2000年10月の分

2000年10月18日水曜日
2.5週間の日本の休暇からスアイ着。ディリ朝6時半発のPumaヘリ。●俺の留守中に、予定通りチモール人副知事(East Timorese Deputy DA: ET-DDA)が着任。呼び名はAlipio。今日対面。中々物静かな紳士。元スアイ出身の教師。もちろんCNRTの推薦で候補者となった。年とって見えるけど俺より若い41歳。能力のほどはまだ分からないが、コミュニケーションは良く取れそうだ。誠実そうだ。英語も少々できる。●ET-DDAに俺が推薦した我県CNRTのホープAは、残念ながら落選。若すぎたか。でも、外交官養成コースへの推薦がほぼ決まり。良かった。●午後、CNRT Central幹部2人の来訪。先先月末に開催されたCNRT全国大会の決定事項を郡レベルに伝える指名を帯びてのスアイ入り。一時間ほど雑談。こんなフランクな会話をDAとしたのは初めてだと感謝される。お世辞か。●留守中のActing、ガンビア人元大使Omarはよくやってくれた模様。彼が責任を持って作成してくれていた3週間分の週間報告書を読む。先々週にスアイ中心から北4キロで起きたMilitia一人の射殺(我県初! ニュージーランド大隊、やっと面目躍如)を、「運良くたまたま遭遇した」と記述。当のニュージーランド大隊から文句が出て、Search Operationの下執拗な追跡の後射殺、と言うふうに翌週再掲載。笑える。●この射殺された奴も含めて、ネパール兵を射殺した一味が今まで残留して、西チモールへの帰路を試みている模様。これからまた騒がしくなりそうだ。●「東チモール業界」ではカリスマ的ジャーナリストMax Stahlのインタビューを再度受ける。前回は、英語圏の影響力を鑑み、立場上ビデオ収録を断った。今回は、今から6ヶ月くらい先の発表を予定したドキュメンタリーだと言うので、一時間ぐらいのビデオインタビューに応じる。対インドネシア関係に重点。Sleeping with enemyの必要性を強調。6ヶ月先ならまあいいか。

2000年10月19日木曜日
2人のCabinet Member(閣僚:東チモール人)のスアイ訪問打診に振りまわされる。変更に変更。この東チモール人のリーダー達は、数時間前の変更でも現場は対応してくれると思っているらしい。切れそうになる。CNRT Centralの幹部達は、現場の同士に対してこういう対応をしていたのかと思うと、地方でCNRTの求心力が急速に失われている昨今の理由が良く分かる。でも、せっかく選ばれた東チモール閣僚達。これもCapacity Buildingの一環と、切れるのを我慢する。●でも、今日予定されていた訪問を昨日の夜にキャンセルし明日への変更を要請してきたAnna Pesoa(Internal Affairs の閣僚:DAの俺を管轄する省!)へは、とても対応できんと計画の仕切り直しを強ーく打診。納得してくれた模様。もう一人、Infrastructureの閣僚は明日予定通りにスアイ訪問。●チモール人副知事(ET-DDA)のAlipioとの責任分担の計画を俺の政治顧問ガンビア人Omarと考え始める。Aが俺に次ぐNumber 2になるわけだが、まず手始めに公務員人事管理部、教育部、医療保健部を始め幾つかの部署をAlに管轄させることを提案。つまり、これらの部署を統括するUN国際職員がAlipioにReportするわけだ。Omarの反応は複雑。やはり、国際職員がぽっと出の東チモール人に直接管理されることの抵抗を懸念しているらしい。良く分かるが、時間が無い。「国際職員の人事評価は、国際職員の頭である俺がやる。しかし、その評価の基準はいかに東チモール人ボスに"仕えたか"を見る。」 これを今まで、Timolization:チモール化に関してスタッフに言い続けて来たが、所詮は評価する側のたわ言。評価される側の心理に気をつけて観て行かなければならない。

