2000年11月の分

2000年11月2日木曜日
国連指定の休日。でも朝からSecurity Management Team会議。Security Plan危険度の見直し。現在のPhase2(Restricted Movement:活動区域内の行動の制限、域外脱出の準備)は、9月の始め、我々現場の相談無くUN NY本部が通達したもの。これによって、ここで活動するNGOが浮き足立ってしまった。生命保険など責任問題があって国連上層部として判断を下さなければならないのはわかるが、危険度Phaseの宣言は現場と相談して決めるべき。っと、こういう提案を、国連No.3のIqbal Risaが9月にスアイ訪問した時ツヨーク行なった。それが功を奏したか知らないが、これからは、まず現場が危険度Phaseを提案するとのこと。大いに結構。●元ダイアナ妃ボディーガードSecurity OfficerのTrevorに宿題を出して置いた、過去一ヶ月のMilitia活動の総括から始める。我が県でPKF兵士を殺したMilitiaに当時の元気はもう無く、ヨレヨレになりながらそれでも必死に西チモールへ逃げようとしているのが現状。でも、窮鼠猫を噛むの喩の如く、非武装の民間に対する脅威を鑑み、現状のPhase2を少なくともあと一ヶ月は維持することに合意。俺にとっては、シエラレオーネに比べれば全く平穏そのもの、ニューヨークより安全。しかしPhase2の維持によって、援助の滞りが気がかり(現に先週JICAの調査団のスアイ入りが取りやめになった)。よってPhase1へ戻ることを提案。この俺の意見に強く賛成したのは、UN Military Observerの隊長だけ。俺がSecurity Management Teamの議長だから、押し切ろうと思えばできるのだが、何せ人命がかかる問題。意見が割れた場合は常に慎重派に合わす。これがクライシスマネジメントの鉄則。一ヶ月後にまた見直すことを条件に折れる。

2000年11月3日金曜日
どうしてこう後から後からくだらない問題が起こるのか。●我がUNTAET県庁事務所が現在の冷房完備のプレハブに移るまで、ずっとお世話になった学校の校舎。壁だけ焼け残ったものに屋根をかけ、ドアをはめ、窓をはめ、配電・給水設備を施し使っていた。移転後は、UNTAETが投資した資材は取り外さず、この学校が再開するのを待ってそのままの形で県教育委員会に引き渡すはずだった。それまでの間、資材の盗難を防ぐためにガードマンを雇っていた。子供達のものである学校を我々外国人が使っていたことに対する感謝の気持ちを示すはずだった。●しかし、何を血迷ったか、よりによって我がCivPol文民警察官が、無断でこの学校からドアを外し、配線コードをひっぺがし、自分達の住居建設に使ったことが判明。新任のスエーデン婦人警官を含む警官二人組の仕業。怒りを通り越して虚脱感に襲われる。早速、スアイ署長(スリランカ人)Rohanを呼び出す。資材の返却は当然。懲戒処分の正規手続きのために、Security Officerの手に委ねるかどうかの判断を直属の上司として自分で下すように命じる。例の公務員教師給料の汚職の件で県教育委員会に圧力をかけている最中なのに、このザマはなんだ。●俺の赴任当時のCivPol文民警察官は約20人。現在は45人。最終的には60人くらいになる予定。当時のアット・ホーム的な雰囲気はなくなり、今では新任警官の顔を覚える暇もない。こういう基本的倫理に反するような事態を起さないためにも、スタッフモラルに対して何か手を打たなければ。

