2000年12月5日火曜日
週末をDarwinで過ごし、今朝Pumaヘリでスアイ帰省。早速、日常業務が始まる。

2000年12月6日水曜日
朝から、District Security Council(県治安評議会)。新しいニュージーランド大隊隊長を交えての第一回。CPD-RDTLの他県での活動が活発化。隣県Bobonaroで既にCNRTと衝突。ディリから不穏分子を送りこんでいるらしい。本県での飛び火の可能性を議論。これはそもそも本県のBecoという小さな村から始まった問題。その後の和解作業が効を奏したのか知らないが、我が県は今のところ平穏。CPD-RDTLの本拠地のBecoでは、CivPolの派出所を先月オープンしたばかり。敢えてこの場所を選んだ。CivPolは、毎日の定期パトロールを欠かさないことを確認。●District Advisory Councilは、お流れ。先週のXanana Gusmaoの滞在がまだ尾を引いている。バカらしい。

2000年12月7日木曜日
もう一人のフィリッピン人神父Fr. Larryが面会に来る。またもや事件。国境ボーダーを警備するフィジー中隊の一人の兵士が地元女性と関係。妊娠。数週間前に出産したと言う。当の兵士は既に国に帰還。参った。ついに出たか。今まで噂にならなかったのが奇跡だ。裏に何かありそう。Fr. Larryにはもう少し事実関係を調べるように要請。フィジー中隊を統括するニュージーランド大隊隊長と相談するのは、それからだ。

2000年12月8日金曜日
国連指定休日。でもいつものようにスタッフ全員勤務。●CNRT県トップのAlvaroと若手ホープAdrianoの様子がおかしい。先週のXanana Gusmaoのスアイ訪問の時も雲隠れ。XananaはCNRTのPresidentだ。県のトップが面会を避けるというのは、この国の"リーダー信仰"の風土を考えるとこれは一大事だ。水面下でかなり大掛かりなPoliticsが動いている。県政評議会の今後が思いやられる。●東チモール人副知事Alipioは、ここのところ連日夜11時近くまで、例の小学校教師の公務員認定に関わる事件の対応に追われている。黙々と働く姿に、今まで絶対に超過勤務に難色を示していた他の東チモール人スタッフが従うようになってきた。今日も、UNTAET現地職員の一人がAlipioに寄り添ってコンピューター入力を夜遅くまで手伝っている。●同じ東チモール人職員でも、Alipioのような暫定政府公務員とUNTAET現地職員とでは待遇が違う。公務員の方は、副知事でも月給200ドル程度。ところが国連職員であるUNTAET現地職員は、運転手でも月給300ドル以上。しようがないと言えばしょうがない。公務員の方は、"小さな政府"と貧弱な財政から将来継続的に自前的な国家運営を考えると、なるべく低く押さえるというのが道理。国連現地職員は、国連が出て行けばそれで職を失う。でも、この格差が問題を作らない訳がない。この問題を乗り越えて、黙々と仕事をこなすAlipioは偉い。●この頃国際スタッフとよく話題に上るのは、Why do we (我々) have to "beg" East Timorese to work for their own country? だ。これは大いなるアイロニー。でも、CNRTのリーダー達、東チモール人閣僚に声を大にして言いたくなる。何かと言うと言い訳は、UNTAETのチモール化が遅い、という。ふざけんな。"現地化"ということにかけては、それが競争のための標語になった国際NGOの世界に比べても、今のUNTAETのチモール化は驚くべきスピードで(つまりかなり雑に)進んでいる。そういう批判を安易にする東チモール人リーダー達、それに太鼓持ちのように同調する海外の市民団体は、Management的な観点でこの国家建設と言う作業を見ていないだけ。