2000年10月20日金曜日
●朝から公務員教師のGeneral Assemblyに望む。集まった県内教師300人とやりあう。脆弱な国家歳入の見通しから公務員削減のために行った教師一斉テストにおけるNepotismが焦点。県CNRTが裏で煽っているらしい。マークシート方式で行われたテスト。本来ならNepotismの入る余地など無いはずだが、どうもConfidentialityを理由に採点結果を公表せず、県教育委員会に個別の合格打診をさせた経緯から、若干の"操作"があったと判断せざるを得ない状況になってしまった。他の県でも同様の問題が起っている。本県でこの疑惑の煙が上がってからもう数ヶ月経つ。本格調査をする時期と判断。俺の責任で独立した調査チームを結成すると宣言する。明日に控えた県政評議会で調査チームの発足を正式決定する、ということで取り敢えずこの場を納める。教育委員会の長老に明日の評議会に出席するよう指示。●午後はInfrastructureの閣僚Carascalao氏が特別機でスアイ入り。母親がポルトガル人という初老の紳士。ほとんどインド人の風貌。とてもチモール人には見えない。パキスタン工作大隊、PKF SectorWestのBrigadierを交えて会議、スアイ発電所の視察など2時間もてなす。会議での冒頭の挨拶でCarascalao氏、UNTAETの"余裕を持った"Phasing Outを望むと発言。一同顔を見合わす。チモール人同士の天下取り争いよりも、既得利権の無い部外者による統治を望む「被植民症候群」が現れてきたか。●夕方、勤務時間後、政治顧問Omarと雑談中、ショッキングなことが判明。俺の休暇中に、タンザニア人会計スタッフ(CPA保持者)のWilbardが、県教育委員会に任せていた公務員教師の給料支払いに不正を発見、DA代理を勤めていたOmar自身に報告書を提出した、と。早くそれを言わんかい、アホ。●完全に封印した封筒に入れて手渡される筈の給与が、何者かによって開封されて天引き後、封筒無しで手渡されていた模様。現場の教師たちは、今の今まで、個人名と金額がコンピューター印字されたUNTAETの給与封筒の存在を知らなかったと。●即座にWilbardと教育事業担当者モザンビーク人Filipeを無線で呼び出す。県教育委員会の責任で回収された個人個人の領収サイン書を月毎に見比べると、偽造サインが幾つも見つかる。子供達に手本を示さなければならない教師たちを指導する立場にある県教育委員会。これで、これらチモール人幹部達による不正の証拠が明らかになってしまった。こうなったら手立ては一つしかない。即座にスアイ署長を無線で呼び出し、CivPol:文民警察の犯罪調査として行動開始を指示する。残念だ。まったく。まだ独立もしていないのに、too early to corrupt… ●こうなると、UNTAET国際職員である教育事業担当者Filipeの立場も微妙になる。彼と県教育委員会との癒着を示唆する噂を県CNRTが流していたからだ。接触を当分謹慎するよう命令する。

(スアイ教会平和と和解センターでの全公務員教師との会議)

(左からインフラ閣僚Carascalao氏と東チモール人副知事Alipio、スアイ発電所にて)


2000年10月21日土曜日
午前8時から、俺の休暇の直前に任期を終えたBrigadier General Lewisに代わり着任した、同じBrigadier GeneralのGillespieと懇談。さすが情報将校たちのBriefingが良いのか、状況の飲み込みが早い。ナミビアでのPKO経験者。その時は、Lt.Col。工作大隊を指揮したという。●例の7月と8月のPKF兵士2人の銃撃戦による死亡を契機に東チモール人リーダー達全般に変化が生じたことに話題が集中。それまでは「国連出て行け」の大合唱だったのが、Militiaの脅威を再認識し、国連が出ていった後、国を自前で賄う現実を直視した模様。はっきり言って怖気づいたのだ。●これは、昨日スアイ入りした東チモール人閣僚Carascalaoの「被植民症候群」にも呼応する。東チモール人が直面しなければならない治安問題は、Militiaだけではない。CNRTの求心力の弱体化に伴い当然予想される内部政治闘争。特に来年の選挙に向かう政党活動解禁で予想される内部抗争。しかし、部外者に支配され続けることによって得られる"安堵"。攻撃する相手が一極化した部外者である我々国連だけ、という"安堵"。アホらしい。●午前10時から県政評議会。昨日判明した教師給与支払いにおける不正を報告する。県教育委員会の長老の顔が歪む。CivPol:文民警察による犯罪調査に並行して、教師一斉テストにおけるNepotismを含めた不正を調査するチームの結成を正式決議。ET-DDA(チモール人副知事)Alipioを含め、県CNRT代表等4人、そして現場の教師代表3人によるチームを結成。Alipioは今年5月までこの県教育委員会の幹部として在籍の経験あり。内部政治闘争で追われ、CNRT Central本部に籍を移したという経歴の持ち主。面白くなりそう。

