--- 徒然日記 ---


 ☆☆ 旅の終わり ☆☆
リハビリ開始 一昨年の7月末、、、仕事中、右手甲に大怪我を負って一年半、三度の手術と、入院中には生まれてこのかた経験したこともない痛みを伴うリハビリを日に三度。
「こんなことなら、いっそのこと切り落としてしまえばよかった」と何度思ったことか。

それもこれも今となっては過ぎたる話し。

あれほど逃げ出したかった病院も今では懐かしく、いろんな人たちと出会い、普通ではあり得ない経験もした。
症状固定の診断が下りリハビリもこれで最後という日、長い間ともに治療に励んできた作業療法士が言った。
「執刀した先生は最高でした。でも僕は最高ではありません。もし作業療法士も最高の技術と知識を持った人がおこなったなら、もっと良くなっていたかもしれません。僕は僕なりに考えて一生懸命やらせていただきましたが、これで良かったのかどうなのか、、、」と、うな垂れた。
「なにを言うか、俺は最高の結果なんて期待しちゃぁいないよ、最悪の結果にさえならなけりゃそれで十分さ。長い間ありがとう。」とは言えなかった。
言えば堪えていた涙が溢れそうで言えなかった。

なんとか社会復帰も果たし、そして今日、身体障害者手帳が手元にきた。

体はここにあるのに、心は遠く永い旅を続けてきて、今やっと帰って来たような心地よい憂いが残った。
復帰


 ☆☆ 壺中日月長し ☆☆
仙人と蛙 「こちゅうじつげつながし」

仙人に誘われ壺の中に入ってみれば、百花繚乱、鳥はさえずり、美酒に酔いしれ一時を過ごし、ではこの辺でと帰ってみれば、幾年月もの歳月が過ぎ去っていた。
と、言うお話し。

例えば、野球をするとき、このグランドのなんと狭いことか。
さりとて草むしりをするとき、このグランドのなんと広いことか。
グランドの広さは変わっちゃいない。
己の都合が変わっただけのこと。

話しは変わりますが、、、
「井の中の蛙、大海を知らず」

言うまでもないが意味としては、狭い世界に閉じこもって、広い世界のあることを知らない。
狭い知識にとらわれて大局的な判断のできないたとえ。
この言葉は中国の荘子が伝えた言葉で、原典は秋水篇にある寓話が元になっており「井蛙不可以語於海者、拘於虚也」が「井の中の蛙大海を知らず」の元といわれている。
が、恥ずかしながら私、最近になってコレに続きがあったってことをはじめて知りました。
諸説ありますが、「・・・・・・されど、空の高さを知る。」

これは後になって日本で付け加えられたのだが、意味としては、広い世界を知り見聞を広めれば多くの知識をつけることができるが、一つの場所にとどまることで、より深い知識を得ることが出来るという事なんだそうです。
島国根性丸出しの日本人の屁理屈のように聞こえなくもないが、日本人の持つ卓越した技術の数々をみれば、まんざら「井の中の蛙」を馬鹿にしたようなものでもない。

ひとつ例を挙げれば、生物学者が新しい微生物を発見したときと、天文学者が新しい惑星を発見したときとは、広い狭いで言えば真逆といってもよいと思うが成果としては等しい。

与えられた場所や時間を、自らの価値観で狭い広い、長い短いと判断する分別を超えた世界が、「壺中日月長し」なのです。

夏(5月〜10月)はアッという間に終わってしまうのに、冬(11月〜4月)のなんと長いことか、、、

いやいや、まさに「壺中日月長し」と言われそうですね。
井の中の蛙


 ☆☆ 釣りができる喜び ☆☆
去年の7月末、仕事中に右手甲の怪我で救急搬送そして手術。
転院してまた手術、そして今年2月に三度目の手術、その間ワカサギ釣りには行ってみたが鮎と渓流からは遠ざかっていた。
GWの2日と3日、久しぶりにいつものAさんと渓流釣りに行ってきました。

