2000年7月の分

2000年6月29日木曜日
3週間の日本での休暇の後、昨日東チモール着。ディリ滞在。留守中のDA代理、Desmondと落ち合い、ブリーフィング。●BecoにおけるCNRTとRDTLとの衝突。フォローアップとしてわざわざPolitical Affairs Sectionのヘッド、ガルブレイス(あのガルブレイスの息子)が来たそうだ。ヒマなことよ。●DFO(District Field Officer)の一人、パキスタン人Aに対してPKFから正式な苦情。こやつ、虚言症が祟ったか。俺の権威を傘に、こやつ担当のFatumean郡においてMilitaryはこやつの命令下になくてはならないと、住民とここのPKF将校にぶったらしい。たぶん、こやつの契約の更新はないだろう。

2000年6月30日金曜日
Suai到着。日本の家族には悪いが、別の意味で家に帰ってきたという感じ。●パキスタン人スタッフAのケース。Fatumean郡の小隊隊長の苦情書を読むと、たしかにAの虚言は良く想像できるが、このくらいのことでいちいちキャーキャー、レポート書きをするこの将校もけつの穴が小さい。●また、テントの中で日記付け。かび臭い。

2000年7月1日土曜日
朝から、新任のDirector of Administration(DOA)がディリから視察のため特別ヘリでSuai入り。なかなか話しの分かるもう60近いオランダ人。UNミッションに人生を賭けてきた感のあるジーサンだ。大いに好感を持つ。PKF Sector WestのBrigadier General Lewisと一緒に会談。●このミッションの特徴とも言える、UNの活動費を賄うAssessed Budget(来年度約600億円)と将来の東チモールの国づくりのための全ての投資を賄うTrust Fund(40億円!!!)の二重構造からくる非効率性を問題提議する。つまり、PKFオペレーションにとっても重要、なおかつ将来のこの国の開発にとっても重要と見なされる幹線道路の整備が、この二重構造のお陰で、担当オフィスの間で責任の押し付け合いが起きているのだ。かなり利いた様子だったから、フォローアップがあるだろう。●昼からPKF関係の行事。ニュージーランド隊の誕生日だとか。PKF Force Commander General Santosもわざわざディリから。もちろん俺も特別来賓として招かれていたが、面倒くさくなり夕方のPKFパレードの謁見と晩餐会はすっぽかす。俺はつくづくこういうのには向いていない。●来週からは、意識して住民とのTown Hall Meetingと農作物の視察の機会を増やそう。PKFなど相手にしているヒマはない。

2000年7月2日日曜日
Pakistan通信部隊から朝食に招かれる。Acting SRMOも一緒。夕方も、Pakistan 工作部大隊から明日の夕食会に誘われる。なんだ、この擦り寄り方は。●その他は、至って平和な日曜日。少し日本ボケを何としなければ。

2000年7月3日月曜日


午後1時からDistrict Security Council(DSC:治安評議会)。2時からDistrict Advisory Council(DAC:県政評議会)。DSC発足は、休暇に行く前に下準備をやり、DA代理のDesmondが俺の留守中仕切るはずだったのが、いつの間にニュージーランド大隊の隊長に乗っ取られていた感じ。FalintilやFSP(CNRTの自警団)も参加させており構想通り機能しているが、これはあくまでDAが仕切るものだ。今日は休暇から帰って来たばかりという事で俺は傍観する言っておいたが、来週までには何とか最初の構想に戻さなければ。●DACは、CNRTの参加が中弛みを起こし始め、俺の留守中は全てお流れになったらしい。今日のもCNRTからはたった二人、それも一時間遅れ。全くどうしようもない。DAC設立の前は、Sidelineされていると不平をたらたら。DACを始めてみれば、内輪の政治活動が忙しいかなんだか分からないが、出るヒマがないという。忙しい割には、UNTAETや国際NGOへの不平不満はちゃんと言う。今日も一つ二つのぶつくさ。一つは、UNHCR主催のGo and See Visitのこと。これは、西チモール残留の難民の代表をVisitさせて、西で未だに続いているMilitiaによる反帰還のプロパガンダに対抗して東チモールの正しい状況を把握してもらおうというもの。大虐殺のあったSuai Churchで先週実施。その代表団の中にSuspected Militiaがいたものだから、大反発。確かにSuai Churchでやったのは全くSensitivityに欠けるが、これを文句という形ではなく、DACとして、この手のイベントを監督するという権威の行使に何故積極的に参加しないのか。「不平」でなく、「Agenda」を何故ここに持ち寄らないのか。こういうふうに説く。納得した模様。次回のDACが楽しみ。

