---シュウちゃん---

最近、うちの近くでもアライグマによる農産物への被害が深刻になっている。
先日、住民の誰かが連絡したのか保健所の人が害獣駆除の檻を2つ仕掛けて帰って行った。
「あんなモンで捕れるんかよ、」と近所の人たちは保健所のやり方に不満をもらしていたが、案に反して翌朝、両方の檻ともに一匹づつアライグマがものの見事に掛かっていた。
「おお、捕れたで捕れた。えらいモンやなぁ、こんな簡単に引っ掛かるとは思わなんだわ。」とみんな一安心といった感で、あとは保健所にまかせるとしてそれぞれ仕事に出掛けて行った。
が、保健所の職員が来たときには檻の扉は開け放たれ、中はもぬけの空だった。
それを聞いた近所の人たちは、「誰や、誰かが檻を開けたに違いねぇ、子供やねぇぞ、みんな学校行った後やったでな。
「・・・アレやねぇか?」
「・・・誰や、」
「シュウちゃんや、」
「ああ、そうやわ、アレいつもアライグマにエサやっとったみたいやしな、きっとそうやわ、せっかく掛かったに、まあいらんことしよるなぁ。」
保健所の職員は近所の人の話を聞き、今度は扉に鍵を掛けて檻をそのままにして帰って行ったが、その檻に二度と掛かることはなく、何日かして空の檻は引き揚げられてしまった。

話は、その「シュウちゃん」である。

その、シュウちゃん、私の同級生である。
家が近いこともあって保育園、小学校といつも一緒に通った。
そのころは今みたいにアライグマだのブラックバスだのといった外来種の迷惑者などはいない。
ただ捨て犬、捨て猫の類は今の比ではない。
捨て犬などはどこにでもいて気にもしなかったし、野良達も飼い主なしの生活が出来上がっていて、なかには群れで行動するグル−プもいたが子供であれ大人であれほとんど気にもしていなかった。
今のように「ゴミ収集日」などというものもなく、残飯はすべて畑の肥やし、野良がエサに不自由することもない。
その中に、野良同士の喧嘩で負ったのか片目に大きな傷をもつ真っ黒な犬がいた。
野良の中では小さいほうで、痩せて、いつも一匹で行動しており、人を見ると尻尾を丸め、目を伏せ、耳を伏せ、振り返り振り返り離れていく。
ほかの野良達と比べてあきらかに哀れな感じのする、間違っても可愛いとはいえない風貌であり素振りだった。

「シュウちゃん、片目や片目、なにやっとるんやあれ、ぜんぜん逃げえへんぞ、」
僕とシュウちゃんはそっと近づいてみた。
「足、ケガしとるみたいやな、血が出とるわ、」
片目はケガをした後ろ足を引きづりながら少し離れてまた横になった。
「ありゃまたシロ達にイジメられたんやで、」
シロというのは5頭ほどの群れを率いるリ−ダ−であり、体も大きく尻尾はいつもクルリと上に丸まって凛々しく強い。

シュウちゃんがランドセルから給食の残りの食パンを取り出して放り投げると、片目は土煙を上げて逃げ出したがまたすぐに横になった。
僕達は少し離れた建物の陰で様子をみていると、しばらくして片目は足を引きづりながらヨタヨタと食パンのところまで戻って、キョロキョロ辺りを見廻してからソレを食べた。
「お、食べた食べた、シュウちゃん、食べたで、」
「・・・うん、」

それから毎日、シュウちゃんは片目に給食の残りを与えるようになった。

「おいヤス(この場合私の役名ということで)、最近シュウはどうしたんや、」
声をかけてきたのは一級上の悪ガキエイジくん、
「ケンカでもしたんか、」
シュウちゃんはあれからいつも学校が終わると一目散に「片目」のとこへ行っている。
訳を話すと、「なに、片目ってあのこっ汚い黒いヤツか、あんなヤツのどこがええんや、」
ちなみにエイジくんの家にも犬はいる。
真っ白のスピッツ、そのころのお金持ちの象徴のような犬である。
もちろんシュウちゃんの家にも犬はいた、ただし雑種。
ウチにはいない。
シュウちゃんがあまりにも片目にしろ家の犬にしろ可愛がるので、犬っちゃ、そんなに可愛いもんかと一度、「なあ、ウチも犬飼わへん?」と父親に言ったことがある。
が、「なにぃ、犬を飼いたいぃ、お前犬がどんだけ食べるか知っとるんか、」と言うので、「茶碗に一杯くらい?」と聞くと、「アホ、一日一升や、」と言うので「一升ってどんくらい?」と聞くと、「バケツに一杯や、」と言う。ムチャクチャである。
「でもシュウちゃんとこもエイジくんとこもマ−ちゃんとこにもいるやん、」と言えば、「アソコらはみんなニワトリ飼っとるやろ、ニワトリは毎日何匹も死ぬんや、それを食べさせとるで飼えるんや、」なるほど、どの家もたくさんのニワトリを飼っている。
ただそれには違う訳が、ちゃんとした訳がある。
そのころ、アライグマのような外来種はいなかったが、それ以上にイタチがいた。
そのイタチの被害から大切なニワトリを守るために犬を飼っている。
ただ子供の私にはそれは分からない、ムチャクチャである。が、納得した。

