円盤発売記念
「君の名は。」を深掘る(18) 有志作成の年表を検証する
時系列がしっかりとまとまっている「君縄年表」を見つけてしまった。
→これがそれ。出典/作成者などは現時点では不明なので、分かり次第正式にリンクを張らせてもらう。
今までの解析記事は、こういった外部資料にのっとって書いていないことは、最初から読んでいただいている方ならお気づきのことだと思う。逆に言うとこの年表が発見できたことで、自身の解析がどの程度正確なのかを補完する資料にはなりうると判断している。
というわけで、当方の「深掘る」記事と"答え合わせ"をしてみようと思う。ここは敬意を表して、年表に記載されている通りに見ていく。
・ご神体の形成時期
この年表では、第一の落下でも湖ができた、としている。もちろんこれは小説の書き方に依っている。そして人が棲みつき、神社もできる。そしてそのあともう一度落下し、人が死に、丸い糸守湖ができた、というスタンスを取っている。
ではご神体の「岩のようなもの」は何なのだろうか?そして何より重要なのは、この年表での「第一の湖」がどこにも存在していないことにある。
と書いて少しだけ気になる描写が脳裏に浮かぶ。2016年10月22日にご神体を訪問した瀧は、腰まで水に浸かって「あの世」たるご神体に近づいている。そう。この年表で言うところの「第一の湖」こそ、このご神体ではないのか、という仮説である。
だが、これはやや苦しい説とせざるを得ない。言わずと知れたことだが、水は高いところから低いところに流れ、出口がない/排水能力が弱いと水たまりになり、大きくなると池や湖になっていく。クレーターのようになっているから、一度入った水は、地中に沁み込む以外はたまっていっただろうと判断できるが、この「ご神体=第一の湖」ができるほどの水量がどこからも発生しえないというところが残念な結果をもたらすのである。
もちろん、この年表によるところの紀元前400年あたりに何らかの別の天変地異のおかげでご神体のあった窪地は湖化したことは考えようによってはあり得る。
いずれにしても、「2回過去に落ち、2013年が3回目」という事実は変えようがない。またこの年表では「すべてティアマト彗星による仕業」で片づけているが、記事にもしたように「そんな奴おれへんやろぅ」と言いたくなるのは間違いない。
検証結果:△(第一の落下でも湖ができていたことをどう判断するかによりけり)
・序盤の日付の考え方
これは、当方が一番最初に考えていた「9月5日が同時に入れ替わりの始まった日」という見方を覆させられた(5回目鑑賞時) 証拠でもあり、これだけをもってしても、こういった外部資料を参照せずに記事を書いていたことがうかがい知れるというものである。
結果的にこの年表とは整合性が取れていることにもなるわけだが、ここに至るまで当方は結構時間がかかってしまったのは少しだけ残念でもあった。
検証結果:×→○(同一日付という概念があったので、序盤の進ませ方がおかしいと途中で気が付く)
・ご神体での奉納日
曜日一致、すなわち、日曜日に出かけたとすると、どうしても9月の訪問になってしまう「ご神体」へ向かった日付。この年表はズバリ、2013年10月2日に行ったことになっている。
「学校休んでまで?!」ということもあるのだが、皆さんにだって「休まないと仕方ない行事」というものは存在するはずである。まして、神職。この日がどうしても奉納日であると設定されていたなら仕方のないことだと思う。
検証結果:○(ご神体に行った日付については当方は当初から10月2日で動かしていない)
・飛騨探訪の日付
もちろん、状況証拠からだけであり、いわゆる「駅弁の日付」というミス項目や、宿で瀧が三葉の残した、スマフォアプリ上の日記を確認する際に一瞬出てくる日付との整合性は取りようがない(この2点。ものの見事に円盤では修正されている)。
だが、2泊3日/金土日の旅程であることは確かであり、高木の動画日付がそれを確定させるにふさわしい。
検証結果:◎(当初からこの結論を動かしたことは無い。独自検証で導いたところは自慢してもいい)
ところがこの年表とて「完全完璧」なものではない、ということがいろいろと浮かび上がる。
というわけで、この画像そのものを訂正するわけにはいかないが、当方と意見が食い違っている部分や完全に間違っている部分をとりあえず上げていこうと思っている。
・2016年10月3日にデートしたことになっていることをどう考えればいいのか?