1日の昼前に食材を調達、そして高原川へと向かった。
まだ陽のあるうちに到着、明日入る場所を探そうとアチコチ見て周り、晩飯を食べ始める頃には土砂降りの雨。
二台の車の間に張ったシートを叩く雨音、暗闇の中でシート下を照らすランタンの明かり、暖かい光に包まれて焼肉に舌鼓を打つAさんと私、、、
「あぁ、、、このオッチャンが女の子だったらなぁ・・・、」
そんなことを思ったりしているうちに夜もふけ、就寝の床についた。

釣れるか釣れないか、そんなことよりまずは釣りができるのか多少の不安があったが、湯たんぽの心地よさにすぐに眠りについた。
翌日、昨晩の雨も上がりAさんは支流の沢へ、私はトラブルの少ない本流へ入った。
何ができるのか何ができないのか、まず竿を伸ばすときに問題発生、しっかりと固定できない。糸を結ぶのが大変、不安だった針は案外らくに巻けた。
やってみないと分からないことがたくさんあった。

固定が十分でない竿が何度もカシャカシャと落ちてきたがなんとか夕方までに8匹、沢に入ったAさんはボーズ。

陽が暮れる前に高原川から小鳥川上流へと移動、「白川の俊」君も合流して高山西インター前の道の駅でBBQ。

翌日、夕方までに俊君18匹、Aさん3匹、私は午前中に4匹釣ったあと久しぶりの川歩きに疲れて昼食後3時まで爆睡、納竿。
楽しい釣りでした。楽しいBBQでした。

「あぁ、、、このオッチャンが女の子だったらなぁ・・・、」と思わなくなるほど楽しい釣行でした。


 ☆☆ 絆 ☆☆
      2010年6月13日夜、無人惑星探査機「はやぶさ」が60億キロの旅を終えて7年ぶりに地球へ帰還した。
当初の予定では、地球より3億キロ離れた小惑星「いとかわ」探査を終え4年で戻るはずだったが、いくつものトラブルを抱え太陽の周りを5週するなどしたため予定外の長旅となった。
これほどの長旅を支えた技術者達は、たび重なる困難に見舞われてもあきらめず、奇跡とも思える偉業を成し遂げた。
はやぶさの推進力となった「イオンエンジン」を担当した堀内シニアマネ−ジャ−もその一人。
そんな堀内さんに「今度こそ終わりか」と思わせたのが、昨年11月、イオンエンジン4基のうち3基がダウン、残り1基では力不足で帰還できない。
このとき、エンジン同士を結ぶ回路を使って壊れた2基の正常な部分を組み合わせ、1基として使うことで危機を脱するという離れ業をやってのけた。
堀内さんは打ち上げ前、4基のエンジンにひそかに自分と妻、娘、息子の名前をつけていた。
そして土壇場でつながれたのは自分と妻のエンジンだったという。
一人では帰れなかったミッションも、家族が互いに助け合い、力を合わせて成功に導いた。
これに先立つこと2ヶ月前、スペ−スシャトル日本人最後の宇宙飛行士となる「山崎直子」さんが「ケネディ−宇宙センタ−」に無事帰還した。
山崎直子さんは幼少のころ、「宇宙戦艦ヤマト」等より影響を受け、いつかは自分も宇宙へ行ってみたいと思うようになったという。
そういった、幼少のころ見ていたアニメなどが将来の職業選択に、少なからず影響を与えた人は多い。例えば、「キャプテン翼」をみてサッカ−選手になった人や、「金八先生」をみて教師になった人など事例はいくつもある。

東京大学大学院修了後、宇宙開発事業団に入社、いくつものミッションをこなし、2010年4月、スペ−スシャトル「ディスカバリ−」に搭乗、ついに子供のころからの夢を実現させた。
その間、「国際宇宙ステ−ション管制官」をめざしていた「山崎大地」さんと結婚、子供にも恵まれたが、家事も育児も大地さんに任せ、自分の夢実現を最優先させた。
そのため大地さんは自分の夢をあきらめ、家事と育児と両親の介護に毎日を忙殺されることとなった。
一人では夢は実現しなかった。いや、一人だったなら誰も犠牲にせずに実現させることができたというべきか。
出産後、訓練のためロシアに渡った母を「おかあさんは本の中の人」と子供は言っていたらしい。
夢をあきらめ専業主夫となった大地さんの心中察するに、誰が一番の功労者であるかは考えるまでもない。
と、日々の生活に追われる私などは思うのだが。