2000年12月10日日曜日
昨日から朝日新聞論説委員脇坂氏スアイ滞在。彼とのやりとりの中で思い巡らせたこと。●国防軍をつくる必要があるか。国防が必要なのは「外からの脅威」があるからだが、「脅威」とは誰か。Militia問題の元凶であるインドネシア軍(TNI)か。TNIを手放しで信じてはいけないが、この国の"隣人"として治安維持のコミットメントを引き出す状況づくりを国連そして国際社会はして行かなければならない。要は、西チモールのMilitia武装解除が問題なのだ。●翻って東チモール国内はというと、Xanana Gusmaoみたいなリーダーの質を見る限り、軍を制覇するリーダーの独裁を許す風土があり。軍事国家になってしまう可能性の方が怖い。日本は平和憲法の精神に則り、国防軍をつくるなら援助を止める、ぐらいのことを言えんのか。繰り返すが、西チモールのMilitia武装解除が完了すれば、国防軍の必要性はなくなるのだ。日本はどうして、東チモール=非武装国家という理想の主張と、インドネシアへの二国間援助として西チモールの武装解除に金を出すという、柔軟な発想ができんのか。

2000年12月11日月曜日
脇坂氏のPKFツアー。Sector Westでは、Militaryブリーフィング。Grigadier Gillespieに代わってからの新しい司令部スタッフなので、過去のMilitiaとの戦闘の解説がやはり心もとない。Militiaの射殺については、Rules Of Engagement(ROE)の話になると、緊張気味。つまり、オーストラリアもニュージーランドもUNTAETのガイドライン的なROEに加えて、個々の兵隊独自の現場判断を認めているため、Warning無しの射殺が相次いでいる。問題は、死人に口なし、ということ。その状況が、Warning無しの発砲を正当化できるほど身の危険があったかどうか、蜂の巣にしてしまった後では、PKFの発表を鵜呑みにするしかないということ。いちいち東京に伺いを立てなければならない、日本のようなシステムも問題だが、各兵士の独自の判断に任すのも、こういう問題がある。●午後は、Saleleボーダーまで車で足を伸ばす。PKFの武装エスコート付き。この時期に、それもSaleleみたいな安全なところで大袈裟な。ヘリ出動の要請に応えられなかった"詫び"のつもりか。

2000年12月12日火曜日
またもやHigh Delegation。国連NY本部からUnder Secretary Generalの一人が明日来ることに。まったく何と言うShort Noticeだ。

2000年12月13日水曜日
Under Secretary General、Dileep Nair氏スアイ入り。Office of Internal Oversight Serviceという、一見何がなんだかわからない部署の最高責任者だが、国連全体の監査、アカウンタビリティを扱うところらしい。といっても、こんな大物がわざわざ監査に来る訳もなく、大名視察。Iqbal Risa氏にしたのと同様のブリーフィングを行う。もう慣れになってきた。●NHKのTVクルーがスアイ入り。これから10日ほど滞在する。同時に子供による写真展のため永武女史も。