三葉の書いた「明日は奥寺先輩と東京デート」となっている記事の作成日は2016年の10月2日<日曜日>なのだ。そうなるとお互い学生の身分であるにもかかわらず、ド平日にデートの約束を取りつけた、そしてそれにどちらも違和感を感じていないことに驚くのである。
そんなバカな…と思いなおして、ここで少しだけ面白い仮説を提示してみる。
・仮説
このデート自体も「あんた今、夢を見とるな」で囲まれている出来事。三葉が「明日=10月3日」に設定した、デートをするという事実だけが生きていると考えると、日付などはどうでもよくなってしまう。
現に、瀧と奥寺先輩がデートをしているのは、まごう事なき日曜日・・・学校は休みの日である。10/3は世間一般には平日の月曜であり、仮に瀧と先輩がたまたま学校が休みであったとしても、平日にデートを設定するとは考えにくい。とはいえ、もし10/2が日曜日だとわかって三葉が設定したのだとすると「3年ずれている・しかも未来」に気が付いていてもおかしくない。
すべてを丸く収める魔法の言葉、それが「夢」である。一葉に言われて突然のように着地した2016年10月3日 月曜日から図書館に至るまでの長ぁい時間が「夢の中の出来事」とすると、何もかもが都合よくまとまっていく。そして夢の中の出来事なのでいろいろと間違って記述もされていく。先輩はともかく、司まで学校を休んでいること/新幹線の座席配置・アナウンス(都市部を抜けているのに、「停車駅は、品川、・・・」と言われている)/味噌カツ弁当の日付(15.10.9の表記→円盤では、旅行当日の16.10.21に修正)/本来到着しないホームに滑り込む『ひだ』/動かないはずのマスコット/特徴的な糸守の地形を言い当てられない地元民/10月中旬に半袖でラーメンを食べる瀧/中継がないはずの野球がテレビで、それも夕方近くに流れている などなど。
もちろん、10月2日にご神体に行った瀧の入った三葉と元に戻る形で「翌日デート」の方がすんなりストーリーとしては流れる。10月3日がデートの日だと理解しているからこそ「三葉がデートの日に上京する」という行動にもつながる。つまりこの年表通りの方がつじつまはあっている部分が多いのだ。曜日の部分を除いて・・・
検証結果:
三葉の残したアプリの記事「東京生活10」タイトルの2016.10.2作成のメモをどう取り扱うかがカギ。日曜日的な動きのご両人なのだが、10月3日にデートをしていたのは間違いない。
ただし、実際には、デートの事実も、いや、飛騨に向かい図書館で一葉に声をかけられるまで「夢の中にいた」とすれば、デートの日が休日であるかどうかなどはどうでもよくなる。
◎宿の名称は完全に間違っている。
せっかく『飛騨探訪』の日付は間違っていないのに、ここで間違うとは残念である。
シーンは、図書館から宿に入った直後。宿の全景と、中央あたりに看板が見える。
確かに「五郎岳」が赤文字で描かれているのでこれが目立ってしまって宿の名称だと勘違いしたのだろうが、これは俗に言う「スポンサー看板」。現にその上には「清酒」と書かれている。つまり、「清酒五郎岳」という広告だったのだ。
もちろん、その下に宿の名前は書かれている。それは「飛騨山荘」。やや薄めに書かれていて存在感はあまりないが、間違いない。正面にはこれまた薄ぼけた文字で「民宿 飛騨山荘」とある。
検証結果:
五郎岳は、清酒のブランド名(架空)。飛騨山荘が宿の正式名称。
・大人になっても風鈴は鳴っている。ということは…
瀧と三葉は、お互いの魂が風鈴を鳴らし続けている。彗星落下日には警告の意味として、ご神体と町にいる二人を引き合わせるかのように存在を知らせたり、ご神体の上のクレーターを駆け回るときは、すれ違った瞬間に組紐のビジュアルとともに思いっきり風鈴がなる。
近くにいようが遠くに居ようが、存在が確認できるようであれば、常に鳴らせる体制が整っていたとみるべきである。だから、歩道橋ですれ違った時にものの見事に鳴るのである。
では、代々木駅で見た後ろ髪を結った女性はどうなのか?この年表上では「本人」という形で紹介されている。だが…もし本当に彼女=三葉であれば、鳴るべき風鈴が鳴らないとおかしいのだ。いや、本当に本人ならなってほしかったのだ。
ならなかった、ということで当方は他人の空似を採用したわけなのだが、物語の常道として、こういった、妄想というか既視感にとらわれ続ける主人公を描くことはよくある手法である。ありきたりの蝶々結びの髪結い。三葉とは似ても似つかない別の誰かだからこそ、風鈴は鳴らなかったとする。
検証結果:
せっかくの効果音…風鈴の正確さを信じたい。代々木で見つけたのは三葉ではない