2000年10月22日日曜日
日曜だというのに朝からカナダ政府代表団5名がスアイ入り。カナダ政府ディリ連絡事務所一等書記官に先導されて特別機で到着。DAの俺と意見交換するため。西チモール・インドネシアとの国境問題(Sleeping with enemy。でも、この"技術"をどうやって東チモール人に教え込むか!)、"Soft Border"の重要性(でも可能性は急速に薄くなってきた!)、Falintilによる将来の国防軍の組織(誰がそのコストを持つのか!)、来年の総選挙と西チモール残留難民(全人口の10%を占める。西チモールの治安状況とインドネシア政府によるMilitia武装解除の遅さを鑑みると、残留難民の民主化プロセスへの参加の可能性はゼロ!)、独立国家としての経済的発展の可能性(どう転んでもこの国がアフリカ並に飢える心配は皆無だが、Timor Gapの原油で当てない限り、いわゆる発展途上国になるだろう…)。こんなことをざっくばらんに話す。なかなか素直な官僚達だった。

2000年10月23日月曜日
今日から、チモール人副知事Alipioと毎朝15分の小会議を始める。とにかくコミュニケーションが大事。公務員人事、教育、医療保健の3部門を任せることを提案したら、インフラ部門もやりたいとのこと。この意気込み、大いに結構。●TCWG(インドネシア軍:TNIとの信頼醸成円卓会議)。8時半にスアイ空港に集合。Brigadier General Gillespie下PKF Sector Westの情報将校3人、ニュージーランド大隊隊長、UN Military Observer隊長、文民警察スアイ署長と俺で、一機のPumaヘリに乗り込む。9時、北側国境の町Batugade(東チモール側)に着陸。Oecussi県からのヨルダン大隊隊長、UNHCR駐在員等と合流。オーストラリア隊ボーダー基地で待機。国境の向こうの町MotaainのTNI基地から応答を待つ。●この間Brigadier General Gillespieから説明。Motaain付近はMilitiaがよく不法に道路封鎖をしていた所だ。今回TCWGの為に国境を超える人員は、あらかじめ国連NY-PKO本部の承認を得て、何かあったら生命保険などでトラブルが無いよう配慮したとのこと。国連Mission要員は、Missionエリア内での事故のみ保険が適応されるという"ケチ"な仕組みのためだ。UNTAETのMissionエリアはもちろん東チモール内だけ。じゃあ、今までTCWGで何回も国境を超えていたが、あれは何だったんだ? Gillespieは前任者Lewisに比べ、こういうAdmin的な細部に気を遣う性格らしい。大いに結構。●東チモール側国境で待つこと30分。やっとTNIからゴーサイン。インドネシア領まで、完全武装の装甲車で前後を固めて兵士輸送用トラックで移動。●TCWGの内容。いつものTNI大隊隊長等の他に新顔がいる。インドネシア政府外務省の官僚が2人出席。同政府16の関係省庁が参加して、西チモール内の東チモール残留難民の処置を促進するTask Forceが設置されたとのこと。まず、東チモールに帰りたいか、それともインドネシアに残留したいかを問う「登録」をインドネシア政府の責任においてするとのこと。大いに結構。時期は?と問うと、うやむや。この一人はまだ40代と見える中々油の乗り切った外交官。休憩中立ち話で「これでやっとインドネシア政府も重い腰を上げたね」と突っ込むと、「いや、ずっと前から上げているんですよ」と切り返してくる。ガハハと返したが、中々面の皮が厚い。こういうのと遣り合える官僚を東チモールで育てなければならないが… ●その他、7月に我県最初の犠牲者となったニュージーランド軍Private Manning。射殺後奪われた手榴弾ランチャーとマシンガンの回収作業。TNIによって行われているはずだったが、未だ答えを得られず。PKFにとっては面子の問題である。●AtambuaでのUNHCR職員3人の惨殺後、西チモールでの難民帰還作業は凍結されたままだが、TNIのエスコートによって細々と行われている。難民キャンプからボーダーまで難民を輸送するため自家用トラックを手配したい。そのための資金援助をしてくれないかとTNI。何をか言わんやだが、とにかく今はこれしか方法が無いので前向きに考えるしかないのが我々。コケにされていると言えなくもないが。●夜は、我事務所の東チモール人運転手の結婚式。驚くほど盛大。復興の証かな、とちょっと感傷的になる。

