---言葉がくれたもの---
人間、生きてれば実にさまざまなことが起こります。
そんな中で私が出会った『言葉』を綴ってみたくなりました。
『冬の寒さが厳しい年ほど樹木はよく繁る。人は逆境に耐えて初めて生きる。』
私の家は幼い頃から造園業を営んでいました。父親の働く姿を見るにつれ、私もなんの迷いもなく、自然に同じ道を歩んだ。
造園関連の高校に入り、卒業後、他の造園会社に就職。その後、現在も「親父」と慕う親方のところに住み込みで弟子入り。
修行中に何度か「もう帰りたい」と弱音を吐いたときに出会った言葉です。
『一呼吸では苦しいことも、二呼吸なら楽になる。心に余裕あれば万難排す。』
仕事にも慣れたころ、「おい、そろそろ戻ってきたらどうや。」と父から言われ実家に戻ったが、ほどなく父は他界。
未熟なれど親方になるが、若さと技の未熟さも手伝って、先代よりの職人さん達とぶつかったり、先代のお客さんがほとんど
離れたりと苦労の連続で、いつも不安と焦りでイライラしてた頃に出会った言葉です。
『勝負の傍観者となるより、当事者となって本当の力がつく。」
これもそんな頃に出会った言葉です。
『死んで金を残すは三流、死んで名を残すは二流、死んで人を残すが一流。』
庭というのは、代が変わろうが家が壊れようが造った者が死のうが、誰かが壊すまではいつまでも残ります。
亡くなった父は、金も残さず名も残しませんでしたが、私や職人さんを残しました。
仕事もなんとか回りはじめたころ、父の残した庭を見て廻るうち、ふと思い出した言葉でしたが、これは「子馬鹿」でしょうね。
『どんな道を選ぶかではなく、選んだ道をどう歩くかのほうが、ずっと大切なこと。』
仕事に追われる日々が続くようになったとき、「あぁ、俺はこのまま造園以外なにも知らないで人生を終えるのか」と考えたとき
出会った言葉です。
『陽を背にして歩めば影は前に映る。大いなるものに照らされ道は示される。』
ある日、仕事中、取り返しのつかない事故が起きた。すべてを失ったと思った。
責任をとる。と言うより、今まで張り詰めていた気力が切れた。
造園業を辞め、途方に暮れていた頃に出会った言葉だった。
『渋柿が、丸八年の恩知らず。』
修行中はもとより、父が亡くなったあとも何かとお世話になっていた「親父」に廃業を伝えに行ったときに思い出した言葉です。
『多弁に味なし、黙して語らず。』
親父は何も聞かず、他愛もない話をしながら二人で飯を食べ、親父の造った庭を見に連れて行った。
別れ際、親父は「いつでも戻ってこい。」とだけ言ってくれた。
深い、思いのこもった言葉に思えた。
『水を飲んで喜ぶ者あり、酒を飲んで憂う者あり、要は心のありよう一つ』
その後、建設会社に就職、そして18年の後離職、その間それまでの人生とは比べ物にならないような穏やかな日々が続いた。
あれが欲しいこれが欲しい、ああなりたいこうなりたいと望まなければ、じつに穏やかな心持になれることを知った。
『過去を悔いず、未来を恐れず、堂々と今を生きる』
いまだ道半ば、、、まだまだこれからです。