話がそれた・・・

悪ガキが言う。「学校の近くに自動車屋があったやろ、アレ潰れて今は空き家らしんや。この前、吉田やとかケンちゃんらが中に入ってステッカ−やなんかをいっぱいもってきたらしいぞ、オレらも早よ行かんと全部取られちまうで明日の帰りに入るでお前らも来いよ、」
僕はビックリして、「そんなことしたら泥棒やん、警察に捕まってまうわ、」
と言えば悪ガキ、「アホ、人が住んどるとこ入いりゃ泥棒やけど空き家やで、空き家っちゅうことは持ち主がおらんっちゅうこっちゃ、前に住んどった人が捨てたモン拾いに行くだけやないか、泥棒とちゃうわ、」ムチャクチャである。が、子供の私には分からない。

悪ガキなりの理由に納得して翌日、捨ててある家に忍び込んだ。
もちろんシュウちゃんも一緒である。

翌日、学校が終わると一級上のエイジくんとボウちゃん、それに僕とシュウちゃんは空き家の自動車屋へと向かった。
なぜかエイジくんとボウちゃんは何度も振り返っては顔を見合わせている。
二人の異様な雰囲気に僕達も押し黙ったまま歩いている。
エイジくん達が振り返る度、訳も分からず僕達も振り返った。
目的の自動車屋の前を通り過ぎ、エイジくん達は裏の畑へと急に走り出したので遅れまいと僕達も走った。
途中、シュウちゃんが転んだので、「何やっとるんや、シュウちゃん早よ早よ、」
シュウちゃんは足が遅い。
自慢じゃないがこの頃の私は足が速かった。
クラスで二番、何度走っても二番、一番にはなれなかった。
が、それでも一級くらい上の子相手なら互角以上に走れた。
訳がある。
この頃、小学校に上がると同時に普通はみんな自転車を買ってもらった。
エイジくんもシュウちゃんも持っている。
小学校二年生、自転車を持ってないのは私くらいのものだった。
みんなが自転車に乗ってアチコチ行くとき僕は走った、自転車に置いて行かれまいと一生懸命走った。
おかげで足だけは速くなった。
ちなみに私がどうしても勝てなかったモッくんも自転車を持ってなかった。
二人とも家が貧乏だったのである。
貧乏が故の速い足、なんの自慢にもならん。

話がそれた。

「静かにしろ、誰かに見つかったらどうするんや、」
横を全力で走っているエイジくんが怒った。
僕にはまだ余裕があった、僕はエイジくんよりも速い、なんの自慢にもならん。
それにしてもなにか様子が変であることにその時気付いた。
「なんでや、捨てたるもん拾いに行くのに何でコソコソするんや、」とは思ったがなにも言わず走った。
裏の壊れた窓から中に入るとエイジくんはみんなを集め、「ええか、何を持ってってもええけど一回オレに見せるんやぞ、オレに黙って持ってったらどうなる分かっとるやろうな。」
あまりの迫力に、一同うなづいた。
僕とシュウちゃんは一緒になってアチコチ見て廻った。
「おっ、シュウちゃん見てみい、ボ−ルペンや、チョ−クもあるで、」
言われたとおりエイジくんに見せに行くと、「おっ、ええもん見つけたな、そやけどボ−ルペンはオレが預かっとく、チョ−クはやるわ、」
ボ−ルペンは取り上げられた。
「なんで、ボ−ルペンは?」と言うと、
「アホウ、子供がボ−ルペンなんか持っとったら怪しまれるやろ」
自分も子供のくせに、とは思ったが言うとおりにした。
「なあシュウちゃん、エイジくん盗賊の御頭みたいやな、昨夜やっとった大岡越前に出とったやつと一緒や、」
「はっ、」として僕とシュウちゃんは顔を見合わせた。
「なんや、僕んらも盗賊やんか、これ泥棒やろ、」
と言うと、「なんや、知らんかったんか、僕は初めっから分かっとったわ、」
シュウちゃんは嫌な子ではなかったが、この知ったかぶりにはいつも閉口した。
「どうしよう、」と言うとシュウちゃんも「どうしよう、」と言った。
そう言いながらもシュウちゃんの手には、まだ新しい犬の首輪が握られていた。

