9月の分

2000年9月2日土曜日
ディリから国連機でスアイ帰還。8時半着。すぐオフィスに戻り、9時からDistrict Security CouncilをChairする。Spontaneous Return(西チモールでの治安悪化に伴い、UNHCRとIOMの正規の帰還作業に頼らず自分達で帰ってきてしまう難民のケース)の事に集中する。

2000年9月3日日曜日
オフィスに出て仕事。たまった書類を処理。●午後、Port Philipsからの来客。Suaiと姉妹都市関係にある。5日に市長がスアイ入り。6日のスアイ虐殺一周年行事に参加するため。5日午後に俺と会議の予定。

2000年9月4日月曜日
衆議院議員首藤信彦氏スアイ入り。特別メニューを組む。まずニュージーランド大隊基地で隊長によるブリーフィング。●その後ヘリでBlulik Latanへ。そこでもニュージーランド小隊(7月に死亡者を出したあの隊)によるボーダー状況のブリーフィング。ここの小隊隊長、言葉の端端にボーダーの向こうのTNIへの不信感を表す。TCWGでは、大隊隊長レベルでの交流だからいたって友好的だが、やはり前線では感情が剥き出しになる。面白い。●その後Suaiに帰り、Bri. Gen. Lewisと懇談。夜は、ZumalaiへMilitary Escort付きで車で移動。ネパール隊(8月に死亡者を出したあの隊)でブリーフィング後夕食を馳走になる。スアイ帰宅は夜9時。首藤氏、グルカ刀を土産にもらって上機嫌。長い一日だった。

(名将Lewisと首藤氏)


2000年9月5日火曜日
首藤信彦氏帰る。●UNTAET HQには内緒で進めていた姉妹都市メルボルン、Port Philips 市市長来る。昨日、側近とアポの約束をしていたが、体調が悪いと嘘をついて、すっぽかしてしまった。Ceremonialに人と会うのが億劫になってきた。悪い傾向だが面倒くさいのはしょうがない。●明日は、スアイ教会一周年記念行事。ベロ司教を始め、また面倒くさい来賓の相手。各国のメディア。故ダイアナ妃ボディーガードTを追いかけて来る者もいるらしい。本当に面倒くさい。●夜は、ウガンダ人スタッフAidaの誕生日会。アフリカ人スタッフ全員集合。踊りとアフリカ料理。近所の地元民にも食事を配る気遣い。本当にアフリカ人スタッフに多く恵まれて良かった。

2000年9月6日水曜日
スアイ教会虐殺一周年追悼。●朝オフィスに出勤したらカメラを抱えた報道陣が俺の部屋の前に。何かと思ったら故ダイアナ妃ボディーガードのTのことが聞きたいという。これがタブロイドのパパラッチか。虐殺追悼の日だというのに。切れる。●午前10時からMass。ベロ司教主宰。観衆推定5千人。SSRの若者達がCivPolの指導の下、凛々しく警備にあたる。この日に合わせて完成させた萱葺きのPeace & Reconciliation Centerは圧巻。名物神父Reneの行動力に頭が下がる。●夕方、新たな治安情報が。昨日西チモール国境沿いのAtambuaで、Laksaur MilitiaのリーダーOlivio Maruk(我県のSalele出身)が何者かによって殺され、今日、その報復の暴動が進行中。UNHCR事務所がターゲット。国際職員数人の死傷者が出た模様。TNIは、死傷者輸送のヘリをPKFに要請。自らの責任の放棄か。我県から4機が飛び立つ。オーストラリア兵一名、ニュージーランド兵10名が同乗。PKFのCrossBorder Operationの予兆か。●Olivioは首をはねられるという残忍さ。こやつを殺して西チモールで誰が得をするか。どうも手口から暴動を煽る意図の匂いがする。それと「口封じ」か。●こやつの殺害を聞いて、もちろん東チモール人は手をたたいて喜ぶだろうが、もとは同国人。人々が分断し憎み合うのを仕組み、影で笑っているのは誰か。●TNIがどんな面をさげてやってくるか。明日の、TCWGが楽しみ。

(スアイ教会虐殺一周年式典)

(Peace & Reconciliation Center内部。)