(北側ボーダーBatugadeから西チモールを望む)

(西チモールMotaainにてTCWG)

(西チモールMotaainのTNI基地から東チモールを望む)

(UNTAET現地職員の結婚式)


2000年10月24日火曜日
スタッフ会議。チモール人副知事のAlipioを交えての初の会議。公務員雇用管理、教育、保険医療、インフラ部門を彼が統括することを正式承認。それぞれ担当している国際スタッフの直属の上司になるわけだ。「このミッションはこれから佳境に入る(つまりTimolizationの)」を宣言。国際スタッフの顔に少し動揺が見えたが。これからAlipioやそのうち配属されるであろうチモール人知事と国際スタッフの間を調整することが俺の第一の役割となる。

2000年10月25日水曜日
United Nation Volunteersの本部BonnからトップのSharon Capeling-Alakaijaが特別機でスアイ訪問。同じ時期に西アフリカにいたことから、しばしシエラレオーネの話題に花が咲く。非常にダイナミックな女性。一つの国連組織のトップだが、国連批判の話題にもどんどん乗ってきてくれて楽しい時間だった。●昨日夜8時ごろ、スアイ北数キロの所でまた武装Militiaを一人射殺。ニュージーランド隊の手柄。3人組の一人で残りの2人を依然追跡中。隣県Ainaroとの境のCasaに潜伏していた一味が、これから始まる雨季と補給が尽きて西に逃げ帰ろうとしているため。逃げ回っている一味はかなり憔悴している模様。ROE(Rules of Engagement)変更後、PKFは銃を構えている敵ならWarning Shotsなしで発砲できるためか、簡単に殺しているような気がしないでもないが、何せこちらは2人殺されている。現場のPKF兵士達が復讐戦の気持ちがあることは否定できないだろう。●PKF大隊は6ヶ月交替が原則。我がニュージーランド大隊は来月交替する。この復讐心をコントロールするためにも大隊交替は必須。

2000年10月28日土曜日
木、金とディリでDA会議。今朝国連機でスアイに帰る。●DA会議は、東チモール人のDAとDDA(Deputy District Administrator)が加わりポルトガル語の逐次通訳で進行。時間が2倍かかるが、英語で余計な無駄話がなくなるためかえって良い。●結構うれしいのは、俺を含めて国際職員のDA達全員が、自分たちが使用している国連の施設・装備に同じようにこれら東チモール人DA・DDA達が使用できるよう必死に頭をひねっていることだ。例えば、国連車両は国連職員しか運転できない。東チモール人DA・DDA達は国連職員ではなく東チモール暫定政府公務員だ。よって彼等は国連車両を運転できない。国連職員なら一介のスタッフでも国連車両を自家用車のように運転できるが、"上司"の東チモールDA・DDA達は規則上それができない。これでどうやって"権威付け"ができるのか。●これら東チモール人DA・DDAが上司になる国連国際職員の業務評価の問題もそうだ。国連職員の業務評価は、Managementの経験のある同じ国連職員によって行わなければならない。業務評価をする権威がない東チモール人上司は、どうやって"上司"になれば良いのか。●まあ、こういう国連Ruleの中で、現場の俺達は"良心的"Manipulationをどんどんやる。俺に関して言えば、俺のDDAのAlipioには、国連現地職員の運転手付きで国連車両を一台あてがう。彼が管轄する国連国際職員の業務評価も、最終的には俺が承認するが、評価自体はAlipioが記載するという内部規定を作る。こういう内部規定の実施に"本部"の承認はいらない。余計なことは知らせないということ。"本部"は、いつでもアホなのだ。