2000年11月4日土曜日
真夜中午前1時、スアイ教会で火事、との無線連絡。虐殺のシンボルであるスアイ教会を狙ったMilitiaの攪乱活動か、と直感。飛び起きる。Security OfficerのCraigが、24時間体制のはずのパキスタン工作大隊内消防隊を無線で呼んでいるが、なかなか繋がらず。いてもたってもいられず現場急行。夜空が赤く染まっている。火はかなりの勢い。伝統茅葺きの技術を結集した新築の「平和と和解センター」か、と冷や冷やしたが、燃えていたのはそのすぐ隣の教会施設。100人ほどの住民が既に集まって、大人達の指示で体重の軽い子供達が大勢「平和と和解センター」の茅屋根に登り、葉っぱのついた木の枝を片手に、この大事な建物に燃え移らないよう振りかかる火の粉を払っている。感心。感謝。●30分後、けたたましいサイレンの音をたてながらパキスタン隊消防車と給水車が到着。アホ。45分後鎮火。気の狂った男の放火だという住民の証言。文民警察による捜査は夜が明けてから。●朝9時からDistrict Security Council(県治安会議)。俺が議長、ニュージーランド大隊隊長Dransfieldが副議長を務めてきた毎週の会議。PKFニュージーランド大隊交替を今月に控えてDransfieldにとって最後の会議。●PKF情報将校から、隣県BobonaroでもRDTLの政治活動が始まったと報告。我が県Beco村で、CNRTとの衝突、流血騒ぎを繰り返している政治政党だ。インドネシア併合派として活動経歴のある人物が露骨に名を連ね出したとのこと。この情報将校、「UNTAETのスタンスとしては、民主主義の名の元に集会の自由、政治政党結成の自由、云々」と始めたところで、俺釘を指す。政治政党を登録する条例をUNTAETはまだ発効していないこと。この条例なしには、どんな政治グループもLegal Entityがないこと。Legal Entityがないということは、何かことを起こしても検挙する根拠がないこと。"政治政党"という社会システムはそれを定義する根拠がまだ何もないこと。その意味でCDP-RDTLのような"政治政党"は今の段階では単なる"同好会"にしか過ぎないこと。UNTAETの職員として、この地元社会に接するときに、ここをはっきりさせないと余計な敵対心を煽ることになる。そして、我々"部外者"が「民主主義」という言葉を無闇に、思慮無しに使うことの危険。何故なら、この国はまだ「民主主義」を定義していないということ。(つまり、まだ憲法が草稿さえされていないこと)。●更に、"政治政党"間の闘争が治安問題に発展した時、PKFの出動は、最後の最後の手段であるということ。和解・調整作業と治安維持は、まず文民政府と文民警察主導で行われるべきであること。そのためにPKF情報部門(Military Intelligence)は、決して単独行動をしないこと。ここんところを、新任の大隊と隊長にしっかり引き継ぐことをDransfieldに指示。彼、顔をこわばらせながらも快諾。かなり効いた模様。●会議の最後に、パキスタン工作大隊に24時間の無線傍受を徹底するように指示。●午後は、昨日のアホなスエーデン人文民警察官の盗難事件の後始末。Security Officerによる懲戒処分への正式手続きよりも(アホ恥ずかしくてやってられない)、当の大バカ野郎達(内一人は婦人警官だが)に盗んだ資材を返還させ、教師たちに謝罪して丸く治めるという方向に決まり。●16の違う国籍からなる45人の文民警察官の統括の難しさは理解できるが、スアイ署長のRohan(スリランカ人)。白人の部下になかなか命令を下せない、と情けないことを言う。明らかにのリーダーシップの欠如。今日はこれを彼にはっきり指摘する。彼、シュンとする。

(ニュージーランド大隊隊長Dransfieldと)

2000年11月6日月曜日
TCWG(対インドネシア軍:TNIとの信頼醸成円卓会議)。飛び地のOecussi県にて。いつもの面々で一機のPumaヘリで。西チモール領内は飛べないので一旦海上に出て、西へ島と平行飛行。●PKFヨルダン隊基地着陸。7月の犠牲者ニュージーランド兵Private ManningからMilitiaによって略奪されていた武器。TNI、やっと回収し、返還したいと言う。それも、北側ボーダーBatugadeで返還式をやりたいと言う。つまり、インドネシアのコミットメントを国際社会に対して誇示したいというのが見え見え。PKF、しっかりと反対。武器返還は、TNI大隊隊長等幹部がスアイのニュージーランド大隊基地に訪問、部隊内だけで行う。TNI、渋々納得。●保護と引き換えにTNIとの関与を全て告白するという手紙を国連事務総長宛てに書いた4人のMilitia幹部達。現在、西チモールに潜伏中。裏切り者として他のMilitiaグループから狙われているので保護する必要がある、とTNI。保護したらPKFに引き渡す、と聞かれもしないのにわざわざこれを話題にするTNI。「殺るつもりだな」と直感する。

