見沼田んぼの風景
2002年10月18日
ここでは、私が家内と見沼たんぼを散策しながら撮影した写真を紹介します。
見沼たんぼには川や池・沼、そして畑や植木、公園などの長閑な田園風景だけではなく、その周辺地域には由緒のある古いお寺や神社も散在しています。それらも併せて紹介します。
見沼たんぼのイラストマップは次のURLをクリックしてご覧下さい。 http://www.pref.saitama.jp/A02/BH00/minuma/docobunmap.htm
| 2002/10/4 撮影 | 2002/10/4 撮影 | 2002/10/4 撮影 |
| さぎ山記念公園にある池、平日でも多くの太公望が釣り糸を垂れている。遠くに少し色づいて見えるのは「ハナミズキ」 | 見沼自然公園内の「見沼代用水東縁」の土手に咲いている「彼岸花」、花は既に終わりに近づいている。 | 見沼代用水東縁の桜並木、春には見事な花が咲きそろう。 |
| 2002/10/14 撮影 | 2002/10/14 撮影 | 2002/10/14 撮影 |
| 見沼自然公園近くの「コスモス畑」、奥にこんもりと茂って見えるのが自然公園の樹木。その間に加田屋川がある。 | コスモスの花 | このコスモスを摘むには300円の代金が必要。当日家内と一緒に袋一杯に摘んで帰った。時刻は夕暮れ前。 |
| 2002/10/15 撮影 | 2002/10/15 撮影 | 2002/10/15 撮影 |
| 萬年寺、見沼自然公園の直ぐ近くある。境内内に石碑があり、下記のような説明書きが書かれている。 | 一番手前にある木は「蒼い花」が咲くという萬年寺境内にある桜の木、私はまだその花を見たことがないので、来年には是非見たいと思っている。 | 萬年寺境内、非常に静かできれいな境内。 |
この碑は、見沼代用水を開いた功労者・井澤弥惣兵衛をたたえたものです。
井澤弥惣兵衛は、江戸時代の寛文3年(1663年)に紀伊国(和歌山県)溝口村(海南市)に生まれ、土木技術に才能を発揮し紀州藩主5代にわたり仕えました。
その後、八代将軍徳川吉宗に招かれ、幕府勘定方に着任し、享保12年(1727)から埼玉県に広がる見沼の開発に着手しました。見沼の開発は、利根川の水を下中条(行田市)から引き入れ、距離60Kmにおよぶ見沼代用水路を掘り進め周辺に新たな水田を開くという大がかりなものでした。着手してから半年という短期間で用水路を掘りあげたと伝えられています。なお、弥惣兵衛は見沼代用水の工事のために萬年寺境内に工事事務所を置いたといいます。また、見沼代用水と芝川を利用して江戸とを結ぶ水運の便をはかり、米をはじめとする物資の輸送を効果的に行なえるようにしました。浦和市(現さいたま市)にある国指定史跡の閘門式運河・見沼通船掘が広く知られています。
この碑のほか利根川からの取水口近くに井沢祠、白岡町柴山常福寺には墓石があり、井澤弥惣兵衛の功績を現在に伝えています。現在でも見ぬまで工事を行なう際にはこの碑に参拝して工事の安全祈願をするといわれています。
なお、弥惣兵衛は元文3年(1738)に75歳で没し、江戸麹町(東京都千代田区麹町)の心法寺に葬られています。
平成8年2月吉祥 長昌山 萬年寺