2000年10月30日月曜日
女性職員の一人、英国系南ア人Sがセクハラされたとかなり深刻な顔で来る。先週のちょっとしたパーティーの席で、ヨルダン人文民警察官の一人が記念写真にかこつけて彼女の胸を触ったらしい。彼女が怒ったのでちょっとした騒ぎになり、かのヨルダン人は平謝りに謝ったらしい。またか、と思いつつ膝を突き合わせて聞いてみると出るわ、出るわ。かわいい容姿が災いして、他5人の国際職員、それと出入りのパキスタン工作大隊将校などから、「綺麗だ」「好きだ」「"もしよかったら"セックスしたい」こんな言葉を頻繁にかけられ続けたらしい。昨日思い詰めた挙げ句、UNTAET本部人事部のスタッフカウンセリングに電話で相談した、という経緯。●何故、今まで俺に相談に来なかったのか、と聞くと、ボーイフレンドが知ってしまうからと言う。彼女には同棲中の同じ国際職員(ネパール人)のPがいる。俺に報告してセクハラした連中の処分に向けて事が動き出すと、どうしてもこのボーイフレンドに知れてしまう。そうしたら怒って何をするか分からない。ここのチームワークに亀裂が入ってしまうからと言う。●それを恐れていたら何も改善しないから、少なくともこのヨルダン人のケースは直属の上司である文民警察署長と俺がまず相談して対策を決めることを納得させる。●新任の文民警察署長はスリランカ人。偏見を持つわけではないが、この辺のSensitivityが理解できると良いが。

2000年10月31日火曜日
教師一斉テストに絡む不正調査チームの結成をディリに報告して以来、連日のようにInspector General(検察庁長官とでも訳すか)から電話がかかってくる。この問題は我が県だけでなく東チモール全県で起きている問題。Cabinet(全省庁会議とでも訳すか)の決議でInspector Generalによる調査が始まっている。県レベルで調査に乗り出したのは、我が県が始めてらしい。東チモール人副知事Alipioは勢力的に調査をコーディネートしている模様。結構。●午前中、PKF本部のNo.2、Deputy Force CommanderのGeneral Smith (オーストラリア人)が特別機でスアイ入り。一時間ほど差しで懇談。ボーダー県のTimorization(チモール化)に焦点。いつTCWG(インドネシア軍:TNIとの信頼醸成円卓会議)に東チモール人を連れて行けるか。TCWGは、元々TNI、PKF両軍の戦略調整が目的。インドネシアと東チモールを結ぶ接点がこれしかなかった経緯で、その他の民事(難民帰還、警察間の協力など)も扱うようになって行った。これをMilitary主導でなく、文民政府主導の対インドネシア交渉の場に昇華させる議論は今年5月以来続いている。形だけだが、Joint Border Committeeの設立のMOU(Memorandum Of Understanding:覚書)がインドネシア政府と調印されたのが数ヶ月前。それ以来、ディリ・レベルでの進展はなし。残念ながら国連文民政府のボーダー・イシューに対するSensitivityの無さ。センスの悪さ。官僚主義。General Smithも俺の手前露骨には同意できないだろうが、同じ気持ち。情けない。本来なら、今ごろは、TCWGが本来の軍レベルでの円卓会議に形を戻し、文民政府主導のJoint Border Committee傘下の一部会になるはずだった。そうすれば、当分の間TCWGはPKFだけ(TNIの手前、東チモール人は加えず)に任せ、他の対インドネシアの民事はインドネシアの文民政府と東チモール人知事達との交流に委ねるという「ボーダー・イシューのチモール化」のシナリオが書けた筈だった。本当に組織というのは思った通りに動かんなー。

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