2000年7月4日火曜日


朝からTCWG。いつも通りヘリで、しかし今回は、西チモール、Atambua。西チモール側の3人のボパティ(知事)とインドネシア政府のCustom Officerも加わる。内容はちょっとマンネリ化してきたか。目立ったのは、10日前にBobonaro県内ボーダーから20Kmも中の町で起こったMilitiaによるPKF Baseへの6個の手榴弾での攻撃。TNIによると、手を尽くしているが、とにかくこういうExtremistは西チモール内では大人しく、東チモールへ行ってはじめて悪さをするので、TNIとしてなかなか手が出せない、とのこと。●このTCWG、そろそろCivilianで乗っ取ることを考えないと、いつまでもMilitary主導では示しが付かない。UNTAET HQのPolitical Affairs Dep.がBorder Meetingを開こうとしたが(5月?)、エゴの問題が顕在化してお流れ。ここは、Fieldから新たな試みをしなければならない。BobonaroのDAに、一つのアイディア、西チモール側と一緒にボパティ・フォーラムを開くことを提案したら乗り気だったので、この線で行ってみるか。その際には、UNTAET側は我々外国人だけでなく東チモール人を如何に巻き込んで行くかが問題。●Suai帰還午後2時。さっそく昨日のDACにおけるCNRTのずる休みの問題のためにCNRTの県リーダーと会談。何と、Empty Stomachでは何も出来ないと、DAC出席のための「手当て」の不在を欠席の理由にしやがる。典型的な発展途上国のメンタリティーになってきた。まあ、とにかく、そういう「手当て」の制度も含めて全てを協議決定するのがDAC。これに出てこないと何も始まらない、と説得。納得した模様。やれやれ。●夕方、スタッフ会議。大失敗。ついに切れてしまった。国連車両の使用のことだ。情けない。こんな簡単な規律が、スタッフには守れない。DA代理のDesmondは、俺の留守中、かなり切れまくっていたらしい。とにかく、車両のコントロールは、組織のIntegrityを地元社会にExhibitするもの。妥協は許さない、ことを、切れたことを詫びつつ納得させる。これからも絶対切れないよう気をつけよう。

2000年7月5日水曜日
DA会議のためディリ入り。●アウンサン・スー・チー批判を展開し日本の人権エセ左翼から総スカンを食っている女傑、吉田鈴香、東チモール入り。

2000年7月6日木曜日
DA会議。チモール人DA(ETDA)のこと。噂がすごい。やはり、ボパティはPolitical Positionだ。13県全てで一斉に配置とか。ディリ、バウカウを含めた6つの県でまず始めるとか。Oecussi、Bobonaro、CovaLimaの3つの国境県は、まだETDAには早過ぎるからまだだとか。●今日の話しだと、UNTAET本部でもCNRTとのPolitical Talkに翻弄されているらしい。とにかく、今日現在の状況は、6人のETDA候補をCNRTとしてではなく、Xanana自身が推薦して、本人達の確認後2人が最終選考に残っているとのこと。●ボパティのような地方の長の選考方法は2つしかない。地方選挙か、中央からの任命。来年に控えた総選挙前の状況では、中央からの任命しかない。その際には、最大限の公正さをアピールすること、これしかできない。とにかくこの件に関しては、DA達は過去2ヶ月Inputを提示してきた。もうやることはない。任命されたETDAが、残るInternational専門家・スタッフ達と県政を維持できるよう最善を尽くすのみ。●やはりCovaLimaの状況だからだろうか、まだ自分自身がDoerになって復興作業を指揮しなくては、という気持ちが拭い切れない。このジレンマと戦わなければ。とにかく、長居は禁物なのだ。

2000年7月7日金曜日
早朝ディリからヘリでSuai帰省。●Health Sector Civil Service Payrollのことでもめる。県立病院を運営するNGO、Medicine Dumondeから苦情。今では80人になった病院スタッフの、公務員としてのPayrollへの移行が全然進んでいなかったらしい。担当のIndraに対する苦情。MDMの予算で払えるのは今月の終わりまで。今月中にPayrollに乗せる手続きを済ませないと、またストライキということになりかねない。●とにかく、人事院にあたるCISPEと、各省の連絡がものすごく悪い。これが現場まで派生して、俺はCISPEの直属だから、厚生省のPayrollのことは上から指示があるまで直接手を下さない、というIndraの態度。典型的な役人根性。大いに叱る。