形こそ違え、宇宙に馳せた想いを実現させたのは、「家族の絆」と、締めくくっておくとする。


☆☆底の抜けたコップ☆☆
荘川 ゴ−ルデンウィ−ク、いつものAさんと去年と同じ荘川へと行ってきました。

3日の晩に家を出て荘川沿いの道の駅にて車中泊、去年と比べるとかなり暖かい朝を迎えた。
この川は放流が盛んで、天然物にこだわらなければそこそこ釣れる。
ゴ−ルデンウィ−クの真っ只中、晩の食料確保が目的であって魚体にはこだわらない。
で、去年Aさんがバカ釣りした道の駅下流の淵にて二人並んで7時竿出し、すぐに釣れるだろうと思っていたが、まったく音沙汰なし。

去年の釣行では桜が満開だったが、今年はほとんど散ってしまっている。
あてが外れた。
1時間ほどで放流物の溜まり場だった淵を諦め、瀬狙いに切り替えて釣り歩いては車移動。
これがよかったのか天然物の良型イワナを中心にヤマメもまじり夕方までに15匹、晩の食料には十分の釣果となった。
朝入った場所に戻ってみると、Aさんの車が移動した様子もなく停まっていた。
Aさんはまだいない。
一服しながら待つも、一向に戻ってこないので携帯を入れると日暮れ近くになってやっと戻ってきた。
ビクを覗けば・・・、「なんやこりゃ、ぜんぶウグイやんか、こんなモン持ってきてどうするつもりなんや、」と聞けば、
「しゃあないやんけ、全然釣れへんかったもん、これでも食べれるんやろ?」
たしか以前にも同じことを言ったような記憶が脳裏をよぎった。
イワナ
ヤマメ なにはともあれ楽しい2日間を過ごし、帰った翌日用があって、幼馴染が住職を務める寺へと行った。

「野花啼鳥一般春」

冬の寒々とした枯れ枝に、新芽が吹き白や赤の花々が目を楽しませてくれる。
そして今、目に眩しい若葉の新緑が庭一面に広がっている。
夜明けと共にスズメはチュンチュンと戯れ、近頃やってきたツバメの勇姿が空を横切り、雨が近づけばカエルの大合唱。
この季節、自然界は命の息吹で大賑わい。
例えば・・・、

そんな自然の移り変わりを楽しんでいる和尚のもとへ、一本の電話が掛ってきた。
「もう・・・、私、死にたい。」
突然の非日常な言葉に戸惑いながら電話の向こうの言葉を聞くばかり。
なにを言ったらよいのか気の利く言葉もみつからず、「部屋の窓を開ければ、いろんな景色が見えますよ。外を歩けば花も咲いているし鳥も啼いていますから。」としどろもどろで告げると間髪入れずにキッパリとした返事が返ってきた。
「私には鳥のさえずりも聴こえないないし、花も見えません。」

「コップに水が一杯に注がれた状態では、それ以上に水を注ぎ足すことができないように、自らのことで心が一杯になった状態では、鳥のさえずりも咲き誇る花にも気付くことができないんだな。」と言うなり、
私の顔を見て、「お前のコップは、底に穴でも開いとるんか。」
と、和尚が言ったとか言わなかったとか。
ただ、はっきり言えるのは、Aさんのコップは底が抜けてるんでしょうね。
荘川の里
 ☆☆ サンタクロ−ス ☆☆
メリ−クリスマス 今日はクリスマスイブ。