2000年11月7日火曜日
朝からCNRT県トップのAlvaroと会議。WFPが日雇い人夫たちと起こした労働争議について。またか。明日からジャカルタで会議なので、スアイ帰省後の来週、仲裁会議を開くことでまずおさめる。午後の国連機でディリへ。

2000年11月8日水曜日
今日から土曜日までジャカルタで、日本政府外務省主催「東チモール援助戦略会議」。

2000年11月11日土曜日
午前のMerupati便でジャカルタからディリ着。ディリ空港に着いたら、スアイ行きの特別便があるということなので飛び乗る。Pumaヘリ。一日得したとうきうきしていたら、Bobonaro県上空にさしかかったところで濃い雨雲に行く手を阻まれ、ディリに引き返す。しょうがないから、一泊。車を送るよう、俺の留守中の知事代理Omarに電話。

(ディリからスアイへ車で移動。今年5月の大雨で破壊された県境の橋。)

2000年11月12日日曜日
朝7時に車でディリ発。午後1時にスアイ着。明日に控えた国連安全保障理事会使節団のスアイ入り準備のため、スタッフ全員が勤務している。大いに結構。●午後5時からPKF、UNMO、CivPol、UNHCRを交えて最終準備会議。人権専門家インド系マレーシア人Suを参加させ、最近問題になっている、重罪人Militiaの釈放の件を明日の安保理の一行に投げるか否かを議論。今年の一月に数件の殺人とレイプ関与したと自白してスアイで拘留されるも裁判にかけられることなく今日まで過ぎ、つい2週間前にディリで証拠不充分で釈放された元Militiaの件だ。詰まるところ、司法システムの不備と人材、拘留施設不足が原因。スアイではもう一般の間では知れ渡っており、社会不信を招いており、Social Disorderの一因となりかねない。寛容だの、和解だのお題目を唱えておきながら、重罪人に社会的制裁をくわえられない社会(つまりUNTAET)に、そのお題目を民衆に強制する根拠は無い。つまり、「無政府状態」。安保理の一行にこれを投げるのは、国連として、PKF、CivPolの増強と同じレベルで更なる国際社会のコミットメントを司法システム整備に促す可能性あり。これが俺とSuの意見。CivPolスアイ署長のRohanは、予想した通り、ディリHQの反応を恐れて躊躇。法と秩序を司るCivPolがこれを投げかけるのが理想だったが、事勿れ主義のRohanにはちょっと荷が重い。結局、俺がOpening Remarksの中で触れることに。明日は忙しくなりそうだ。

2000年11月13日月曜日
国連安全保障理事会議長Andjabaナミビア大使以下、7人の理事大使、国連NY本部職員、ジャーナリストの一群総勢56人が、3機の国連ヘリでスアイ入り。PKF、CivPol総出で警戒体制下、俺がホストで一日のプログラムを組む。天候悪化でヘリが使えなくなった場合スアイ宿泊の緊急プランまで用意する。●昨日、議題に載せるかどうかで内輪で揉めた司法システム不備の件。大使連中の興味を集める。良かった。安保理のコミットメントを引き出せる方向に動いてくれることを望む。●Andjabaナミビア大使は気さくな人物。それに引き換えアメリカ大使の白人のオバさんは始終陰険な態度。側近の女性スタッフを通じて時間の配分に色々文句を言ってくる。最後についに切れる。「仕切るのは俺」と口論になり、険悪なムードに。その後すぐにマレーシア大使が俺の方に寄ってきて、「よー言った。実は道中この2人のアメリカ人に悩まされつづけたんだ」と耳打ち。「だから、こういう特別ミッションには発展途上国の大使を多く入れるべきなんだ」と国際問題にまで発展しかねないことを言う。●午後4時にプログラム完了。ヘリポートで見送り。例のアメリカ大使が顔を強張らせて握手してくる。続いてその側近が「許してね」と、なかなか可愛いことを。ヘリが上空見えなくなったところで警備に当たったCivPol全員が歓声。握手を求めに来る。皆、ご苦労さん。●UNTAET就任以来、俺にとって最大のDelegation。この一行はこの後、西チモール、ジャカルタでインドネシア政府とやりあう。