2000年7月8日土曜日


7時から、JICA関係者、日本大使館連絡事務所、総勢8名の日本人のSuai来訪。吉田鈴香女史は、Suaiに引き続き滞在。●UNMOによるMilitaryブリーフィングの後、フィリッピン人司祭Reneのところへ。俺の知らぬ間に、Seed Multiplicationなど良いプロジェクトがUNTAETとの提携で行われている。良いサインだ。(写真は、地元の材料をフルに利用した種子の苗床。ガンビア人農業専門家S)

2000年7月10日月曜日


朝から、CNRT District Congress(県大会)。8時半始まりを9時と勘違いして遅れて到着してしまう。観衆400人くらい、CNRT Centralからの来賓、PKFニュージーランド大隊隊長などを待たせてしまう。恐縮。トリで演説。UNTAETのことを the longer staying, the more problem creatingといったら大いに受けた。とにかく、CNRTはまとまらなくてはならない。さもないとUNTAETは行政移行のターゲットが絞れず、結果としてUNTAETの存在を長引かせることになってしまうだろう、ということを強調。●その後、吉田鈴香を連れて、PKF Sector WestのBrigadier General Lewisを訪問。彼女、良いインタビューをする。●Lewisに現在のEast Timorese DAの採用政策を説明する。Sector Westが管轄する二つのボーダー県(Cova Limaと Bobonaro)においては、対インドネシアの問題があるため、ETDAの採用をTCWGの進展に合わせて計画的に運ばないといけないと強調。このために少し骨を折ってくれるよう提案。Lewis快諾。出来るだけ早くETDAに引き継ぎたいが、いきなりDiliから指示されるのはダメ。現場がProactiveでなければならない。●1時からDistrict Security Council。PKOニュージーランド大隊隊長, PKOパキスタン工作大隊隊長, UNMOs(国連軍事監視団)隊長, CivPol(国連文民警察)スアイ署長、そしてFalintilの3人の将校(例のカッコイイおっさん達)。そして俺がChairman。前回からの議題だった、Natural Disaster Action Planの草稿の承認。●途中、PKF ニュージーランド大隊が極秘で行ったMilitiaの基地一掃作戦の計画(Operation KATANA)を、UNMOが事前にTNIに知らせてしまったことを巡って、PKF隊長とUNMOが険悪なムードに。PKFにとっては、極秘作戦なのに"身内"から漏れたとは何事か。TNIからMilitiaに漏れない可能性はゼロではない、ということ。UNMOにしてみれば、一応中立な立場ゆえ、もしPKFの極秘作戦をTNIが全く知らずに両軍が接触したときに、驚いて発砲ということになる可能性を無視できない、ということ。平行線。俺は、どっちの言い分ももっともだが、この極秘作戦の(具体的な作戦執行の日時ではなく)Sensitivityだけに焦点を当ててTNIと確認する場を持ったらどうか。この次のTCWGが良いだろう、と提案、まとめる。やれやれ。

2000年7月11日火曜日
朝一番、スタッフ会議。●UNMOのHQ、新任のトップがディリから俺に表敬訪問。ニュージーランド人のBrigadier General Gardener。なかなか庶民ぽい男。●午後は、USAIDディリ事務所から表敬訪問。TEP(Temporary Employment Project)の視察のため。当初の10万ドルに加えて7万ドルの上乗せを正式に決定される。どんなもんだい。

2000年7月12日水曜日
ディリのGender Departmentのスタッフが、これも何の予告も無しにSuai訪問。本人は、ちゃんと"手紙"で連絡したと主張。アホか。ここはSuaiだぞ。●午後、PKF Sector WestのBrigadier General Lewisと、PKFによる人道的援助について、ちょっともめる。まあ、PKFの人気取りは今に始まったことじゃないが、ギブ・ミー・チョコレートの乗りでやられると、こっちの"開発"と不和を起こす。納得してくれた模様。●UNTAET CivPolから建物を奪い返したコバリマ教育委員会の事務所再建の問題再び。教育委員会の長老、軟弱にもトタン板の提供を要求してくる。大見得切って奪い返したんだから、伝統的な藁葺き屋根できめてみろ。教育者たるもの、子供たちに国家建設の根性を見せんのかい、とハッパ。そのための労働賃金の補助なら出そう、と譲歩。