例えば子供の頃・・・、
「サンタさんは、きっといる。」と思った時期があった。
何十年もの昔、その頃「奥様は魔女」だとか「パ−トリッジファミリ−」といった、アメリカのテレビドラマがけっこう放映されていた。
テレビの中では、クリスマスには大きな手作りケ−キやら七面鳥やらがテ−ブルを飾っていた。
「あんなん腹いっぱい食べてみたいなぁ、」とよく思ったもんである。
その中で、子供たちが靴下を枕元に吊るして寝ると翌日の朝にはその靴下の中にはサンタさんのプレゼントが・・・、
マネした。
小さなケ−キをみんなで分け合って食べたあと、ゴムの伸びきった親指のところが擦り切れたボロい靴下を、勉強机に吊るして寝た。
「きっとサンタさんがいっぱいプレゼントを入れてくれる。」
翌日、靴下の中には何もなかった。
ただ・・・、
ボロの靴下が、新品になっていた。

メリ−クリスマス。
 ☆☆ 鎮守の森 ☆☆
before 晴天の日曜、、、というのに釣りにも行かず、お寺の奉仕作業に行ってきました。
作業の内容は寺の植木の剪定なのですが、最近はみなさん専門職でもないのによくハサミを使われます。
それは見よう見真似であったり、シルバ−人材センタ-などでの講習会のおかげでもあったりするのですが、それである程度は手入れができるようになった方が増えてきたようです。
庭木の手入れは「松で始まり松で終わる」と言われています。
そこで教材となるのが松とかクロガネモウチなどや、生垣や柘植など玉刈の剪定が一般的なようで、画像の右奥に見えるような杉だとか、竹などはちょっと手が付けられなかったり、作業に入っても間違った手入れをしてしまう方が多いようです。

そこで、ちょっと私なりの講釈をタレてみましょう。
植木の剪定とは言ってもそんなに難しいものではない。
元々の樹形の硬い木は硬く、柔らかい木は柔らかく、真っ直ぐな木は真っ直ぐにすればよいだけのこと。
硬い樹形の代表が「松」であったり、柔らかい木が「モミジ」であったり、真っ直ぐに伸びるのがここで取り上げる例えば「杉」であったりする。
杉と言っても庭に使うのは「台杉」、画像では何十本もの杉が生えているように見えるが実は5本、文字通り台となる木から何本も枝別れさせてそれを伸ばしているだけなのである。
台となる元の木を山に見立て、そこに生えた芽を苗木に見立て、その芽を実際の杉と同じように下枝払いをして節のない綺麗な丸太として伸ばしていく。
伸びて脚立に立っても届かなくなったところで「台」から伐採、この一連の作業は、育林・間引き・伐採といった、山で行われている作業となんら変わることはない。
その代表となるのが京都の「北山」に広く植林されている「北山杉」であったりする訳であるが、よく手入れの行き届いた杉の森は美しい。
松などの「曲線の美しさ」とは対極にある、「直線の美しさ」である。

偉そうなことを言うが、「日本庭園」とは光と影の調和、曲線と直線の対比の美しさにあると思う。
ガ−デニング・フラワ−アレンジメントもよいが、日本庭園・生け花をもう一度見直してほしいと思うのであります。
after