(国連安保理議長Andjaba大使と)

2000年11月14日火曜日
朝一報が入る。オーストラリアの大手日刊新聞が昨日の国連安保理使節団スアイ訪問を報道。俺が例のMilitiaの釈放と司法制度不備を暴露したように伝わっているらしい。早速、広報担当の金髪サッカー小僧Mike(アメリカ人)に命じて、インターネットで検索させる。同時にディリの広報部と連絡、対抗記事の発表の是非を問い合わせる。とにかくインパクトはあった模様。どこからでもかかって来い。●WFPの日雇い労働者達の労働争議調停。当のWFP責任者不在のため、今日はまず労働者達の苦情を聞くことだけに専念。疲れる。

2000年11月15日水曜日
安保理使節団訪問時の俺の発言が続々報道されている。●…UN district administrator Kenji Isezaki told the delegates that the UN needs to work more closely with the East Timorese population to ensure reconciliation with refugees and a smooth transition to independence next year. Mr Isezaki stressed that the local population, which is demanding justice with reconciliation, should not be allowed to lose faith in the UN administration because of the recent release, due to lack of resources, of militia awaiting trial in Dili. "It is true that we lack resources to maintain the justice system here, so the release of suspects captured in the district has serious consequences. It is just a matter of public trust," he said. (South China Morning Post 14/11/00)●..Kenji Isezaki, the transitional UN administrator of Covalima district, told the delegation that a lack of resources was forcing a miscarriage of justice. "Due to under-resoursing we had to release criminals who had committed heinous crimes without trial," he said. One was released last month, after 10 months in detention, and two were released last year, he said. (これは報道の間違い。3人とも今年。) "They had confessed their involvement with the murder, even the rape, of the kidnapping of a few individuals. They confessed," Isezaki told AFP. "We are losing public faith if we're allowing these kinds of cases to be like this," he said. He said although efforts were being made to establish a judicial system, it was still underdeveloped. "But it cannot be an excuse for us to leave these kinds of cases," he said. (Agence France-Presse 13/11/00)●…The UN district administrator in Suai, Kenji Isezaki, told the delegation lack of funding was jeopardizing investigation in serious crimes in the district. He said several East Timorese who had confessed involvement in rape and murder committed during last year's violence are being set free because of the lack of money for investigations. (Reuters 13/11/00)●United Nations police in this shattered town had been forced to free self-confessed rapists and murderers because of a lack of resources to pursue investigation against them, a senior UN official told a visiting Security Council mission yesterday. "We've had to release criminals who've confessed to rape and murder," said Mr Kenji Isezaki, the UN's administrator in charge of Cova Lima district.(まるで俺が釈放したみたい…) The offences were committed in the violence that erupted after last year's vote for independence. Mr Isezaki made the admission to a 21-strong delegation from the UN Security Council on a one-day visit to Suai, scene of some of the worst destruction and violence after the result of the vote for independence was announced on September 4 last year. (Sydney Morning Herald 14/11/00)●後悔はしていないが、何か、俺だけがこの国連という巨大官僚組織の中で孤軍奮闘しているような感じで嫌だ。メディアの対応、これから気を付けよう。

2000年11月18日土曜日
木、金曜日とディリでDA会議。今朝、Pumaヘリでスアイ帰省。●事務所到着後すぐ午前9時から、District Security Council(県治安維持評議会)。隣県BobonaroでのCPD-RDTL活動活発化の続報。PKF情報将校より。元Militia達が、村人を脅してPolitical Rallyに参加させているらしい。先週の治安維持評議会の時と同じように、PKFのMilitary Intelligence活動が一人歩きしないよう、釘を指す。政治政党の法的定義も、政党民主主義の定義も済んでいないこの国。親インドネシアの疑いが持たれているCDP-RDTL。だからといって、これだけが敵視されるのは間違い。気を付けないと我々の諜報活動の動向が、民衆の間に余計な敵愾心を煽る原因となってしまう。CPD-RDTLの活動員の検挙があるとしたら、それはあくまで治安維持の観点からのみ。しかし、反体制、少数派の運動が即"治安問題"という信号を大衆に送ってしまったら、この国の民主主義の育成に重大な影を落とす。ここに釘を指す。