2000年7月13日木曜日
賄いの女性が病気で来ず、ここ数日非常食で飢えをしのいでいる。惨め。●ガンビア人農業専門家Sにまたもやディリ農業省からのいじめ。世銀のCommercializeされた農業政策に真っ向から反対し、SRSGデメロのSuai入りの時に対抗策をぶつけたのが5月。それ以来、ディリ農業省ヘッドのフランス人(世銀の太鼓持ち)と事ある毎にぶつかってきた。このアホなフランス人、それを根に持ってSの契約更新にいちゃもんをつけてきた。見下げたヤローだ。こっちには、Sをはじめ中央の開発政策レビューのプレゼンを行ったスタッフの労をねぎらう、デメロが俺に宛てた感謝状がある。目にモノを見せてくれる。「実情に合わない」と世銀の農業政策を東チモールで一番被害を受けた県の現場から良心の目で批判したガンビア人農業専門家が、その発言故に離職を余儀なくされている、と騒ぎ立ててやろうか。

2000年7月14日金曜日


新しいオフィス(神戸ハウス)に移る。Spacious!●朝、このオフィスの近くのKasamesa村の長が俺に面会要請。UNTAET Suai電力所のチモール人職員が、各戸に電気を引く工事に対して(今のところ全てがUNTAETからの無料のサービス)、"不正に"料金を徴収した、と苦情を持ちこむ。ついに来たか… 今まで「手当て」の支払いだけで約15人の電力技師を維持してきたが、この7月からの予算年度に当たってSustainableな公務員雇用計画という建前から、半分にレイオフの実行をすることになっていた。それと、「公共サービスに対して徴収する」というシステムがまだ無い一方で、「徴収してはいけない」という罰則もまだない。つまり、この村のケースでは"不正に"に徴収した職員の名前までがはっきりとわかっているが、それを罰する規則がまだないのだ。かといって、現地政府としての俺が何もしなければ、この村の手前、無政府主義を容認するようなものだ。●しようがないから、一応ケジメをつけるために、CivPol(文民警察)に"捜査"させることにした。そこで、CivPolの中では一番Suai勤務が長く地元に溶けこんでいるアラバマ男Hに依頼。彼、張りきって、当の職員を尋問しに飛び出した。一日かけて、この職員がこの村に謝罪、徴収した金を全額返還と言うことにまとめる。上出来。明日朝、俺の前でこの金を引き渡す儀式を行う予定。●しかし、残念な事件だ。レイオフされる職員達の境遇を鑑みて、彼らのIncome Generating Projectとしてこの県独自の徴収システムを考え始めた矢先のこと。残念だ。

2000年7月15日土曜日
新しいオフィス(神戸ハウス)にテントを移す。●吉田鈴香、ディリに帰る。●昨日の電力技師の不正事件。朝、時間通りに、金を返しに現れる。なかなかよろしい。しかし、村側が出した被害者リストに不満がある模様。一応800,000ルピアだけは取り上げ、CivPolの金庫に保管することに。月曜日に、被害住民全員を集めてまた会議。やれやれ。●ディリから帰ってきたFAO(Field Administrative Officer)から、オフィスは住居を兼ねてはいけないというのが国連のルールだと告げられる。現場の状況を考慮しない国連官僚主義。唾棄に値する。