2000年12月14日木曜日
DA会議のためディリに出発。国連機に乗る様子をビデオに撮られる。

2000年12月15日金曜日
2日間のDA会議完了。目新しい議題なし。唯一、Falintilの再訓練を前提とした国防軍の件。新たな専門部署、Department of National Defense Force Developmentが出来たのこと。Directorは、軍事経験も何も無い、ただDSRSG、Cady氏の側近をしばらくしていたインド人のオバさん。なんという人事だ。早速食らいつく。●俺はDAの中でも、CovaLimaという「国防の最前線」いる立場上、民政官として最も的確な発言をできる立場にいる。しかし、国防軍創設の是非について、まだ十分な議論がなされたとはとても言えない。何故なら、7月に出た英国Kings Colleageのレポートにも以下の3点について十分な考察がなされたとは考えられないから。●第一に、国防を必要とする「外からの脅威」の分析。この脅威は、対インドネシアということだが、そもそもPKFとTNI(インドネシア国軍)が"停戦"している訳ではない(つまり"交戦"したことはない)。焦点は西チモールのMilitiaであり、その制圧ということにおいてPKFとTNIは共通の目的がある。もちろんMilitiaの"親"であるTNIをどこまで信用できるかという問題があるが、両軍の円卓会議TCWGでのこれまでのやり取り、そしてこれからのこの関係の継続的発展を考える限り、TNIそしてインドネシア政府のMilitia武装解除のコミットメントは増強することすれ減少することはないと俺は見る。TNIを本当の敵として戦ってきたFalintilを主体とした国防軍の創設は、逆にTNIを"挑発"することになるだろう。つまり、"インドネシア対東チモールの交戦"という絶対避けるべきシナリオの下地を造ってしまう。●Joint Border Commissionだって、インドネシア政府と覚書がサインされただけで、実質何も始まっていないのだ。まだ"国境"を扱う外交チャネルはTCWG以外には何も始まっていないのだ。それで、どうして"脅威"が計れるのか。●Militiaの活動は我が県で2人の犠牲者を出した7月、8月以降、明らかに下火になっている。そして、UNTAETミッション終了後も"中期的"にはPKFが国境を警備するという合意がある現在、国防軍の創設を今始める必然性は何か? ●第二に、憲法。憲法上の国防軍統括権の定義もされていない。まだ草稿さえされていないのだ。憲法草案プロセスの前に"既成事実"を作ろうとする意図は何か? ●第三に、コストの問題。誰も国防軍を東チモールが自前で維持していく正確なコストの算定をやっていない。国防軍の創設はUNTAETのMandateではできないので、2国間援助でやるしかない。オーストラリア、ポルトガルなどが名乗りを上げているいるようだが、総体として援助のコーディネーションが出来ている訳ではない。●案の定、このインド人のオバさん、シドロモドロになりながら、反論する気にもならないアホな言い訳を。「Kings Collegeのレポートが上がってきた時、CNRTとFalintilの幹部に相談したら、"脅威"の大きさを鑑み、ぜひ国防軍は必要という意見に達した」とのこと。アホ。銃をちらつかせて、お前これ欲しいか、と問われれば、俺だって欲しいと言うに決まっている。繰り返すが、Kings Colleageレポートの7月と今では、Militiaの脅威は天と地ほど違うのだ。●どうも、Aileu県のCantonmentに閉じ込められているFalintilのご機嫌取りだけが目的で、急いでいるとしか考えられない。海外の東チモールウォッチの市民団体も、UNTAET攻撃の一環で、独立の本当の闘志であるFalintilが蔑ろにされている、と鼻息が荒い。じゃあ、どう蔑ろにしないか、という具体的なビジョンは提供していない。無責任な! こんな万年野党の姿勢じゃ、この国を地域ポリティックスに荷担させるだけの軍事国家に仕立てようとしている輩に利用されるだけだ。●俺の発言中、東チモール人DA達の何人かは、しきりに頷いてくれた。特にCovaLimaと同様に国境を有するBobonaro県の彼は、会議後も寄ってきて、俺が前から主張してきたDemilitarized Border(武装解除した国境)の必要性を支持。しかし、唯一Viqueque県の女性DAは違った。彼女、Falintilに11年間奉仕した筋金入りの闘志。自分の目の前で愛する夫をTNIに殺されるという暗い過去がある。俺の発言中、険しい表情を。彼女みたいな人物を前にすると、どうしても気持ちが揺らいでしまうが、感情論で軍隊を造るほど危険なことはないのだ。

2000年12月16日土曜日
朝、ディリから国連機でスアイ帰省。●午後5時から、臨時DAC(県政評議会)。停滞しているDACの今後をざっくばらんに話す為だ。今年8月末のCNRT全国大会後、県CNRTリーダー達の求心力がなくなっていること。CNRTというより、個々の政党の色が濃くなっていること。それが、CNRT代表としてのDACメンバーのパフォーマンスに陰りが出ていること。などを問題提議。反応とは言うと、はやり、この事実を認めようとしない。問題をDAC出席のためのインセンティブに持っていこうとする。●今のところ国会にあたるNational Councilのメンバーには月200ドル程度のインセンティブがある。県のレベルにそれがいらないという理由は見つけにくい。でも、この問題を決議するのは、National Council。以前のように、DAの意見とUNTAET首脳部、そしてCNRTの首脳部で何でも決められる時期はもう過ぎた。全ては、県National Council代表(Maria Nunesという我DACがノミネートした女性)のパフォーマンスにかかっていることを強調。●最初は緊張したムードだったが、最後は和気藹々。来週水曜日の定例DACの開催を確認。

