう。

2000年8月10日木曜日
朝9時にヘリで西部国境の町Blulik Latanへ。久々の来訪。CNRTのリーダー達、村のヘッドと小規模Town Hallミーティング。パキスタン人District Field Officerが引き起こしたもめごとを処理。こやつ、ここで、払えもしないことを言いふらし、村人に労働奉仕させてシカトした虚言症のある人物。契約更新をキャンセルした。●夜6時から、昨日のRDTLとCNRTの問題の調停会議をBecoで開くはずだったが、行く途中で緊急無線連絡。30人ほどのMilitiaとPKFが、ちょうどSuaiとBecoの間の山間部で戦闘。立ち入り禁止。よって、取りやめ。事務所に帰って、CivPolに現状の報告を命じる。埒があかず、PKF SectorWestへ。Brigadierは休暇で不在のためその代理のChief of Staff, Lt.Col Hatchingと作戦司令室で面会。7時の時点で、PKFネパール隊兵士4人が戦闘中重症を負い、3人がMissing In Action。大変緊迫している。Suaiからほんの数キロのところだ。●即座に、明日に開く予定のノーベル平和賞受賞者Ramos Horta来訪の中止要請をUNTAET HQに打診する。その後、俺ChairのSecurity Management Team会議をCivPol、UNMO、UNHCR、NGO代表と開催。Security Plan Phase2を保持。全員警戒体制を保持。戦闘に直接関わっているPKF ニュー時ランド大隊からの情報は取ることは考えず、SectorWestを情報源にすることを指示。UNMOの一人を繋ぎに任命。UNMOベースは24時間体制。

2000年8月11日金曜日
PKFネパール隊兵士一人の死亡が確認。これで本県の戦闘での死亡兵士2人。まだ一人もMilitiaをとらえていない。●朝8時からスタッフ会議。前日からの治安情報経過報告。ネパール人スタッフIが泣いている。くそっ。●2人のスタッフが無線連絡傍受を怠り遅刻。激しく叱る。●その後すぐ現地スタッフを全員集め同じ経過報告。とにかく誇張した情報を地元社会に伝えないよう釘を刺す。●その後CNRTオフィスにCivPolスアイ署長と急行。Ramos Hortaの訪問の中止を伝えるためだ。集まった観衆推定400人。SSR(Servisu Siguransa Regional:自警団)もちゃんと制服を着て整列している。CNRT県トップAlvaroだけには、朝一番にPolitical Affairs OfficerのOmarをやって訪問中止を伝えており、俺が行くまで観衆に伝えるな、と言っておいた。●まず俺が、昨日からの経過を報告。ネパール兵士死亡に触れるとざわめきが。前の方の女達は涙を拭いている。でも、パニックに絶対に陥るな。陥れば、それはMilitiaの思う壺だ。そして、もう噂になっているBecoのRDTLとMilitiaの関係を暗に牽制。もしRDTLとCNRTの対立という形で東チモール人の間の争いが起これば、これもMilitiaの思う壺。これを強調。驚くほど静かに聞き入ってくれた。●とにかくこの観衆はHortaを迎えるため準備万端。踊り、食事の準備。全てが無駄になってしまったことを謝罪する。Hortaの訪問中止を伝えても静かに聞いていてくれる。最後にCNRT県トップがマイクを。UNTAET知事の俺が謝ったが、謝らなければならないのは自分ら東チモール人だ、と。涙が出そうになる。●Hortaの訪問中止が転じて、2時間ほどの心に残るTown Hallミーティングになった。●午後2時に、SRSGデメロ、PKF Force Commander、Chief Military Observer。つまり、このミッションの3巨頭がヘリで急きょスアイ入り。PKF Sector West HQでのMilitaryブリーフィングに同席する。●夜9時、俺ChairのSecurity Management Team会議。治安情報、朝から進展なし。Militiaはまだ捕まっていない。