しばらくの間、なにもない日がつづいた。
あれ以来、づふれた自動車屋にも行っていない。
が、その頃になるとみんなが学校帰りに堂々と自動車屋に入って行っては大騒ぎを繰り返す、もう泥棒もなにもあったもんじゃなくなっていた。

シュウちゃんは相変わらず「片目」にエサを与えつづけている。
その「片目」の首には自動車屋から持ってきたまだ新しい首輪が付いていた。
「なあシュウちゃん、その首輪がありゃ片目も野犬狩りに連れていかれずに済むな、」もう片目も馴れて、シュウちゃんのすぐ横で食パンを食べている。
その頃、保健所の職員による野犬の保護が頻繁に行われていた。
保護とは言っても飼い主が現れる訳もなく、結局は処分される運命にある。
学校にも何頭かの野犬が住み着いていた。
先日、野犬狩りが学校でもあった。
「ええ、皆さん、今日は休み時間に決して外に出ないようにしましょうね、先生の言うこと聞かないとみなんも檻の中に入れられて連れて行かれちゃいますよ、分かりましたね、」
一時間目が始まる前に先生が言った。
給食の時に、僕とシュウちゃんは裏庭に面した廊下の端でその光景を見ていた。
先に金属の輪っかが付いた棒を持った野犬狩りの人たちが一匹の野良を取り囲んでいた。
逃げようとする野良の足に輪っかが引っ掛かると輪が締まり、一斉にみなんで押さえつけて南京袋を頭から被せて縛り、檻のなかに放り込んでいく。もう何頭か檻の中に入っていたが、袋を被せられた野良たちは暴れて檻にぶつかったり転んだり、それでも逃げようと暴れている。
足に付いた輪っかの傷から血が出ていたり、袋が血でにじんでいるのもいた。
「ひっでぇなぁ、なあシュウちゃん、片目だいじょうぶやろうか、」
そんなこともあって、嫌がる片目に首輪を付けた。
「知っとるか?野犬狩りに連れてかれたヤツってみんな動物園のエサになるらしいで、ライオンの檻の中なんかに放り込んで喰わせるんやて、リョウちゃんがこの前動物園に行ったとき見たらしいわ、」もちろん事実ではない。が、みんな信じた。
「そやけどその首輪ちょっと大きすぎいへんか?抜けそうやで、」
シュウちゃんもそれは分かっていたが、子供にはどうにかできるもんでもなかった。

野犬が減った。
帰り道、いつものように片目の棲家にしている藁のしまってある小屋の前まで来たとき、そのすぐ近くに檻を載せた野犬狩りのトラックが止っていた。
「シュウちゃん、野犬狩りや、野犬狩りや、」僕が叫ぶより先にシュウちゃんは畑を突っ切って藁小屋へ走った。
僕も後を追った。
小屋へ入ると、首輪を握ったシュウちゃんがヘタリ込んでいた。
そこに片目はいなかった。