(“国会議員”Maria)

2000年12月17日日曜日
永武女史、写真展。スアイ教会の平和と和解センターにて。ミサの後のオープニングだったので、大した盛況。

2000年12月18日月曜日
外務省総合外交政策局長、竹内行夫氏スアイ入り。PKF、Sector West、Brigadier General Gillespieとの面談などを手筈していたが、大幅にフライトが遅れ、結局俺とUN Military Observer隊長、文民警察署長のブリーフィング一時間だけ。ドタバタしてしまった。これで今のところ年末までDelegationのスアイ訪問の予定なし。やれやれ。

2000年12月19日火曜日
TCWG(対インドネシア軍信頼醸成円卓会議)於Motaain、西チモール。いつもの面々。前回休んだ俺にとって、新任のTNI西チモール司令官は初顔合わせ。●内容は、ヘリの領海侵犯など通り一遍。唯一の収穫は、インドネシア政府が難民対策のためにつくったタスク・フォースの一員、法務省からの出向職員と話しが弾んだこと。今月13日から予定されていた一斉登録は遅れ、それでも今月末には最初の結果を出すとのこと。一体どんな体制で、どのくらいの人員を動員して、どんな質問票を使っているのかなど詳細を聞こうとすると、話しをそらす。この辺が官僚万国共通の対応か。●私服のTNIがMilitiaの軍事訓練をしていると帰還難民の目撃情報があったとPKFが報告すると、TNI猛反発。いいかげんに信用してほしい、と憤慨。続いてTNIも、CNRTの宣伝ビラを携帯した東チモールからの侵入者を逮捕、Atambuaに拘留中との報告。するとPKF、聞かれもしないのに、当方は金を払ってスパイをさせるなんてことは絶対にしていない、と返す。こんな調子で、いつ「チモール化」できるのか。

(西チモールBatugadeのTNI基地から、帰還難民の様子)

(Batugadeの帰りのヘリ。楽しい。)


2000年12月20日水曜日
朝10時からZumalaiでTown Hall Meeting。村レベルの代表者20人ほどと2時間。副知事Alipioと初めてのTown Hall。ほとんどの苦情が教育、特に例の公務員教師の件に集中したのでAlipioに受け答えを任す。●午後2時からDistrict Security Council。クリスマスのスアイ教会は1万人ほどの人手があるということなので、9月のスアイ虐殺一周年の時と同じような治安体制実施を決議。●午後3時からDistrict Advisory Council(県政評議会)。先週土曜の臨時DACのフォローアップ。CNRT県トップのAlvaroと若手ホープのAdrianoは依然欠席。その代わり新しい顔ぶれが。この二人がいない方が建設的な議論が出来たのは皮肉。これで形は整いそうだ。

(左から、Zumalai駐屯のPKFネパール中隊隊長、俺、Alipio)

2000年12月21日木曜日
朝8時半から、文民警察スアイ分署のオープニング。もとPolri(インドネシア警察)だった建物を修復したもの。その意味で象徴的なイベント。新しい制服を着た東チモール警察官たちが初々しい。腐敗と市民へのハラスメントで有名などこかの国の警察のようになるな、と少々説教じみた演説をぶつ。●9時からSuai Sub-districtのTown Hall Meeting。その後すぐにFatumean Sub-districtのTown Hall Meeting。車で2時間。AlipioとNHKテレビクルーを同伴。途中のJP-EのPKF Observation Point (国境監視所)で、ブリーフィング。Alipioにとって初めての国境視察。クルーがその様子を撮影。「国境の東チモール化」の手始め。

(東チモール警官たちによるテープカット)