2000年8月12日土曜日
朝9時からDistrict Security Council。ニュージーランド大隊隊長、出席。スアイは今までにない状況にあると報告。●10時からDistrict Advisory Council。CNRTが運営を任されたトラクターについて、不当に高い料金を農民に課しているという報告が。調査チームを農業専門家SanaとCNRTの代表一人と結成を指示。来週までの報告を課す。●夜9時、オフィスと道路を挟んで向かいの、Security Officer、Cの家から火が。ロウソクを消し忘れ外出したらしい。もう火が外にまで噴き出している。すぐにPKFパキスタン隊消防隊を呼ぶ。10分で到着。なかなか迅速。無事消火。するとCraigが通報を聞いて駆けつけ、赤い消火器を片手にドアを蹴破り中へ。しかし煙にむせてすぐに退散。意味も無いのにそとから消火剤を巻いている。しかし、このニュージーランドの元麻薬捜査官C。身長190センチ強、シュワルツネガーみたいな体格のマウイの血が入った6児の父。楽しませてくれる。

2000年8月13日日曜日
日曜だというのに、朝10から俺ChairのSecurity Management Team会議。Security OfficerのC、あれほど言っておいたのに、PKFとのEvacuation計画についての擦り合わせを今までしていなかったことが判明。これじゃいくら有事の際に避難集合しても、武装エスコートの段取りがなければ、全く意味が無い。アホ。キツーイ一言と、両日中に擦り合わせを完了することを指示。まったく。●昼寝をしたら4時間ほど過ぎてしまった。かなり疲れている。首筋から肩、背中にかけて頭痛がするほど凝っている。これしきの緊張で、情けない。

2000年8月14日月曜日
また朝からSecurity Management Team会議。DOC設置ファイナル。日ごとにアップデートされた県内治安情報を掲示板に掲載するシステムをUNMOに。やはりUNMOは頼りになる。●MilitiaのSearch Operationが行われているBecoからZumalaiにかけてPKF Security Status "Amber"。かなりヤバイ。この区間の通過はPKFのエスコートが必要。かなりゲリラ戦に近い様相。●やはりMilitiaの狙いは、来週月曜日からディリで開かれるCNRT全国大会とそれに出る各県からのCNRT代表の移動か。今週は、インドネシア独立記念日とMilitiaの活動を活発化するイベントが集中。山場か。●9時から出席するはずだったパキスタン工作大隊による、パキスタン独立記念日のパレード謁見をすっぽかしてしまう。悪気はなかったが、Security Management Teamを優先したため。しかし、隊長はかなりご機嫌斜めだったらしい。そりゃ、そうだろう。ディリからPKF Force CommanderとUNMOのトップをわざわざ招いて、工作部隊として何より見せつけるはずだった文民政府との協力、そのシンボルである俺がすっぽかしたんだから。夜、さっそく正式な詫び状を書く。やれやれ。

2000年8月15日火曜日
朝から日課となったSecurity Management Team会議。いつまで続くのか。●続いてスタッフ会議。現地スタッフも溶けこんできた。良いサイン。●午後3時から、県立病院の完成式。テープカットを依頼されていたが、俺よりも子供にやらせろ、と提案。なかなか和やかな雰囲気の式になった。パキスタン工作大隊隊長も出席。まだ俺を見る顔がこわばっている。まあ悪かった、と肩を叩き無理やり握手。●PKF HQ Deputy Force Commander, General Smith(オーストラリア人)がスアイ入り。夜は、PKF Sector West HQで、俺とUNMO隊長が呼ばれて食事を兼ねた会議。Curfew戒厳令の発令の可能性を議論する。Militiaが民間に潜伏し始めたら、これしか治安維持の方法は無くなる。発令は、俺とPKFニュージーランド大隊隊長、CivPolスアイ署長の間で合議となる。

