2000年5月の分

2000年5月1日月曜日
ディリから、早朝軍用飛行機で帰省。滑走距離が短いCaribuというヤツ。乗員は定員17名。●8時過ぎに到着。すぐに月曜スタッフミーティング。その後、District Advisory Councilの準備。午後2時より初のDistrict Advisory Council。少し緊張。


2000年5月2日火曜日
朝7時に、TCWGのため出発。軍用ヘリ。西チモールのMota ainという国境沿いの町。TNIのバラックで開催。Polri(インドネシア警察)の署長も出席。両国の警察が顔を合わせた記念すべき日。●Polri側からリポート。東チモールから進入した「スパイ」を西チモールで逮捕、監禁しているとのこと。自白によれば、Suai在住のCNRTリーダーから資金を得て、西チモールのMilitiaの情報収集とMilitia幹部の暗殺の為に侵入したとのこと。このリーダーならDACのCNRT代表として招いたばかり。日頃から付き合っている御仁。何か臭い。TNIが、こちらがどう対処するか見るためのでっち上げか。でも、この名前の一致は、相当うまく仕組まれていると考えなければならない。●TNIが西チモールでMilitiaを訓練しているという噂について。真っ向から否定。インドネシア統治の時に初老の男達をTNIのこま使いのような要員を数多くリクルートする制度があった。それらが西チモールで難民となり、今でもインドネシアの公務員として給料を払っている。これらのTNIへの出入りが、Militiaを囲っていると勘違いされている、とのこと。もっともらしい。とにかく、これを騒ぎ立てているのは西側のメディアとか、聖職者たちだから、ここはTNIを信じたい。●写真はMota ainの東チモール側の町、Batugadeのオーストラリア軍の司令部。新型APC。数キロ先の人間の動きまで察知できるレーダーを装備。水陸両用。


2000年5月3日水曜日
この県の中学校教師のGeneral Assembly。演説をぶる。Suai churchにて。向こうに見える教会が、虐殺のあったところ。●またもや、UNTAET中央部の現場の現実を省みない馬鹿な政策。この時期に、小中学校の教師を篩い分ける国家レベルの統一テストの実施。こんな何もない状況で、教育が行われているだけでも奇跡なのに。それに加えて、ポルトガル時代、インドネシア時代の教師Certificateが入り乱れている状況。案の定、中央部の指示通りにことを運ぶと、テストを受けることも出来ない教師が数多く出ることが確認。教師達と一緒に、大いに怒る。●インド人電気技師が、UNTAETが現在使用している破壊された校舎の木材を使って、自分のベットを出入りの大工に作らせたということがSecurity Officerから通報される。Local Staffの間でもう既に広まっているらしい。大変怒る。ベットごと返還を命令。●PKFパキスタン部隊兵士による、地元女性に対するいたずら行為が2件通報さる。やれやれ。

2000年5月4日木曜日
PKFパキスタン部隊兵士によるセクハラの通報が続いて2件。もう既に町中に広まっている。女子供はパキスタン部隊の駐屯地の近くは歩かないようにさえなっているらしい。Security Officerと作戦会議。PKF Kiwi部隊にはMilitary Policeがいるが、パキスタン部隊にはいない。KiwiのMPは、パキスタン部隊を取り締まる法的権限はない。PKFを始め国連職員にはDiplomatic Immunityがある。CivPolには、地元に対する警察権はあるが、国連職員に対してはない。唯一取り締まれるのは、国連Security Officer。それでも、Mission外退去がせいぜい。困ったものだ。何せ国境を接する県だから、西チモールへの情報流出が問題。インドネシアのメディアの、UNTAET攻撃の恰好のネタになる。

2000年5月5日金曜日
パキスタン部隊兵士のセクハラ事件の対応で一日が暮れる。CivPolによるInvestigationが完了。ここでもCivPolの自分が牛耳りたいというエゴが顕著に現れる。Suia署長(カナダ人Kier)の代理のアメリカ人CivPolとSecurity Officerとの仲を持つ。これで、一応DAである俺がコーディネートしているという形がついた。午後、PKF Sector WestのBrigadier Lewisとこの件について会議。ここでも、Cova Lima県担当のKiwi部隊のCommanderが面白くないらしくちゃちを入れてくる。Lewisはさすが、Politician。Diplomatic Immunityのことにも憧憬が深く、HQを通してPakのHQ(Engineering部隊は別途のHQを持つ)に働きかける約束をしてくれる。その後、CNRTのリーダー達と会議。何故今まで黙っていた、と詰め寄る。これがチモール人の性格らしい。●夜、Pak部隊のCommanderから会談の申し込み。Lewisに急かされたらしい。Security Officerと共に会う。このCommander、最初から、でっち上げだと言う言い訳に終始、Security Officerと険悪なムードになる。事件のTruthではなく、UNTAETのPRクライシスの事実を認めよう、という切り口で何とか感情的な対立を回避。緊密な連絡を取りながら、Proactiveで行こう、という合意で握手。やれやれ。

2000年5月6日土曜日
今日も朝から例のセクハラ事件の会議で終始。Brigadier Lewisは、昨日約束した通り、Bobonaro県からブラジル隊のMPを呼び寄せた。早い。さすがMilitary。CivPolのHQの対応も早い。それに比べて我がUNTAET Governanceは何の反応もなし。アホ。

