2001年1月の分

2001年1月3日水曜日
新年初めてのDistrict Security Council(DSC:県治安評議会)とDistrict Advisory Council(DAC:県政評議会)。●DACはAlipioにコーディネートさせる。盛会。CNRT県トップのAlvaroは依然シカトしている。勝手にしやがれ。

(Alipio、DACをコーディネートする)


2001年1月5日金曜日
Xanana Gusmaoを過去20年に渡って支え、今はCNRTのLegal Advisorをやっているオーストラリア人Bernard Collaery氏の訪問を受ける。開口一番、俺が先月の国連安保理使節団に対して行なった例の声明の賛辞を受ける。Xananaも喜んでいたとのこと。妙な気持ちになる。●Collaery氏と話し込むこと2時間半。世銀の農業政策批判、インドネシアとの外交Normalizationで盛り上がる。CNRTって、意外にまともらしい。少なくとも国連よりは。●夕方は大雨。ディリに所用で出かけ、スアイに車で向かっていたAssistant Field Administrative Officer、フィジー人のEmasiが、県境の河の水流増加で立ち往生。ここの橋は去年5月の大雨で大破されたままだ。このフィジー人、何を血迷ったか徒歩で河を渡る、という連絡が無線で入る。それ以後連絡が途絶え、緊張。15分経過しても連絡無し。緊急DOC(District Operation Center)設置を宣言。PKFにヘリの出動準備を確認。一気に色めき立つ。ヘリ出動を指示しようかという時に、当のEmasiから素っ頓狂な声で無線連絡。アホ。向こう岸で一夜を明かせと指示。やれやれ。でも、DOCの予行演習になった。●東チモール人副知事Alipioと最初の意見対立。といっても、とりとめのない話。無免許で国連車を運転しているところを、元ダイアナ妃ボディーガードSecurity OfficerのTrevorに咎められ、それを国際職員による現地人に対する差別と取り違えただけ。国際職員であろうと無免許では運転は許されない。こんな明白なことが、即、差別と翻訳されてしまうことが、この暫定政府Missionの最も難しいところ。「差別」と決めつけると、一人で勝手に興奮し感情的なリアクションをするというのが、ここのリーダーに共通の性格。何かというと、25年間のインドネシア圧政下の苦悩を引き合いに出す。AlipioはそれでもCNRTのリーダー達に比べればずっとまし。しかし、どこの社会でもある、被害者意識がなせる仕草か。●Alipio、かなり興奮。しかしそれが治まるのを待ってじっくり話すと、さすがに俺に声を荒げたのを後悔したのかシュンとなり、Excuse meと言い残しトボトボと俺の部屋を去る。その後ろ姿が哀れになる。その後、車で連れ出し、最後は一緒に夕食をマーケットの大衆食堂でとり、夜10時まで和気藹々談笑する。やれやれ。●WFP(World Food Program)の国際職員(女性)の家に泥棒が入ったとの連絡。早朝4時ぐらいのことで、俺は不覚にも熟睡していた。無線でCivPol文民警察を呼んだが、対応が遅れたらしい。夜勤の警官が一人だったので署を空けられないとダダをこね、出動が遅れた模様。この全くアホなやりとりが全て無線で流れた。ヒンシュクもの。文民警察24時間体制の見直しをしなければならない。

2001年1月6日土曜日
かなり気持ちにだれが来ている。ここ数日、俺自身、業務の生産性が著しく落ちている。赴任以来一年がもうすぐ。だんだんこのMissionとこの国に対して興味が薄くなってきている。そろそろ俺個人の目標達成に向かうシナリオを書き始めるか。しかし、俺って飽きっぽいなー。●でも、こういう飽きっぽさが、結局この国にとって良いのだ。善意を装った部外者に"寄り添われる"ほど、迷惑なことはない。