2000年8月16日水曜日
Security Management Team会議の後、CivPol署長、UNMO隊長、Security Officerと戒厳令について詰める。Curfew Committeeの設立。ただし必要に応じて発動するシークレットCommittee。メンバーは、俺を中心にニュージーランド大隊隊長、CivPol署長、UNMO隊長。●戒厳令発令といってもどうやって知らせればいいのか。やはり、県内2500人の動員力を誇るSSR(Serbisu Siguransa Regional: CNRTの自警団)を使うしかない。これが将来、威圧的な秘密諜報組織みたいになる懸念はなくもないが、今のところこれしか治安情報のデセミの手段がない。半日で、県内主要町村に発令通達できるか。●今のところ戒厳令の可能性は薄いが、なにせ県内に侵入してPKF兵士を殺したMilitia部隊は誰も捕まっていない。ボーダー付近で目撃されてから2週間以上も経っている現在、県内のサポーターからの補給なしではこんな行動は不可能と考えられること。民間に潜伏し、民間人を装い、持ち運びが簡単な手榴弾主体の攻撃を始めたら、もう戒厳令しかなくなる。●一度やってみたかった戒厳令。不謹慎か。

2000年8月17日木曜日
NHKの取材班来る。今日から土曜日まで滞在。●戒厳令の話しに尾ひれがついて、PKFが何を勘違いしたか、俺がCivPolとSecurity Officerと組んで戒厳令を実際にこの両日中に発令するというふうに伝わったらしく、あわてて飛んでくる。アホ。民衆レベルの噂の喧伝と何の変りもない。●先週からディリにうるさく要請していたが、やっとCに加えてSecurity Officerがもう一人配属される。故ダイアナ王妃のボディーガードで、あの自動車事故から生還した生き証人、T。顔の傷が生々しい。タブロイド誌でかなり有名になった御仁らしい。●来週月曜日からディリで始まるCNRTのコングレス全国大会に出席するためにPKFの護衛とトラックを出して欲しい、とCNRT幹部が言ってくる。28人を送りたいという。このStubbornな男、CNRTコバリマトップがかなり強硬に要請。Militiaの待ち伏せが相当おっかないらしい。護衛と言っても、我コバリマのニュージーランド大隊は、延々と続くMilitiaとのいたちごっこで、そんな護衛のために出せる兵は皆無。それに陸路でディリ、となると3つの県を通過するので、3つの違う国籍のPKFとシマの問題が出てくる。なんでもっと早く言ってくれないの、と俺。とにかくこんな急にアレンジはできない、ときっぱり言ってもぶつぶつ。とにかくこの国の将来を決める大事な全国大会だから命を張って行って来て欲しい、というムチャクチャなはなむけの言葉と、俺管理の小口現金から200ドルをトラックのレンタルの足しに、ということで一応落着。

2000年8月21日月曜日
先々週にCNRTにより報告されたスアイ市場での小さな騒動。インドネシア、ルピア紙幣、1万、2万、5万ルピア紙幣の一部が廃止させるという噂をめぐるパニックのフォローアップ。UNTAETディリに確認を迫ったのが先週。噂は本当で、8月21日付けで廃止。しかし、インドネシア国内であれば、10年間は新しい紙幣と交換できるというもの。俺が報告するまでUNTAETディリは気がつかなかったというお粗末さ。先週なんと、Director Of Administration (DOA)から全UNTAET国際職員に対して、上記の紙幣無効と、UNTAET財政部は上記紙幣を受け付けないので気を付けるよう通達。アホ。さっそくDOAにFaxで意見書。民衆の懸念に何も答えておらず、かえって火に油を注ぐような通達。これじゃだめ。UNTAETは現地政府として該当紙幣交換の制度をつくるべきだと迫る。これが先週金曜日。今日早速ディリから全DAに対して緊急メモ。何時とは言えないが、該当紙幣交換の制度を設けるということで住民のパニックを極力抑えろ、とのこと。本当に、しょーがない。

2000年8月22日火曜日
いつまで続くか俺がChairのSecurity Management Team会議。毎朝9時から。Militiaはまだ捕まらず。Zumalai郡と隣のAinaro県境のCasa郡の山間部に潜んでいる。近隣農村への食料略奪や牛の盗難が相次いで報告されている。山ん中でバーベキューか、このやろ。●故ダイアナ妃のボディーガードTは緻密で使える男。アバウトでどこか抜けているCと良いコンビ。