2000年5月7日日曜日
少しのんびりした。夜、地元の結婚式に招かれる。300人位の招待客。食事も出す。よく準備したもんだ。Re20000を祝い金として包む。●ジンバブエ人の法律専門家シポーの人事評価をする。良く出来た奴だから、及第点で契約延長。

2000年5月10日水曜日
月曜日からDili。昨日は、Local Governmentワークショップ。フラストレーション。UNTAETの撤退後、東チモール政権になるとき、現在の進行中の行政モデルが踏襲される保証は全くない様子。その辺のCNRTとの駆け引きはまだ出来ていないとのこと。なら、何故、今こんなに苦労して理想系モデルを議論しているんだろう。基本的公共サービスデリバリーのシステムづくりだけで満足して、さっさと引き上げることに専念したほうがよっぽど得策。●今日は朝から、国連NY主催の日本人ジャーナリストの一行を連れてSuaiに飛行機でとんぼ返り。Suaiでテレビ用ビデオ収録。12時にDiliに引き返す。●午後は、DAリトリート。

平成12年5月12日金曜日
ディリ。午後、UNTAET Kupang Liaison Office担当者主催の第1回ボーダー会議。TCWGの面々も参加。どうも、かみ合わない。そこで、発言。現場レベルでのTCWGの着実な成果を、ハイレベルの外交で生かしていいるか。なんと、この担当者は、TCWGの名前を聞き直すぐらいのレベルの理解。あきれた。ここでも、エゴの問題か。●夜は久々に出るJICAにおける日本人会。新しいUNTAET日本人職員の面々も。

2000年5月13日土曜日
朝の定期便でSuaiへ帰る。またすごい雨。途切れなく降っている。街中の道路は川のようになっている。Zumalai方面でHomelessになる人達も出る。即座に反応できない自分が恥ずかしい。

2000年5月14日日曜日
少し晴れ間がでる。いそいでマットレスを干す。しかし午後からまた大雨。●インターネット接続に成功。●CARE International ニューヨークオフィスのコンサルタントの来訪を受ける。話しが弾む。

2000年5月15日月曜日
月曜朝のスタッフミーティング。4時間かかる。●ジンバブエ人シポー(法律専門)、ディリへの勤務が決まる。弁護人(Defence Lawyer)の数が圧倒的に足りない。元Militiaなどの犯罪人を弁護する任務。正義感をコントロールしての人権の行使。まずはめでたい。●しかし、この人事異動の手筈の悪いこと。相談も無しにいきなり異動できるとディリの人間は思っているらしい。中央集権的発想。地方はどうでも良いと言う発想。

2000年5月21日日曜日
英語の通信を始めたのでちょっと間が空いた。●16日の夜にオフィスを襲った洪水の後のスタッフのモラルの低下が頭の種。Evacuation先のHCRなどでちょっとしたいやがらせにあっているらしい。やはり、他人のMercyの下で生活するのは、たとえ快適な生活環境であっても、居心地は悪いのだろう。俺一人、オフィスに生活しているが、Headが他人の世話になるわけにはいかない。腐っても鯛のGovernmentだ。

2000年5月25日木曜日
DA会議でディリ。農業省のヘッドのフランス人とやりあう。世銀に後押しされたCommercializationを隅々まで行き渡らせる政策に噛みつく。会議の後、農業省のスタッフ(ガンビア人、チモール人)に祝福される。●地方のStubbornness。これがデモクラシー、Decentralizationの真髄なり。

2000年5月27日土曜日
Sector West Brigadier Lewisの留守、ActingのChief of Staffが、何を血迷ったか、現地スタッフへの賃金の支払いの対応などにおけるDistrict Administrationの対応の遅さを抗議する文書を送りつけてくる。アホ。さっそく、UNMOのオーストラリア人将校にこの文書を見せ、暗にたしなめるように要請。これが昨日。昨日の夜、すぐに今日の昼食に招待される。こやつは、Lt.Colだ。Official Correspondenceの常識も弁えていない。驚き。今日の昼、昼食を一緒に。さすがに、非を悟ったらしく、威勢を保ちつつも、平謝り。なんにも気に留めていない余裕を俺は示す。これで、一つ借りを作ってやった。ざまーみろ。●これを除けば静かな週末。それと言うのも、ほとんどのスタッフがResupplyのためにDarwinへ。洪水の被害の後、モラルが低下していたから、物資の補給も兼ねて、俺が許可したから。


2000年5月31日水曜日
PKF Force Commander Gen. Ros SantosがSuia入り。(左から、PKF Pakistan Commander、CivPol Suai署長、General Ros Santos、俺、PKF Sector West Brigadier General Lewis、Gen. Santosの側近)。Pakistan部隊のセクハラの調査のため。CivPolのCommanderと共に会見。事情を説明。セクハラ調査に結末はない。UNTAETが真摯にこの問題を扱っていると言うジェスチャーとそのプログレスのPublic disseminationが何より重要と説明する。満足の様子。●スタッフのひとりにセクハラ疑惑。14歳の少女と関係を持っているとの通報をCivPolが受ける。本人に正したところ、21歳であるとのこと。やれやれ。●CivPol Suai署の建設予定地(破壊された元政府の建物)を巡って一混乱。Education committeeの長老が、これは24年前に小学校だったものをインドネシアが撤収、役所(Public works office)に無理矢理転用したものだと、Suai署への転用を断固拒否。Education committeeに返せと嘆願。24年前はインドネシア、今度はUNTAETが我々から取り上げるのか、とくる。ぐーの音も出ない。

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