2000年9月7日木曜日
予想していたが、今日予定されていたTCWGは延期。UNMOによると、西チモール治安悪化を受けて、TNIは更に2大隊の投入を示唆しているとか。これが実現すれば、合計5大隊の配置ということになる。●昨日の暴動でのUNHCR職員の死亡者数は3人と確認。●午後、姉妹都市Port Philips市市長と、寄贈されたピックアップ乗用車の贈呈式。この市長から俺に、ということであったが、CNRT県トップのAに、ということにさせる。●UNTAETに頼り切るな。世銀に頼り切るな。この姉妹都市プログラムのように色々なBilateralな試みを出来るだけ多く行うことが大切、と俺、訓示をたれる。●Port Philipsは人口約8万。この市長はゲイ。

(後列右端がPort Philips市長)

2000年9月8日金曜日
Sector West, Chief of Staff, Lt.Col Hatchingが報告に来る。TNIは追加2大隊派遣を決定。Kupanguから入るとのこと。Atambua, Betunがある西側でやりたい放題やっているMilitiaは、更に西に向かっているとのこと。途中、この2大隊と衝突することが予想されるがどういう対応に出るか、TNI、インドネシア政府の本気度を観察するのが楽しみ、ということ。●SantaCruz大虐殺を最初に報道し、Referendumの時UNAMET撤退後も一人残って報道したイギリス人ジャーナリストMaxからインタビューを受ける。この筋ではかなり有名な御仁。日本のジャーナリズムは国際シーンで影響力はないので何でも言えるが、こういうのは別。よってビデオ撮影は断る。

2000年9月9日土曜日
CNRTの全国大会のためにお流れになっていたDistrict Advisory Council、開催。西チモールで犠牲になった3人のUNHCRスタッフのために黙祷。また、CNRT県トップAの欠席病が。ヤツが出てこないと話にならない。また「空腹じゃ何もできない」とダダをこねたらしい。来週、また調整をしなければ。●ここ一週間ほど県内の治安は落ち着いている。Security Management Team会議も週2回開催に変更。今の焦点は西チモールの動向。

2000年9月11日月曜日
山間部に潜伏していたMilitia(ネパール兵殺害に関わっていたかは定かでない)の内2人が、本県とAinaro県境のCasaで投降した模様。PKFからの情報。●西チモールのLaksaur Militiaが近日中にスアイ攻撃を目論んでいるとの情報を受け、PKFが警戒発令。PKF、UNMOは、口コミ、コンタクトパースンを含め情報源を確保しているが、この手の情報により警戒発令をしたのは始めて。●ここ一週間ほどProductivityが下がっている。次の休暇まで一ヶ月を切ったからか。少し気を引き締めよう。

2000年9月12日火曜日
Casaで投降したMilitiaは10人との報告あり。わが県で投降して欲しかった。残念。

2000年9月13日水曜日
早朝から、NYから派遣されたExternal Auditorの対応。DOA(Director of Administration)と一緒にヘリでスアイ到着。3時間ほど滞在。監査というより現状視察程度のVisit。拍子抜けする。●午後3時より、RDTL−CNRT問題の件でBecoへ。CivPol2人と元ダイアナ妃のボディーガードのTが一緒。(Tは本当に責任感を持って俺を護衛してくれる)●今日は、前回の会議の続き。CNRT側の不穏分子たちを集めてダイレクトに対話する手筈。しかし、出席者50人くらいの内半分以上が前回の顔ぶれ。やはり、過去に問題を起こした不穏分子たちをCivPolや俺の前に引き出すのは元々無理な話し。しかし、こういう会議はとにかく回を重ねるものだ。色々な背景が分かってくる。今まで大人しく傍観者の態で振舞っていた例の村長。この後に及んで、RDTL批判のアジを始めやがる(たかが"旗"の話し。Fretelinの団旗を東チモールの国旗と主張するRDTLがこの旗の掲揚を行ったのがこの騒動の始まり)。これで、前回での推理通りこの村長こそが過激派のドンであることがわかる。これが分かればこっちのもの。こやつに釘を刺す。CNRT対RDTLという対比自体がおかしいのであって、これは例えれば象と蟻のスケールの差。CNRTは象の余裕を持たんかい、と。RDTLと定期調停会議を開くことに満場一致。「泥棒を捕まえるのに泥棒を使う」の喩の如く、こやつを前面に立て責任を与えて調停作業を続けてやろう。