2000年7月16日日曜日
Zumalai駐屯のネパール隊の招待で昼食。そのあと、皆でビーチへ。スカッとする。

2000年7月17日月曜日
朝から、一昨日の電力技師の不正事件の調停。被害者の村の長と当の電力技師、CivPol Suai署長の立会い。例のDisagreementは、週末にCustomary Solutionがなされた模様。こやつに、このほかの余罪が判明したら留置所行きだぞと脅し、まあ一件落着。●11時より、英国Kings collegeからのDelegationとBri. Gen. Lewisを交えて会談。UNTAETに雇われて、将来の国防軍としてのFalintilの将来に関するシナリオづくりのため。Falintil幹部、UNMO隊長,CivPolスアイ署長も同席。結局は、経済の問題。果たして、国防軍を維持できるほどの経済力が東チモールに備わるのかどうか。もし外に頼るなら、国連として軍隊を作るとは、一体どういうことなのか。国連がダメなら、二国間援助か。だとしたら、中国の介入などInternational Politicsに翻弄されずにするにはどうした措置が必要なのか。(アフリカの内紛を例に) 以上が俺が提示した問題点。●警察と国防軍の両方を維持できる経済力が期待できるだろうか。両方を掛け持つ軍を作るのか。●Falintilの将校が発言。国防軍(Falintil)は国境付近に配備されるべきではない。TNIとの衝突で全面戦争の可能性があるから。だから、国境警備は警察に任せ、軍は内地に配備し、PKF Pakistan工作隊のようなインフラ整備に従事するべきだと。なにを軟弱な。●午後1時から、District Security Council。続いてDistrict Advisory Council。新しいオフィスで始めて。アジェンダの用意などロジがちょっともたつく。大変シビアなスタッフ不足での運営だから多目に見るか。●夜は、スアイ教会司祭Reneの招待で夕食。賄いの女性がこの一週間ずっと休みでヒモジイ思いをしたいたから大変助かる。


(名物司祭Rene。UNTAETが出すペットボトルを回収し種子の苗床用の容器に転用するプロジェクトを発案。頭が下がる。)

2000年7月18日火曜日
また日本から取材の申し込み。今度もテレビ。日本テレビの「今日の出来事」で放映するためらしい。あまり調子に乗らないように気を付けよう。平常心。自然体。自分を良く見せようとすると必ず失敗してきた。これが俺の半生。●世銀の保健政策。各DistrictでリーディングNGOを指定し、District PlanのContract Outを行う。一見画期的なアイディアだが、各ドナーの金を世銀主導のTrust Fundに集め、そこからNGOに流すという、中央集権、NGO奴隷化の魂胆が見えてきた。医療品その他の購入も全てUNTAETが中央で行うというもの。NGO独自のフットワークの良さが損なわれる。今日送ったDistrict SitRepでこれを問題提議した。正式争議されるまで、執拗に載せてやる。「農業政策」の時と同じような騒ぎを起こしてやるか。

2000年7月19日水曜日
かなりヒモジイ。しかし、昼飯は、やっと中央市場に出来た掘建て小屋のレストランで、ハエだらけになりながら摂る。●USAID TEPs (Temporary Employment Project: DAに10万ドルづつ、道路補修など復興事業の労働賃金として自由裁量で使えるという、痒いところに手が届くプロジェクト。さすがアメリカ! 発想が違う。大嫌いだけど。)の賃金を村に払いに行った我が出納課の東チモール人チームが、支払いをめぐって100人くらいの人夫ともめ、出納課2人が人質に取られる事件が発生。この出納課チームを管理するアメリカ人スタッフが顔を真っ赤にして報告に来る。CivPol(文民警察)の出動要請を、とかなり興奮している様子。もう伝えてしまったらしくCivPolスアイ署長(カナダ人)が俺の部屋の外で待っている。Calm Downとたしなめ、事情を聞く。支払い書類をこちらが紛失したというお粗末。それをうまく説明できなかったということが判明。その出納課2人に身の危険があるのかと聞くと、現場を見たわけではないのでわからないという。アホ。しょうがないから俺が通訳を伴って一人で行くことに。一人で大丈夫か、とアメリカ人。一人で敵陣に乗り込んでくる外国人を襲うほど東チモール人は馬鹿ではない、と言ってやる。●2人が捕らわれているというSalele郡の村まで車で20分。100人くらいの男共の群れが見えてくる。俺の車を見つけると奇声を上げ始めている。近づいて行くと、知事の俺が来たことに目を丸くしている。捕らわれの2人がいたのは、郡地域リーダーの事務所のテラス。車を降りつかつかとテラスに。2人は笑顔で談笑している。そら見たことか。とにかくこのテラスから通訳を通して演説。問題の支払いは、こちらの落ち度だから全て後日中に支払う。しかし、苦情を表現するのは良いことだが、人質を取るような手段は良くない。いつでも俺の事務所の戸を叩けと。ニヤニヤしている。いい機会だから、その他の苦情も言ってみろ、と子一時間。●無事、2人を伴って帰還。すぐにかのアメリカ人スタッフを呼んでたしなめる。国連軍や文民警察が、ここの住民に銃を向けるようなことは、俺の県では許さん。それを口にすることも断じて許さん、と。