 ☆☆ 不条理 ☆☆
雨模様 私の車は10年落ちで10万キロオ−バ−のステップワゴン。

今日ハロ−ワ−クの前を通ると、駐車場にピッカピカのベンツとセルシオが停まっていた。

・・・・・フン、
止るたんびに湯気を吐いてたラジエ−タ−は交換したし、あとはタイニングベルトか、、、
 ☆☆ 雨の休日 ☆☆
雨模様 天気予報では午前中は雨だったが、朝起きると降ってはいなかったのでワカサギ釣りの準備。
早朝5時半、まだ暗くて晴れてるのやら曇ってるのかも分からない。
車に乗り込んで、セルフスタンドにて数日前からカラッポの燃料タンクにガソリンを30リットル入れる。
エンジンをかけると燃料計がゆっくりと上がっていく。「上がれ上がれ、もっとあがれ、」
入れたのは30リットル、メ−タ−が上がろうが上がるまいが、燃料が増えるわけではない。
メ−タ−は半分より少しだけ上がったところで停止、「やったぁ、」・・・毎度満タン給油の諸氏には分かるまい。
ちなみに、毎度満タン給油しようが10リットルしか入れまいが、一月の燃料代に大差はない。
なのに私はめったに満タンにはしない。
例えるなら、、、
いつもケ−キを食べている子供に「誕生日あめでとう。」と言ってケ−キを買ってきてあげても喜びはしないだろう。
クリスマスやら誕生日など、特別な日にだけ買ってもらえるケ−キにこそ価値があるのである。
鮎解禁・お盆の連休釣行・遠征釣行などが私にとってのソレなのである。
満タンにするだけで気分が盛り上がる・・・分かってもらえたかどうだか、本日の釣行とはなんら関わりない。
「釣行」とは言ったが、7時過ぎに入鹿池に着いたとたんドシャ降りの雨。
すでに20艘ほどのボ−トが出ている。
「あぁ、降ってきやがったか、」途中で買った朝飯のサンドイッチをほおばりながら雨が止むのを待った。
土手の下からズブ濡れの釣り人が上がってきた。
「うっへぇ、ありゃヒデェわ、帽子もかぶってへんやんか、」ものは考えようで、もう少し早く着いてたら私もああなってたかと思えば幸いであった。

家から入鹿池まで30分弱、8時前には家に帰った。
テレビを付ければ、どのチャンネルでも「民主党・小沢代表」のプッツン釈明。
ソレを見るともなく聞くともなくウトウトとまた寝てしまった。

窓の外では雨が降り続いていた。
雨のイルカ


 ☆☆ 和尚さん ☆☆
托鉢 この前、親戚の法事がありました。

私の家もそうなのだが、この親戚も同じ禅宗の某寺の檀家。
その寺の住職というのが、私の小学校の時の同級生であり、以来の友人でもある。
父親も当寺の前住職で、彼が二代目であるが、それ以前の住職とは縁も所縁(ゆかり)もない。

彼には歳の離れた兄がいるが僧にはならなかったため、前住職の意向か本人の希望か中学を卒業後、高校・大学と仏道を志すべく修行にはげんだ。
昔、私が社会人になって何年か後、中学卒業以来久しぶりに僧侶となった彼に会った訳だが、形(なり)こそ変わっていたが少し話せば昔のまんま。
さぞや厳しい修行の日々を送ってきただろうに何も変わってはいなかった。
小学校の時の彼は、幼いながらも誰の悪口も一切言わず、故に誰からも嫌われることもなかった。
それが僧侶であり教員でもあった彼の父親の教育の賜物か、単に彼の性格だったのかは知る術(すべ)もない。
とにかく「いい奴」だったし、久しぶりに会った時の第一印象もそうであり、現在もそれは変わらない。

その彼に聞いてみた。
「なあ、修行で何が一番辛かった?」
禅の修業には、毎日の掃除はもとより作務・托鉢・読経・座禅といろいろあるらしいが、
「座禅」
即座に答えた。
これに比べたら、凍えるような雪の降る日の托鉢も、ゆだるような暑さの中での作務も楽しくこそあれ、辛いとは思わなかったそうで、座禅というのは、それほどものであるということは容易に想像できる。
私なんぞ、法要の1時間かそこいら正座するだけで、足は痺れるは痛いわでとてもじゃないが真似できそうもない。
「そんなら正座なんぞいくらしてても何ともないんやろな」と聞けば、
「あかんっ、足は痺れるし痛くなるし、そんなもんいくら修行しても慣れるかいな、」だと。
いくら修行しても、痛いもんは痛い、暑い時は暑い、寒い日はやっぱり寒い。
ただ、「痛みにも、暑さも寒さも我慢することには慣れたよ。不平不満も不自由も、慣れればなんてことないもんなんや。」

こともなげに和尚は言った。
座禅