(Becoの会議後、記念撮影)


2000年9月19日火曜日
DA会議のため日が空いた。●夜は、Sector West Gri. Gen. Lewisの歓送夕食会。名将スアイを去る、か。制服嫌いの俺が唯一脱帽する人物。Confidence Building Measureの何たるかを実地で教えてくれたMentor。彼の去った後のTCWGはどうなるか。

2000年9月20日水曜日
Under Secretary General, Iqbal Risaがスアイ来訪。国連のNo.3。国連事務総長のChief of Cabinetだ。こんな高いポストの人間なのに物静かでHumble。こういう態度は見習いたい。できそうにもないが。●DSRSGのCadyも一緒に。事務所での俺のブリーフィングの後、PKF Sector Westへ。その後、ヘリで国境の町、Bululik Latan。この辺はセットメニュー。それから、スアイ教会においてDACメンバーとの会談。●立ち話だが、シエラレオーネのMissionを勧められる。

(俺の右隣がRisa氏、その隣はDSRSG、Cady氏)


2000年9月21日木曜日
久しぶりZumalaiでのTown Hallミーティング。全村長を含めて観衆100人。●昨夜、またスアイ空港数キロの所でMilitiaの目撃、PKFによる発砲の報告。だいぶ前に侵入し、こんどは何とか西チモールに脱出を試みているグループらしい。●DACを何とかFatigueから抜け出させなければ。俺がディリから強奪に成功したしたインド系マレーシア人Human Right Officer Suは非常に賢い子。堪能なバハサを生かして短期間でもCNRTの幹部にも受けが非常に良い。彼女に「DACを面白くするタスクフォース」の責任を与える。●我県の最初の歳入! 未だに知事の管轄下の旧政府の土地・建物の賃貸料だ。最初の顧客は、なんと国連組織の一つであるIOM。破壊され壁だけ残っている家屋を自費で修理する。賃貸料は月50ドル… でも地方政府初の収入には間違い無い。●でも問題は、こんな微々たる収入でも全て中央に送金しなればならないこと。いくらかでも県に落ちるようなシステムを作らない限り、この手の収入を増やそうとするインセンティブにならない。この辺が、「地方の時代」の発想から何も教訓を得ていない国連官僚の国づくりの限界。

(Town Hall ミーティングにて)

(我県で始めてアメリカ小額コインを導入。出納課職員が確認作業。)


2000年9月22日金曜日
朝からSaleleでとTown Hallミーティング。DFOのウガンダ人Aidaは、新米なのに良くやっている様子。村人から大変ポピュラーなよう。大いに満足。●着任以来はじめて、先々週やっと各郡(Sub-district)に一人づつDFOを配置できるようになった。車両も各郡に一台づつ配備。これでやっと"政府"の態が整った感じ。まだまだ村村のニーズに応えられるとはとても言えないが、少なくともコミュニケーションはとれる体制。政府として何が"出来ないか"を伝えることは、今この時期に非常に大切。