2000年8月23日水曜日
気味が悪いくらい静かな日。Security Management Teamも少しだれてきたか。こういう時に何かが起こるものだ。気を引き締めよう。●夜は、パキスタン工作大隊より招待。パキスタン軍工作部隊のトップがスアイ訪問のため。たらふく馳走になる。●休暇でしばらく不在だったネパール中隊隊長を見かける。今月の犠牲者を出したあの中隊だ。Condolenceの一言から話しが弾む。●あの戦闘は彼の休暇中に起ったのだ。ネパール中隊は国籍が違ってもこの県の大隊であるニュージーランド大隊隊長の指揮を受ける。このネパール隊は、当日Militia目撃の通報を受け出動命令、そしてまんまと待ち伏せを受け死者を出したかたちだから、彼としても苦々しいようだ。Peace Reinforcementではなく、Peace KeepingがこのミッションのMissionだから、Militiaをわざわざ危険を犯してHuntingするまでやるべきか否か。Peace Keepingなのだから、Block作戦や「待ち伏せ」作戦だけで十分なのではないか。これが彼の主張だ。●この辺、微妙だ。「白人の命令」を受ける心理的な抵抗もあるだろうし、Peace Keepingの実践論の議論にも関わっている。どちらにしろ、「他人の国の為に命を賭ける」、「どこまで賭けるべきか」、Peacekeeperの行動哲学の本質を突く事件である。

2000年8月24日木曜日
朝、TCWG(Tactical Coordination Working Group)。ヘリで北側国境Batugadeへ。●昨日、西チモールKefaでのUNHCR職員へのMilitiaによる攻撃を受けて、本日より無期限にUNHCRの活動はSuspend。非常な暗い影を落とす。Atambuaなどはほとんど無政府状態であるとTNIが報告。TNIが取締りを強めるに反応して暴動が起こる、と自らの非力を認める発言。(困るなー) 東チモールへ侵入しテロ行為を行う度胸は無くても、西チモール内で徒党を組んで暴動に参加するチンピラMilitiaが多数いることを強調。Militia対TNI戦争の様相を呈し始めていることを懸念。●どこまでが本当なのか、西チモールに行ってみないとわからない。しかし、日常的にTNIと接しているUNMOによれば、国境沿いに配属されている3大隊は、戦略的に最大限の展開を行っていると言わざるを得ない。この辺が、軍隊による「民衆」の制圧の限界か。あとは、戒厳令しかなくなる。●例のニュージーランド隊Private Manning殺害の容疑者から西チモールで押収したとTNIが言う11丁の武器の引渡しの件。PKFがTNIに正式依頼。容疑者尋問の為の"Adhoc Committee"がPKFとTNIとの間に組織されているが、遅々としている。TNIにとっては、捜査に積極性を示さないと外交イメージが失墜する。かといって、本当に犯人が捕まりTNIの荷担(Militiaはかなり軍事的トレーニングを受けていると見えるから)が暴露されれば致命的な外交的打撃。どうなるか。●インドネシア政府が再度宣言した西チモール難民キャンプの閉鎖。TNI西チモール最高司令官Indraに個人的見解を迫る。6ヶ月以内に執行されるだろうとのこと。発令されれば、国に仕える軍隊ゆえ、TNIは実行に移す、と。推定10万人の難民キャンプの閉鎖。純粋に帰りたいというフツーの難民を、それを阻止したいHardcore MilitiaとチンピラMilitiaからどう隔離するか。とにかく「登録」が必要だが、それさえもMilitiaの妨害で中止になったのが先月。●夢物語かもしれないが、インドネシアが西チモールを放棄、PKF投入でMilitia壊滅。西と東の統一万歳…

2000年8月25日金曜日
フォトジャーナリスト永武ひかる女史、スアイ入り。来週中盤まで滞在。子供に使い捨てカメラを配り、子供の目から見た東チモール写真展を開こうというもの。●毎朝のSecurity Management Team会議にBorder Control Unitを呼ぶことにした。税関設置のためSaleleボーダーにプレハブを建設済み。こっちの用意が出来ていても、あっち(インドネシア側)に同じ用意が無ければ、意味が無い。UNMOを仲介に、TNIとBorder Control Unitの初顔見せを企画。第一回の顔見せで感触を得た後、俺に報告を指示。県レベルのMOUの取り交わしにつなげるというシナリオ。