2000年7月20日木曜日
家が見つかる。オフィスから歩いて3分。理想的。電気は無いが水はある。

2000年7月21日金曜日
BecoでまたあのRDTLが大会を開くというのでPolitical Affairs OfficerのOとCivPolスアイ副署長を送る。ニュージーランド大隊の隊長もアテンド。ディリからRDTLの幹部が来て、これがとんでもないAgitatorで大変な騒ぎになったらしい。何と、Becoのコミュニティホール(元の政府のもの。であるからDAである俺の管轄下)をRDTL県本部と宣言したらしい。これに、CivPolとPKFが色めき立ち、その建物はPKFが占拠すると挑戦。今日からPKFネパール隊が常駐することに。いやな兆候だ。結局は銃で脅すようなものだ。とにかくCivilianの主導でRDTLとCNRTのレギュラーなPreventive Measureをやらなければならない。次のDistrict Security Councilで協議。たぶん、District Advisory CouncilにレギュラーObserverとしてRDTLのリーダー達を招くことから始めなければならないだろう。Oと作戦を練ろう。

2000年7月22日土曜日
昼から、Zumalai郡のPKFネパール隊を中心に開催するCultural ShowとUNTAET主催のバレーボールとサッカーマッチ最終日。この郡の11の村の対抗。ネパール人DFO(District Field Officer) Pの骨折り。300ドルの予算で商品など全ての出費を賄う。商品のユニホームやボールは、東チモール国内では手に入らないので、UNMOに依頼して西チモールAtambuaで調達。商品の授与は俺とPKF ニュージーランド隊、パキスタン隊の隊長が行う。

2000年7月23日日曜日
昨日の行事で疲れきっているのに朝からニューヨーク、PKO本部からのDelegation。来年の総選挙に向けてのシナリオづくりのインタビュー。2時間ほど応じる。問題の焦点は何と言っても、選挙のためのRegistration。特に西チモールに残留する難民のそれ。彼らを参加させないと民主主義の手前どんな選挙もLegitimacyが無くなる。しかし、どうやって全員を帰還させるのか。帰還には警備が必須。現在のCivPolのキャパは35名。週300名ほどの帰還だけでもう限界状態。大勢で押し寄せてくるとしたら、帰還のメイン入り口であるこの県はカオスになる。CivPolの増員と根気の要るRepatriationを担うDFOの増員、俺の事務所の車両などのロジ増強が必須、と言ってやる。●西チモールで選挙登録をする場合どうなるのか? 今月初めに始まったUNHCRの状況把握のためだけの難民Re-registration作業もMilitiaによる執拗な妨害で中断状態。今のところ決定的な解答なし。●新しいオフィス(神戸ハウス)に移ってきて業務は快適そのもの。前オフィスは、全く事務所の体裁をなしていなかったけれど、水と食事のアレンジはあった。しかしここはエアコン、ディリと直通のデジタルフォン、インターネットカフェ、何でも完備。しかし肝心の生活用水と食事がない。アホみたい。しかし、ひもじい。早く共同キッチンを建てて食事の賄いさんを雇わなければ。●朝、インターネットカフェでメールを調べようと思ったら、5台全部のターミナルがポルノサイトに繋がっていた。昨日深夜番のCivPolの仕業らしい。さっそく張り紙を壁に張る。Don't Browse Pornography. Masturbate in your tent only.

2000年7月24日月曜日
午後1時よりDistrict Security Council。BecoでのRDTLの対処について。PKFとCivPolによるRDTL拠点封鎖は、当日の成り行きではベストの解決方法だが、はやりMilitary Forceで黙らせたことは、Civilian Governmentとして情けない。Preventive Measureを今からでもやるべきであるという俺の決意を表明。皆賛同。今週中に俺主体でReconciliationミーティングを持つ。●District Advisory CouncilにRDTLの代表をオブザーバーとして参加させたら、と「探り」の提案をする。Falintilの将校が発言。CNRTはUNTAETのLegitimateなパートナーであり、東チモールの人民を代表するConsortium(独立を支援する政党の集合体)と理解されなければならない。それに対して、RDTLは一つの政治政党であり、もしRDTLにLegitimacyを与えれば、その他の個々の政党にも同様の扱いをしなければならなくなる。よって反対。ごもっとも。この意見が聞きたかった。●朝から、Militiaの集団とPKFが県内のボーダー山間部で遭遇。この集団はPratoon規模(30ないし40)。自動小銃、手榴弾を使ったかなりの交戦。この交戦中、ニュージーランド隊兵士が一人Missing In Actionとの報告。西チモールへの逃走を阻止するためにBlock作戦を敷いているが、まだ捕まえていない。●夜は、スアイ教会司祭Reneのところでご馳走になる。ウイスキーも出てほろ酔い気分で帰宅。テントでこの日記を書いている途中、Military Briefingから帰ってきたSecurity Officerが報告に来る。Missing In Actionの兵士が死体で発見されたとのこと。俺の任期中で2人目の犠牲者。銃撃戦で初めての死亡。酔いが一辺で吹っ飛ぶ。●Pratoon規模のMilitiaが潜入してきたことは、大いにDisturbingだ。明日は忙しくなりそう。