2001年1月8日月曜日
早朝午前4時、人権担当官Suが自宅から文民警察スアイ分署を呼ぶ無線で、ハッと目が覚める。Suは、一昨日泥棒が侵入したWFPの女性職員と同じ家に住んでいる。スアイ署、一昨日のように中々出ない。よって俺が応答する。自宅敷地内に不審な人物が侵入しているとのこと。スアイ分署はSuの家から目と鼻の先。大きな声でスアイ分署を呼び出す。俺の声にビックリしたのか、スアイ分署が応答。現場に急行するとのこと。それからすぐに、Security Officer、Trevorから無線連絡。無線を傍受していたらしく、もう既に現場に到着しているとのこと。さすが、元ダイアナ妃ボディーガード! ●Suを含め、3人の女性には何の危害もなし。良かった。●それにしても、文民警察のこのザマはなんだ。出勤後、早速、新任のスアイ署長、ニュージーランド人の婦人警視Paulaを呼び出す。彼女は、Rohanの後任。気の良い、貫禄のあるオバさんだ。これで2回狙われたこの家に、今夜から警官を張り込ませること。スアイ分署の24時間体制の強化を再確認。●副知事Alipioと日課の会議。俺からの最終引き継ぎのターゲットを2〜3月に設定し、それ以上この国に居座る気持ちはない、という俺の意思を表明する。彼の顔に緊張が走る。とにかく自信を持つように。そして、俺にとって引き継ぎの課題はたった2つしか残されていないことを説得する。一つは、PKF、CivPolというSecurity Forceの統括。これは、Alipioの問題というより、PKF、CivPol側に、いかに東チモール人リーダーを"盛り立てるか"という術の定着の問題だから、まあ何とかなるだろう。●もう一つは、やはり、専門職国際職員の統括。しかし、言葉の壁の問題は"外野席"が騒ぎ立てるほど、俺は問題にしていない。大部分の国際職員は途上国出身だ。英語を第二外国語として身に付けてきた連中だ。彼等には、自分等がくぐり抜けてきた試練を分かち合う"寛容さ"がある。その点で、俺のチームはアフリカ人主体。きっとAlipioを盛り立ててくれるという自信が俺にはある。●問題は、Alipioの側だ。国連車の使用の一件で垣間見せたような被害者意識が特化した感情をリーダーとしてコントロールできないと、下級職員のそれが発生したときチームワークに破壊的な亀裂ができる。●この辺をじっくりとAlipioに話す。よく理解してくれた模様。今日もAlipioは、夜遅くまで残業している。この勤勉さは頼もしい。

2001年1月9日火曜日
スタッフ会議。チモール人スタッフ主体へと工夫する。通訳も、チモール人スタッフの横に座らせてwhisperする方式から、発言毎に逐次通訳する方式に変更。時間はほとんど2倍かかるが、雑談を避けられるため発言が理路整然とし、何よりチモール人スタッフと"対等"になれる。2時間ほどで切り上げることができた。●次回から試験的にAlipioに議長を勤めさせることを発表。国際スタッフに、いよいよチモール人のリーダーシップの下で働く環境造りの佳境に入ったことを印象付ける。

2001年1月10日水曜日
District Security Council(県治安委員会)。ギャンブル(闘鶏)のことが問題となる。ここ一ヶ月の間に数件の胴元の逮捕。といっても、未だ県地方裁判所は開設していないので、ディリに送還するしかないが、たかがギャンブルぐらいの罪状を審議する余裕無し。よって審議なしのアホな釈放が目に見えているから、逮捕する意味無し。しかし、野放しにしておくと、これは窃盗その他の軽犯罪の増加を招くことに。唯一の解答は、軽犯罪Militiaを裁くような、コミュニティでの処理。District Advisory Council(県政評議会)での審議を待つことに。●DSCの後、DAC。Alipioに議長をさせる。なかなか頼もしい。●DSCから審議要請のギャンブルの件。Community Mediation Council(コミュニティ調停評議会)の設立をCNRT代表者満場一致で決議。ギャンブルに限らず、殺人・レイプなど重犯罪以外の案件を裁判所に送還するまえに討議し、コミュニティ労働などの"罰"を決議・執行し、裁判所の立件を軽減する。司法設備が不足している状況では、有無を言わず、これしか解答がない。Terms Of Reference は、来週までの宿題。

2001年1月13日土曜日
国連総会議長、Harri Holkeri氏(フィンランド人)特別機でスアイ入り。俺がホストで1日のプログラムを組む。なかなか気の良いジーさん。俺のチーム全員のブリーフィング、スアイ教会虐殺跡での追悼、District Advisory Councilのメンバーを中心とした地元リーダー達との討論会と、まあお決まりのメニュー。●ブリーフィングでは、東チモール国防軍に対する俺の懸念を正式表明する。センシティブなイシューだけに、Holkeri氏、かなり険しい顔で聞いていた。●ただ、一つだけヒヤッとさせられる場面あり。地元リーダー達とのやり取りでの一幕。このところ、こうした大物が来る度に問題提議している司法システム不備、過去の犯罪に対する"寛容さ"にとっていかに重犯罪に対する厳しい法的制裁が必要か。こんな話題の中、いきなり「教育の必要性」をHolkeri氏、説き始める。「女性に対する教育は国造りにとって最も大切だ。」(まあ正論ですね。) 「犯罪者Militiaにも母親がいたことを忘れてはならない。」(…だから?) 「悲劇を繰り返さないためにも、二度とMilitiaのような犯罪者を育てないためにも、母親となるべき女性への教育が大切だ。」(ウッ…)。俺、心臓が止まりそうになり、慌てて聴衆、特に地元女性リーダーの顔を見る。依然シーンとしているので、通訳のShimaoが気を利かせた模様。良かった。●まったく。どーしようもない失言。これじゃまるで、この国の悲劇が全て女性の責任であると言っているように聞こえる。女性は一番の被害者なのに。●終了後、車中で当のHolkeri氏に、それとなく、あれは誤解されても仕方のない発言だった、と指摘する。Holkeri氏、顔を硬直させ、額に汗をかきながら、失言であったことを認める。かわいい。どんなバックグランドで国連総会の議長になったか知らないが、かわいいけど、アホ。●昨年11月の国連安保理議長、そして今日の国連総会議長と、国連で考えられるトップをホストする機に恵まれた。次は誰か。