2000年8月26日土曜日
District Security Council chaired by me。またFalintilの将校が良い意見を。引き続き悪化している西チモールの治安問題。この治安の悪さが散発的な難民の帰還を促すことが予測される。その際問題なのは、Militiaと言うだけで容易に扇動される、特に若者達による暴動。Falintilはいまだに根強い畏敬をもたれているから、こうした輩を抑え込むのに効果的。ごもっとも。UNHCR、CivPol、PKFの間で既に難民帰還対策チームが出来ているが、そこにFalintilの代表を参加させることを指示する。●Plan InternationalのDelegationがヘリをチャーターしてディリからスアイ入り。インドネシアCDのAlkaと英国理事会の理事、英国NDの3人。久しぶりに元同僚Alkaと対面。

2000年8月27日日曜日
平穏な日曜日。無線を携帯しながらジョギングと浜辺で夕日観賞。●TNIがUNMOを通じて連絡。西チモールでMilitiaが、非武装のUNMOへの攻撃宣言をしたのこと。TNIにとっては、UNMOがもし攻撃されたら、これはインドネシアにとって世論上大打撃だから、UNMOのボーダー付近での活動を自粛して欲しいとのこと。変なの。

(CivPol国連文民警察官 アラバマ野郎「俺に任せろ」Hと、東チモール国民警察候補生達)


2000年8月28日月曜日
怪情報が飛ぶ。コバリマを通過しネパール兵を殺害したMilitiaグループは、隣の隣の県のSameまで到達し、そこの神父に投降を打診しているという噂。今朝のSecurity Management Team会議でPKFは全面的に否定。SameのPKFからもそのMilitiaグループの目撃は未だされていないとのこと。●9月6日は、Suai教会虐殺の一周年。大掛かりな行事が予定されている。ベロ司教も来るのだ。推定観衆一万人。Militiaが手榴弾テロを仕掛けやすい状況だ。そこで特別治安会議を召集する。PKF、CivPol署長、Falintil将校、SSR(自警団)隊長、それとSuai教会名物神父Rene。PKFは出す兵が無いと泣きつく。Suaiに派兵してボーダーの警備が手薄になったところを突かれたら、元も子もないから納得。よってCivPol中心の警備体制を。アラバマ男「俺に任せろ」Hを警備隊長に任命。全CivPol35人のほとんどと、SSR約100人を動員することになる。●レイオフされた教師の不満分子グループ30人と面談。先週このグループから直訴状が届く。昨年の虐殺と破壊の後、復興の手始めとしてとにかく初等教育をということで、資格がある無いにかかわらず教えられる者は誰でも、とボランティアを募ったのが、ことの始まり。しかしこの時は、無償のボランティアということの確認がしっかりとされたとのこと。ところが、その後ユニセフによる手当て支給プログラムが始まり、ボランティア精神が「権利意識」へと変化。この支給プログラム受給者は、県内500人以上にまで膨れ上がり、このまま自動的に彼ら全てを公務員教師に移行させれば、十分な国家歳入の目途がつかない状況で財政が破綻する。「小さな政府」を掛け声に、手当てプログラムをユニセフが終了するのを期にレイオフを目的に、一斉学力テストを課したのが5月。テストをクリアしてレイオフを免れたのが237人。既に権利意識を持ってしまった落第した教師ボランティアは面白くない。テストの採点にNepotismがある、というのが主張の一つ。そして今日の直訴会議。●言い分を聞いていると、少数の者がデマで煽っているのがわかる。一斉テストは、オーストラリアの独占援助のマークシート方式だから、Nepotismも何も、採点に人間の判断の入る余地が無い。この辺の説明をすると、グーの音も出ない様子。●そして「権利意識」に言及。せっかく素晴らしい建国の精神で始めたボランティア。こういう形で権利闘争の様相を呈するのは悲しい、と小一時間。この辺の屁理屈がまだ通るのは、この人達がまだエセ左翼的被害者意識に毒されていない証拠。●最後に、同席した教育委員会の長老(CivPolスアイ署建設予定地を奪回したあの御仁)に説教。こんなアホなデマがまかり通るのは、教育委員会として説明が足りない証拠。これから全教師ボランティアを集め、一斉テストの経過を逐一報告することを指示。これを期に組合運動を扇動してやろうか。