2000年7月25日火曜日
昨日死亡のPKF兵士。まだ24歳。頭部を撃たれて即死。その後、首をナイフで引き裂かれ耳を削ぎ落とされていた。Mother Fucker! Militia野郎! ●昼には本国に向けてSuaiから輸送機で。この間、CivPolがいちゃもんをつけ、機の出発が遅れる。Suai署長に罪は無い。CivPol本部がいかん。つまりこの県で起こった殺人事件だから、死体の国外への輸送にはディリのCivPol本部の承認がいると、Suai署長に指示したらしい。善良なSuai署長はSuai空港に急行。機の出発に待ったをかけて、PKFと非常に険悪な雰囲気になったらしい。俺がその場に居合わせたら怒鳴っていただろう。●注目を集める事件が発生すると、各関係組織がそれぞれの自己主張、Identity確立のために、殺到する。エアコンの効いた部屋でふんぞり返り、現場にちょっかいを出す"本部"。"本部"の集合体であるミッションの病巣だ。

2000年7月26日水曜日


TCWG(Tactical Coordination Working Group) at Batugade (東チモール側ボーダー)。いつもの面々。Pumaヘリで。ニュージーランド大隊隊長は、一昨日の事件対応のため欠席。Majorが代理出席。●同事件後、どんな面をさげてTNIが望むかと興味しんしんだったが、TNIの音頭で黙祷。PKFからは、事件発生後迅速にボーダー全域に兵を展開させたTNIの労を称える。●TNIのもっともな言い訳。西側では何の罪を犯していないHardcore Militiaを逮捕した場合の奴らが煽る暴動を恐れている。PKFにおいては、東側でMilitiaを見つけた場合躊躇無く発砲して欲しい。(おいおい)●西チモールのUNHCR責任者が発言。UNTAS(Self-style 難民代表組織)は、今週週末にBatugade - Motaainで予定されているFamily Reunionを徹底的に妨害する、という声明を出している。●前から議題に上がっているBorder Riverの西チモール側の灌漑プロジェクト。建設は停止しておらず、Border Riverにもうちょっとで達するまで進んでいる。こちらとしては、UNTAET、インドネシア間の外交合意がなされるまでこの工事はストップされるべきだ、と以前からの主張を展開。TNIは、さっそく地方政府に掛け合い、工事ストップのために尽力すると約束。今日のTNIは志雄らしい。●Batugade12時発。途中、Bobonaro県内Bolaboにあるオーストラリア隊基地に着陸、PKF Sector West Bri. Gen LewisとBobonaro県DA、オーストラリア大隊隊長, ニュージーランド大隊隊長代理と俺だけで昼食を兼ねた会議。これは俺がBri.Gen.Lewisに前に提案していたもの。"Timorizing Border District"。東チモール人のDA任命は完全にPoliticizeされている状況で、一番Sensitiveな3つの県のTimorizationを他の県と同じように進められるかどうか。現状況でTCWGに東チモール人を参加させられるかどうか。もし今できないなら、いつできるのか。俺の音頭でブレーンストーミング。●一応の合意は、現状況では東チモール人DAやFalintilをTCWGに参加させるのは無理(去年の悲劇からまだ一年も経っていないのに、チモール人にTNIと握手しろなんて言うのは無理だろう)。Border Control Commissionについての外交レベルでの進展を見据えて、警察間協力、税関協力、共通資源活用協力の枠組みがUNTAET国際職員によってできるまでは、この3つの県への東チモール人DAの任命は慎重に進めるべき。こういう提案をPKF Sector WestとしてPKF HQを通してSRSGに進言することを同意。