2000年11月20日月曜日
スアイ初の中華料理店オープン。中国系チモール人二人がオーナー。自家発電機を備えた本格的な、といっても昼間は見るに耐えない体裁だが、商業っけのあるつくり。カラオケまであるとは心憎い。スタッフと大いに盛り上がる。たぶん、電気料金を徴収する最初のターゲットになるだろう。ごめんね。

2000年11月22日水曜日
TCWG(インドネシア軍:TNIとの信頼醸成円卓会議)於Atambua、西チモール。朝9時にPKF軍用ヘリで、Bobonaro県PKF、Balibo基地に着陸。オーストラリア隊、Oecussiからのヨルダン隊将校と合流。1機のSuper Pumaヘリで、国境の向こうのAtambuaへ。離陸前に、Brigadier General Gillespieを中心に円陣。非常時の指揮命令を確認。UNHCR職員3人の殺害事件の後、先週の安保理使節団の訪問の他、初めての訪問となる。●TCWGの議題はあまりパッとしない。領空侵犯の調整や中隊の交替など戦略一般。●ただTNIが、安保理使節団スアイ訪問の際に、UNHCRスアイ・コーディネーターのJoanがした発言に苦言。例の虐殺事件後UNHCRによる西チモールでの難民帰還作業は凍結している。現在の帰還作業は、難民キャンプからボーダーまでの移動をTNIに頼らざるを得ない状況であるが、Joanの発言とは「その際TNIが不当に移動料金を難民に課している、という証言が帰還した難民からあった」というもの。俺がホストを勤めたブリーフィング最中の発言で、30人近くの報道陣の前だったものだから、翌日から、俺の例の発言と一緒に世界中に報道され、TNIが悪者に。俺が言い訳をするはめに。やれやれ。●1時にTCWG終了。TNIによる昼食会。豪勢。腹いっぱい馳走になる。3時にスアイ帰省。●6時から、明日のSRSGデメロ訪問の準備。東チモール人副知事Alipioを含めスタッフとブリーフィングの内容調整。Alipioを前面に出したプレゼンテーションを予定。

(一路、Atambuaへ)

(インドネシア軍西チモール最高司令官Indraと)


2000年11月23日木曜日
SRSGデメロ、スアイ訪問。出迎えの車の中で開口一番、先週の安保理スアイ訪問の時にぶつけた、司法制度不備の問題と更なる安保理のコミットメントを、という要請が、正式な報告書に載ったとのこと。現場として出来る最大限のインパクトを与えた模様。ざまーみろ。●デメロとは一時間のブリーフィングと、県政協議会メンバー達との懇談会がもう一時間。●パキスタン兵士による地元女性に対するセクハラ事件がまた2件、CivPolに通報さる。また調整作業か。

2000年11月24日金曜日
パキスタン兵セクハラ事件調整。パキスタン工作大隊隊長、CivPolスアイ署長Rohanと。前回から教訓を得ることを強調。ディリからは、それぞれのHQ、つまりPKF、CivPol、SRSGオフィス、人権局、Gender局、人事課が浮き足立ち、それぞれ別々に事情聴取してくるだろうから、現場としてOne Voiceで対応することを強調。パキ工作大隊隊長に、絶対に独自の捜査を行わないよう指示(各大隊には情報部門がある)。現場として協調するといっても、被害者の名前その他は、人権保護の立場から同じ現場の関係者の中であっても、CivPolと俺以外には出さないことを了解させる。●現在、CivPolスアイ署による被害者からの証言取りの段階。また草むらに引きずり込もうとするたぐいの事件。コンタクトはなかった模様。前回と同じく、犯人を特定する証言は無し。やれやれ。●夜10時半、Human Right OfficerのSuが飛んでくる。昨日のTNI先導による西チモール難民帰還は約60人。我が県Saleleボーダーを通過。ボーダーを超えたところでまずPKFによるSecurity Check。この後、我がCivPolによる犯罪者スクリーニング。しかし、子供殺しとレイプで検挙されるべきMilitiaがこのスクリーニングに引っかからず村に帰還。村人に追いかけられて逃走。村人による復讐の犠牲になる恐れ。PKFとCivPolの提携がうまく行っていない模様。セキュリティエリアへの立ち入りを巡ってSaleleボーダー警備のPKFフィジー隊がCivPolに銃を向ける緊張があったとの報告(バカたれが!)。明日も帰還がある予定。早く何とかしなければ。明日、署長のRohanの首を捕まえてスクリーニングの現場の立会いをしなければならない。SuはCivPolと共に逃走しているMilitiaのフォローアップ。