片目がいなくなった。

「なあシュウちやん、片目、捕まってへんと思うで、」
たしかにあの時、野犬狩りの車に犬は一頭も乗せられてはいなかった。
が、一週間も経つのに戻ってもこない。

その日の朝、一時間目の授業が始まると、「えぇ、今日はみんなにチョット聞きたいことがあります。」
担任の先生が朝の挨拶を終えるなり切り出した。
この先生、なにかってぇとすぐにビンタをつる。
今では体罰だなんなのとすぐ問題になるがこの当時、ちよっと授業中にお喋りしてりゃチョ−クは飛んでくるわ、廊下にゃ立たされるわ、グランドは走らされるわで子供の人権もヘッタクレもあったもんじゃない。
その中でもこの「ビンタ先生」、
うちの学校は一年生から六年生まで一クラスづつしかなかったが新学年になったとき、「おい、知っとるか、オレ等の今度の担任、鬼ビンタらしいぞ、」
クラス一の悪ガキが首をすくめて言った。
あれから何度この悪ガキがビンタつられるのを見たことか、
懲りない奴ってのはいるもんだと感心したのか呆れたか、今では往復ビンタが当たり前になっていた。
その「鬼ビンタ先生」が、
「みんな、学校の近くにある潰れた自動車屋知っとるな。」
男子で知らない奴はいない。
「今まで、一回でもあそこに入ったことのある人は手を上げてください。正直に手を上げた人は先生ぜったい怒らないから。」
鬼が無理やり笑顔をつくって言った。
「ウソやな、こりゃ手を上げたとたんビンタやで、」
そう思ったのは僕だけではなかったようで、誰も手を上げる者なんぞいなかった。
ただ一人をのぞいては・・・、
真っ先に手を上げたのはいつも往復ビンタをくらっている悪ガキだった。
「ありゃアホやな、」
この先なにが起こるか、みんな固唾を呑んで見守った。
ところが、「ハイ、俊哉は正直でタイヘンよろしい、先生はウソツキは大嫌いです。この中にウソツキはいないと先生は信じてます。」
そういいながら張り倒されると思っていた俊哉の頭を撫でている。
するとアチコチで手が上がった。
僕もシュウちゃんも恐る恐る手をあげると、
「ハイ、手を上げた人は全員前に出てきてください。」
言われるままに前にでていくと席に座っているのはほとんど女子だけとなった。

前にでて行った正直者達は全員ビンタの嵐・・・、
と思いきや、いくら鬼ビンタでも舌の根も乾かないうちにそうはしなかった。
が、その日の午後、正直者達の親が学校に呼び出された。
哀れ正直者達はうちへ帰るなりビンタの嵐、少なくとも僕はそうなった。
シュウちゃんもそうであったかどうかは知らないが、その日の晩、
「こんばんわ、こんばんわ、」
シュウちゃんとこのオバサンが来た。
ちょうど玄関にいたウチのクソおやじが、「おいっ、ちょっと来い、」
まだ頬がヒリヒリする。
呼ばれるままに玄関に行くとオバサンが心配そうな顔で、
「ヤスくん、シュウどこ行ったか分からん?」
言ってる意味がよく分からなかったが、
「今日、学校に呼び出されてお父さんが行ってきたんやけど、えらい怒ってて、シュウが帰ってくるなり引っ叩いて、『出てけ、』なんて言ったもんでシュウそのまま出てったきり帰ってこないんやわ、どこへ行ったか知らん?」
意味が分かった。
「マ―ちゃんに聞いてもヨシくんに聞いても知らんて言うし、ヤスくんなら知っとるんやないかと思ったんやけど、」
友達の家にいないとなれば、そうは行くところはない。
「ひょっとしたらあそこかも知れんよ、」
「なに、お前知っとるんか、」クソおやじが睨みつけたが無視して、
「分からんけど行ってみる?」
「うん、頼むわ、悪いね、」心配気なオバサンを連れて行ったのは「片目」の棲んでいた藁小屋、
暗闇を懐中電灯で照らしながら歩いて行くと虫が明かりに誘われて寄ってくる。
夕方、オヤジにどつかれた頬をヒンヤリとした夜風が撫でて心地よい。
「おっ、ヤッタ、カブトムシやん、へへへ、」

藁小屋に着いた。
僕が中を覗くと、「居た、オバサン、シュウちゃん居た居た、居たよ、」
懐中電灯を向けると黒い影が小屋から走り去った。
「片目やんか、シュウちゃん片目帰ってきたんか、」
いきなり小屋から飛び出てきた影に驚いたおばさんだったが、
「シュウ、こんなとこでなにしとるの、もうお父さん怒ってへんでウチに帰りぃ、」
シュウちゃんの服に付いた藁屑をはらいながら、「今の、前からこの辺にいる野良犬やないの?アンタあんな汚い犬なんかと一緒にこんなとこにおって病気になっても知らんよ、」
本当はシュウちゃんのことが心配で心配でしかたなかったはずなのにオバサンはそんな顔は見せず「ヤスくん、悪かったね、ありがとね、」と言ってシュウちゃんの手を引いて帰りを急いだ。
「シュウちゃん・・・、おじさんに殴られたんか?」
小声で聞くとシュウちゃん小さくうなずいた。
「へへ、ウチと一緒やな、僕もどつかれたわ、そらしゃあないで、なんてったってオレら盗賊団やもん、」
「これやるわ、」
さっき捕まえたカブトムシを渡すとシュウちゃんが笑った。

「・・・さっきのあの犬・・・、」
シュウちゃんのお母さんが、片目と出くわしたのは今夜が始めてではなかった。
この時、僕もシュウちゃんもそのことを知らなかった。


                                            ---つづく---