(Junction Point Echoから西チモールを望む、NHKクルー)

(FatumeanでのTown Hallミーティング)


2000年12月22日金曜日
午前8時半、Foforem Sub-districtへ出発。車で2時間。到着後2時間ほどTown Hall Meeting。この郡担当のDistrict Field Officer、Sushil(インド人)は、知らぬ間に数々の小プロジェクトを実施。大いに結構。その内のひとつがSeed Multiplication(種子倍増)。5エーカーほどの共有地にデモンストレーション・ファームを既に開墾。棚田造りと展開する予定。東チモールの山間部では驚くほど棚田を見かけないので、画期的なインパクトになるだろう。将来、米のPer BoilingとDrying Floorの技術を導入すれば、栄養対策にもなる。●夕方は、国際職員達が金を出し合って、現地職員と共にちょっと早いクリスマスパーティ。Alipioにオープニング・スピーチをさせる。

(種子倍増計画に予定された敷地。Food for Workで囲いを作る。)

2000年12月24日日曜日
クリスマスイブ。昼食をPKFフィジー隊に招かれ、JP−Foxtrot(国境のPKF駐屯地)へ。肉、肉、肉のフルコース。●スアイ市内の電力供給は夜7時から夜中の1時までだが、クリスマスの今日は明方5時までの延長を許可する。●クリスマスを狙ったMilitiaの活動再開が予想されているため、文民警察CivPolとPKFは、スアイ市内を徹夜で警備。俺の事務所内も、APC(中型戦車)一台と完全武装ニュージーランド兵4人がお泊り。

2000年12月26日火曜日
クリスマス休暇でスタッフの半分以上が不在。ディリでも同じだから、驚くほど静かな日が続いている。●クリスマス期を狙ったMilitiaの活動が懸念されたが、何事も無かった。

2000年12月27日水曜日
今日は、ラマダンあけの日。国連指定休日。●だが、午後2時よりDistrict Security Council(DSC:県治安評議会)。ディリから視察に来ていたPKF Deputy Force CommanderのGeneral Smith(オーストラリアの旅団長)も参加。今彼は、National Security Council(国家治安協議会)の創設をリードしている。各県のDSCのネットワークを統括する試みだ。そして有事の際、地方分権された対策の拠点となるDistrict Operation Center(DOC)の共通のStandard Operation Procedure(SOP:標準行動マニュアル)も作成中。我が県では既にDOCは機能中。DAである俺の統括下、PKF、CivPol、UN Military Observers(国連軍事監視団)が共同で、今年8月9月のMilitiaの侵入の有事を対処してきた。このGeneral Smithの試みは、全県共通の規範をつくろうというもの。●ドラフトとして上がってきている共通SOPには、有事の際のPKF出動もDOCの長であるDAに"伺い"を立ててから行う、とある。これは大変Controversialだ。●例えば、県内で政治政党同士の衝突から暴動に発展し(既に我が県でCNRT対CPD-RDTLという構図で発生済み)、PKF大隊隊長がPKF出動の必要性を判断したとする。しかし、DAの俺がそれに反対したとしたら、どうなるのか。逆のケースだってもちろん考えられる。●忘れてはならないのは、DAはどんどん"チモール化"していることだ。PKF国連平和維持軍が、現地人公務員の"許可"を得て、行動を起こすなんて有り得るのか。そもそも、軍隊の出動なんて国家元首が承認するものだ。こんな大事なことを"簡単に"地方に権限委譲されても困る。●これが俺の意見だが、これはもう既に、前回のディリでのDA会議の際、General Smithに俺が問題提議したもの。今日のDSCでは、彼に事前に承諾を得て、他の参加者の為に再度議題に載せたのだ。General Smith、非常にSensitiveな議題であることを認め(軍隊の出動権というこの国の将来の憲法に関わる問題だから)、National Security Councilの初の議題に設定することを約束する。●夜は、ラマダンあけの宴会。パキスタン工作大隊の招き。大いに食う。