2000年7月27日木曜日
朝9時より、RDTL問題の件でBecoへ。RDTL代表と10人くらいの長老達と2時間話しこむ。●21日の騒動は、結局はディリからやってきた党幹部の言いなりで決起し、PKFに押さえられた恰好。ここの連中はいたって物静かな奴ら。とにかく、Militiaの制圧こそPKFの役目なのに、政党同士のこんな小さなごたごたにPKFを出動させたのは、全く恥ずかしい。Civilian Governmentの長として、Militiaでなく県民に銃で睨みを効かせている事態を招いたのは、大変恥ずかしい。と、こんなふうにしみじみ説得すると、皆下を向いて黙っている。かなり効いた模様。●CNRTとのReconciliationミーティングは必要か、と効くと黙って頷いている。とにかく、うちの若いもんがCNRTに袋叩きにあったことがきっかけとなって、21日の決起になったんだ、と訴える。●来週に、CNRT県幹部を呼んで、Reconciliation Meetingを開くことで同意。後は、CNRTとの寝回し。政治状況が目まぐるしく変化し、中央からの横槍がどんどん来ることが予想される中、1回こっきりのReconciliationじゃだめ。これを定期的にやらないと意味が無い。●その後、車に飛び乗りDA会議のためディリへ。●東チモール人DAが任命される最初の6つの県の一つにCova Limaがなることに。昨日のTCWGでの同意と平行して、積極的にこの決定を受けなければならない。何と言っても、このチモール人への責任移行が、俺が自分自身に課した任務の一番の要。たとえ今のボーダーの状況が東チモール人のTCWGへの参加に最適なものでなくても、別の分野での移行のメニューを早急に作って実施しなければならない。一番移行が難しいとされるこの県で、一番最初に一番最適にそれがなされるよう。とにかく、前に進むのみ。

2000年7月29日土曜日
ディリ。朝は、La'o Hamutukの編集者Joe(アメリカ人)から、世銀の農業政策についてインタビューを受ける。CARE Internationalのアメリカ人を通じて、面白いDAがいる、と伝わったらしい。記事に書くときには匿名、ドラフトの事前の提示を条件に話が弾む。2時間ほど。●その後、スアイの名物神父Rene(フィリピン人)から預かった草の根無償基金へのプロポーザルを日本政府連絡事務所に提出。●夜は、同じくディリに所用で来ていたReneの招待で、教会のパーティ。エラクご馳走になる。●途中、俺の留守中のDA代理のOから緊急電話。今日の午後、Saleleボーダー近くで、東チモール民間人がMilitiaと見られる2人組に狙撃されたとのこと。命に別状は無しとのこと。

2000年7月30日日曜日
アジアプレスの綿井氏を伴ってスアイへ。同氏はこれから1週間滞在。●午後2時オフィス到着。日曜だというのにCivPolもUNMOもフルで働いている。ちょっと異様な雰囲気。さっそくUNMO隊長からブリーフィング。Saleleで民間人を狙撃した2人組の一人は、TNIの制服を。30〜40発、セミ自動小銃で撃たれたらしい。そもそもこの遭遇は偶然で、逃げるところを後ろから。●もう既に様々な噂が町中に。木曜日に俺がディリに発ったことも、UNAMETの時のように国連の長が逃げた、と噂が流れたらしい。それだけ俺の動向が見られているということ。●NGOの間にも噂が。ディリの彼らのHQでは、Cova Limaは大変なことになっている、という印象が。CAREなどは、スアイからの撤退を真剣に表明し始めたらしい。明日から1週間は、情報のルートの整備をやらなければ。

2000年7月31日月曜日
朝から、治安情報に惑わされる。UNMOとPKFからの情報が違う。PKFは、護衛付きでないと国境付近への接近はダメ。UNMOは、夜間を除けば心配無し、という。PKFは、ニュージーランド大隊隊長は、もう既にスアイから陣頭指揮をするために国境の町Bululik Ratanに移動済み、と言うし、UNMOはこれを否定する。CivPol(武装)は、もう既にBululikステーションから撤退させたし、UNMO(非武装)はまだ全然平気だと言う。夜、Bri Gen Lewisに相談する。やはり、回答は、俺主催のDOC(District Operation Center)の設置。頑張ろう。

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