(スアイ教会虐殺現場に献花をするHolkeri氏)

(国連総会議長Holkeri氏と俺)


2001年1月15日月曜日
TCWG:Tactical Coordination Working Group(TNIインドネシア軍との信頼醸成円卓会議)於Laktutus(西チモール)。午前9時にヘリで出発。Bululik Ratan(コバリマ県側国境の町)に一旦着陸。国境越しのTNI基地の連絡を待って、再び離陸。Laktutus着午前10時。●前々回から気が合っていた、インドネシア政府法務省官僚をまた見かけ話が弾む。インドネシア政府がAtambuaのUNHCR職員殺害事件後結成した難民問題処理のためのタスク・フォースの上級スタッフ、Allagan氏だ。とにかく西チモールのMilitiaの武装解除が先決。これが解決すれば、東チモールにとって外的脅威がなくなり、国境でPKFとTNIが銃を突き付け合う理由がなくなるのだ。TNIによる武装解除プログラムは、今のところボランタリーな武器引渡しだけ。アフリカなどで一般的になっているインセンティブ重視の武装解除、Buy-Backプログラムなどはまだ思考の外。今、西チモールの難民キャンプは、例のUNHCR事件後全ての国際団体が撤退したので、かなり飢えている。この状況だからこそ、Buy-Backのインセンティブは有効に働くだろう。この同意をAllagan氏、そしてTNI西チモール国境地域最高指揮官Kusnadi大佐から取り付ける。●スアイ到着後、すぐに上記のプロポーザルを在ジャカルタ日本大使館に打診する。どう出るか。

(Laktotosにて。俺、Allagan氏、Bobonaro県知事Giani氏)

2001年1月16日火曜日
Alipioに議長をさせる最初のスタッフ会議。まだ少しオドオドしているが、まあ何とか2時間で治めた。国際職員もちゃんと忍耐力と包容力を見せた。大いに結構。

2001年1月17日水曜日
毎週のDistrict Security Council:県治安評議会と、District Advisory Council:県政評議会。先週の宿題だった、軽犯罪をコミュニティで解決するシステムCommunity Mediation Council、改名Community Restoration JusticeのTOR完成。文民警察スアイ署長Paulaが忙しい中、良くやってくれた。これは、地元から審判員のリスト(10名くらい)を予め作っておき、案件に応じて3人の審判を任命し、軽犯罪に於ける罰則の調停を行なうもの。数週間内に実施に向けて下準備を行なう。県政評議会で満場一致でTOR承認。●今日の県政評議会も、副知事Alipioに議長をさせる。少し板についてきたか。でも、元教師の経歴からか、説教っぽくなる癖がある。この辺の性格が、将来災いしないと良いが。

2001年1月20日土曜日
朝から、副知事Alipioに毎週ディリに送る週間業務報告書の書き方を手ほどき。教育担当Filipeと、公務員人事担当Indraを補佐役に任命する。「地方の声」を効果的に、かつ刺激的に中央に伝えるコツ。これをAlipioはこれから学習しなければならない。

2001年1月22日月曜日
朝からオフィスのゲートの前に50人ほどの労働者達がデモ。UNTAETが実施してきた道路修復工事などの開発事業の人夫の仕事にあぶれた連中らしい。全員とやりあうと収集がつかなくなるから、リーダー格5人を選べと言い、オフィスに招き入れる。生活苦など一連の苦情。しかし、どうも、鬱憤は違うところにあるらしい。●今まで我が県では、事業の日雇い労働者の斡旋をCNRTに任せてきた。以前は俺の国連職員District Field Officerたちが手配してきたが、当のCNRTの県代表がその選考方法にイチャモンを付けて以来、じゃあ、お前らがやってみろ、と任せてきたことだ。今日のデモの連中は、どうも、このCNRTの選考が縁故主義Nepotismに陥っていると、訴えたかったらしい。この頃、めっきりシカトしている県CNRT代表Alvaroの弱みをもう一つ掴んだ。ひとつ、揺さぶってみるか。●副知事Alipio、文民警察スアイ署長Paulaに叱られる。先週から我が県では、文民警察が交通安全キャンペーンを敷き、町の中の数カ所にチェックポイントを置いている。なんと、Alipio、無免許運転で引っかかったらしい。先日俺に言われてから、こそこそ人目につかないように運転していたらしいのだが、引っかかったのはもう数回とのこと。今日遂にPaulaの堪忍袋が切れた模様。といっても、このオバさん、中々太っ腹。報告書は俺宛てのだけに留め、ディリには報告しないと。Alipio、恐縮しきり。それを横で見ていた俺は、不肖息子の親の心境。

(国連職員がカンパして、ディリの大会に送り出した県代表徒競争選手(左。右はコーチ)。100M、12.1秒で優勝。東チモール一に。)

2月11日まで、日本で休暇。