2000年9月23日土曜日
Brigadier Gen. Lewisが最後にChairするTCWG。西チモールでのUNHCR職員3人の殺害の後ずっとお流れになっていた。場所は、西チモール側国境Laktotos。スアイからヘリで立つ前に円陣を組んで非常時の心得などをBrigadierを中心に確認。俺の他は全て制服組。完全武装。総勢17名で一機のPumaヘリで、Laktotos TNIベースに午前10時半着陸。出迎えのTNI、いやに愛想が良い。●TNI:開口一番、例の殺害事件後、インドネシア政府が大変シリアスに西チモールの治安に乗り出したと。●TNI:西チモールで既に噂として流れている、PKFがFalintilを武装させMilitia制圧に参加させる計画に懸念を表明。Falintil対TNIの全面戦争への懸念だ。"過去"はそうであったが、現在ではTNIとしてはFalintilを敵ととして見なしていない。このメッセージをFalintilに伝えて欲しいと、志雄らしいことを言う。●UNTAETとしては、Falintilは当初から自己防衛目的で武装させている。これはCivPolと同じ扱い。今のところMilitia制圧の目的にはFalintil Liaison Officerとしてアドバイザー的な役割しか与えていない。Sector Westでは当初の3人(俺ChairのDistrict Security Councilに参加している)から8人へ増強したのみ。"前線"への配備は今までもこれからも考えていない。全面戦争への懸念はこちらも同じ。●Falintilの将来については英国のKings Collegeがコンサルタントチームを派遣し、俺もインタビューされた。でもFalintilを国防軍にするべく誰がコストを持つかはクリアではない。カナダ、オーストラリアがBiで援助の可能性を示唆しているが、どちらにしろ国防軍はSelf-Defenseのみ。当面(2〜3年)はボーダーの警備はPKFというのが一般的理解。●更にTNI。この9月中に既に3件の東チモール人"武装"グループの西チモール侵入に触れる。(ここのCNRTのねちっこさを考えると、やっててもおかしくない) TNIにとっては、PKFがMilitiaを攻撃するのと同じように、この手の輩を扱うという警告。しかし、その3件全て、TNIからPKFに連絡があったのは、12〜14時間後。これじゃ何も対処できないと反論。平行線。とにかく両軍、むやみな射殺を防ぐためにROE(Rules of Engagement)を固守するように確認。●TNIがショッキングなことを。ボーダー北から南まで9箇所に、Permanent Military Postを築くことを決定したと言う。現在両軍がトーチカを築いている通称Junction PointsはあくまでTemporary Postの扱い。Permanentとなると話は別。あくまでMilitarizeされない、両国が銃を突き付け合わない、"Soft Border"を最終的な目的にしてきた我々、特にBri.Gen.Lewisにとっては大打撃。Lewisの顔が歪む。彼にとって最後のTCWGだというのに。何ということだ。●Lewis、食い下がる。9箇所の内、北と南側2箇所の海岸線幹線道路沿いのそれに関しては、Soft Borderにすること何とか同意。この2箇所は既に交易ルートとして税関を設置する作業が進められている。他の7箇所は内地。●TNI、西チモールMilitiaの武装解除に向かう自らの努力を強調。自発的武器の放棄と強制捜査の2段構えで行くとのこと。明日、副大統領メガワティが来て、最初の500丁の武器の引渡し式があるとのこと。自家製や槍、刀の類ではしょうがない。自動小銃などModern Weaponの武装解除でなければ意味が無い。この辺を突くと、TNI何も返答できず。●最後に、UNHCR職員3人が殺害された状況をTNIが弁明。当日、BetunからAtambuaにMilitiaの一群が移動の可能性を察知。すぐにUNHCR Atambuaオフィスに連絡したとのこと。Betunからの移動中になぜ拘束しなかったのか? Militiaの移動は至って"Peaceful"で、一般人の通行と何の違いも無く、拘束する理由を作れなかったこと。群集(数千人とのこと)がUNHCRの事務所を取り巻いた時には、AtambuaにはTNI一小隊しか配置されておらず、何も手出しが出来なかったこと。しかし、すぐに3小隊を派遣。殺害を免れた他の職員の保護に当たったとのこと。●TCWGは、"法廷"ではない。CBM(Confidence Building Measure:信頼醸成)の場である。よって我々もこのTNIの"言い訳"にこれ以上食い下がれなかった。怒るのは容易い。Sleeping with Enemy。ちゃちな正義感では、やって行けない。


2000年9月25日月曜日
日本に発つ前日。出発前の雑用。●国連安保理でCivPol強化が決定。国内各13県の全郡(Sub-district)に警察署を作れとのこと。(我県には7郡) これはもちろん、治安をCivilian Controlへ移行する意思が明確に現れているポリシィ。歓迎。●警察署建設の件は、UNTAETのいわゆる2つの財布、Assessed Budget(UNTAET国連組織の運営費)とTrust Fund(東チモールへのローカルな投資)の間で責任の所在を巡ってたらい回しの状態だった。この安保理の決定で、国連運営の一環としてAssessed Budgetからの出費が決まったので、ひとまず先が見えた感じ。大いに結構。●スタッフ会議3時間。俺の留守中の課題設定。「この留守を利用して、独裁者の俺の前で普段萎縮して提案できなかった改善案をどんどん実施しろ」とハッパをかける。

(今日から日本へ短期休暇。スアイからディリまで、いつものようにCaribou機で。)

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