2000年8月29日火曜日
フォトジャーナリスト永武ひかる女史帰る。●スタッフミーティング。新しいスタッフ2人。タンザニアとシエラレオーネ人。本当にほとんどアフリカで働いているみたいな感覚。●Timorizationへの心構えをスタッフ全員に再度強調。「自分が主人公」の感覚を捨てること。東チモール人を無理矢理にでも「立てる」こと。東チモール人のボスに仕える術を身に付けること。俺からまず態度で示さなければならない。●ニューヨーク国連本部から新任のChief Military Advisor、オーストラリアのBrigadier Generalがスアイ訪問。PKFでの晩餐会を、俺すっぽかす。

2000年8月30日水曜日
あの住民投票から一周年。よって祭日。●祭日だというのに、朝からBecoで、例のRDTLとCNRT紛争のPreventive Diplomacy。これは8月10日夜にやるはずだったのが、あのネパール兵狙撃事件で取りやめになっていたもの。CNRTトップは外して、まず偵察の意味もあり今日の集会を準備させた。ネパール兵狙撃事件を引き起こしたMilitiaの長期潜伏が、なぜRDTL本拠地のBeco付近で起こったかという、MilitiaとRDTLの関係が噂される中、当地のCNRT勢力の心中を探ってみたかったからだ。よって今日の集会は、CNRT勢力の村のリーダーと長老達約50人と、Beco内の集会所で。CivPol4人とSecurity OfficerのTが俺の護衛に。PKFネパール隊4人が完全武装で会場の周りを歩哨。警備が大袈裟で嫌だが、何と言ってもまだ武装Militiaグループが潜伏している地域だ。●一連の内容の演説をぶつ。この程度の内紛にPKFを出動させたことの遺憾。内紛はUNTAETの存在を長引かせるだろうという脅し。MilitiaとRDTLの関係のデマを煽ることの危険。一時間ほど独演で、くどくど話す。でも、シーンと、こちらが気持ち悪くなるくらい聞き入っている。●最後に、今日のような会合でいくら啓蒙を繰り返しても意味が無い。こういう日の当たる場での議論には何の興味も示さない不穏分子が内紛を煽るのだ。その不穏分子に届かない議論をしている限り埒があかない。CNRT、RDTL両勢力の不穏分子と直接の調整作業が必要なのだ、と言うとざわざわしだす。一人の長老が手を上げる。そんな調整など危険で自分達だけでは出来ない、と。不穏分子を集めるだけしてくれれば、調整はこっちの仕事だ、と俺。まず、CNRT勢力のそれをやりたいが、そういう不穏分子グループを特定できるか、と聞くと、はっきり頷く。こういう試みは意味があるか、と聞くと、これもはっきり頷く。●そこでBeco村長に矢を向け、日取りの設定を指示。こやつ、表情からあまり気が進まない様子。どうも、こやつの取り巻きがその不穏分子の一部らしい。どうりで村長になるには若すぎると思っていた。とにかく大勢の前で約束させたから、これからの展開が面白くなりそう。●その後、Zumalaiのネパール中隊駐屯地を訪問。明日に予定されているMedal Paradeの謁見に欠席の詫びを隊長に言うためだ。犠牲者を出した隊だ。ぜひ出席したかったのだ。明日はディリ行きだ。●昼食を馳走になり隊長と話し込む。Militiaとの戦闘の様子は生生しい。やつらは、仁王立ちでマシンガンを構えぶっ放してくるらしい。これは、死を恐れないよほどのバカか、ドラッグの影響だ。俺は後者だと思う。

2000年8月31日木曜日
UNAMETの元SRSG、Ian MartinとアフガニスタンのUN MissionのSRSG(名前忘れた)がスアイ訪問。Brigadier General Lewisと一緒に懇談。Military Borderの事ばかりに会話が集中し、あまり大したものにはならなかった。●その後、同じヘリでSame経由ディリへ。DA会議。

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