2000年11月25日土曜日
朝からTNI(インドネシア軍)からの連絡を待つ。11時、UNMO(国連軍事監視団)を通じて連絡あり。今日予定されていた難民帰還は中止とのこと。理由は、TCWGでTNI側を代表していた西チモール最高司令官Col, Indraの転任による送別パレード開催のため。昨日のうちに言わんかい。●夜は、例の新築の中華料理店で、パキスタン工作大隊隊長を呼んで夕食。やっと、借りが返せた。

● 潜水艦・文民警察スアイ一号艇座礁 アホ


● 救出作戦失敗 どアホ!


2000年11月26日日曜日
けだるい日曜日。11時半より、新しく到着したPKFニュージーランド大隊で、隊長以下10人くらいの情報将校に初講義。東チモール人副知事Alipioを同伴させる。複雑怪奇な国連の構造について小一時間。Timorization:チモール化。俺の任期が終わるのはもうすぐ。俺の後を引き継ぐのは間違い無くAlipioのような東チモール人。「東チモール人知事の下で仕える軍隊」を民衆に印象付けるのが、この新しい大隊の一番重要な課題だ。これを強調。隊長はしっかり頷いていたが、若い将校たちはAlipioを横目で見ながらポカーンと無表情。まあ、最初はこんなものだろう。

2000年11月28日火曜日
25年前この日Fretilinがポルトガルから独立を宣言。(この9日後インドネシアの侵攻) 朝から、人々が"国旗"として崇めるFretilin旗の掲揚式。このオリジナルのFretilin旗に"FRETILIN"と印字されたのが、現在の政治政党としてのFretilin旗。よって、今日の掲揚式はこの2つの旗を掲揚。掲揚式はCNRTコバリマ本部事務所に於いて、千人以上は集まっただろうか。主賓として招かれる。9時の始まりに数分遅刻。まさかと思ったが、全員旗に向かって起立したまま、静まり返って、俺の到着を待っていた。何なんだ、この統率力は。恐縮しきって席につく。●俺の20分ほど演説は、これからの憲法草案プロセスの大切さ。憲法の草案にUNTAETの外国人の主導を許すな、等。受ける。

2000年11月29日水曜日
今日に予定されていたXnana Gusmaoのスアイ入りはドタキャンで明日に延期。この訪問は、UNTAETの来賓というよりも、CNRTのPolitical Campaignの為。4つの郡にヘリで遊説の予定だった。さぞかし村人達は心待ちに、そして無け無しの募金をして料理の準備をしていただろう。それを無残に裏切るこういうリーダー。空しい。●ドタキャンの理由は、ディリからのUNTAET特別ヘリの故障。しかし、これは明らかに都合の良い嘘。ヘリはいくらでも替えがある。昨日、Xananaが就任したばかりのNational Council(国家評議会)の議長を突然、それも思い定めたようにSRSGデメロの留守中に宣言したという情報が流れる。本日、それが確認。遂に、UNTAETと袂を分かつ決断をしたか。気持ちはわかるが、UNTAETの寿命を無闇に引き伸ばすだけ。この県のCNRTリーダーと同じレベルの感情的リアクション。●明日のXananaの受け入れだが、東チモール人副知事Alipioに全面的に任せることに決めた。俺の方は、今まで取りたくても取れなかったResupply休暇にDarwinに行くことに決める。UNTAETに対して攻撃的になっているこの時期のXananaに、短気のこの俺が対峙する時、自分の性格が何をしでかすか自信が持てん。よって、雲隠れする。悪しからず、Xananaさん。チモール化の成果をAlipioから感じ取ってください。

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