第一回:撮り切ってほしかった…。
2003年最初の話題にするには、しんみりしてしまうのだが、新作となり遺作となった「バトル・ロワイヤルU」を、前立腺ガンに冒されながらもメガホンを取っていた深作 欣二監督が亡くなった。72歳である。
彼がこの新作を取ろうと記者会見に臨んだときに、自らの病名も明らかにしたのだった。このときは、私も「記者会見で、病名を公表できるくらいだからたいしたことはない、もしくは映画自体は撮りきれるくらいの余命はある」と考えていた。ところがこの考えは甘かったのである。わずか3ヶ月で病状は悪化、帰らぬ人となってしまったのである。
前作「バトル・ロワイヤル」の時の議員達の突き上げに対しても、私は監督の側に立ってエールを送った。ところが、このとき奇しくも先頭にたって監督と作品を攻撃した石井議員は内部分裂とはいえ刺客に襲われ殺害、監督も病魔に襲われた結末となってしまった。
まぁ、前作のことはともかくとして、とにかくこの作品は取りきってあの世にいってもらいたかった、というのが私の偽らざる気持ちである。現状どこまで撮影が完了したのか解らないのであるが、ほとんど撮れていないことも想定できるだけに、果たして深作色の作品に出来上がるのかが心配なのである。
深作氏を語る上で外せないのは確かに「仁義なき戦い」に代表される現代やくざ映画である。しかし、アクションという観点では、後年の「いつかギラギラする日」も秀作だし、今思えば稚拙な特撮の「魔界転生」なども当時の作品としては悪くはないといえる(どうしても、前世代の作品を評価する時、現時点の技術力が評価基準になってしまうのがいかんともしがたいところ・・・)。
要するに、どういうジャンルを撮るにせよ、彼の映像からは、鬼気迫るものが感じられるのである。血みどろにまみれて逃げ惑いながらでも発砲を繰り返すやくざ、一刀の元に逆らった少女に刃を放つ教師…。どれもが鮮烈で印象的なのである。これほどまでに自身たっぷりの映像を撮った張本人を「事情聴取」名目で呼びつけて座談会を催した議員達は、芸術とは、映画とはが全く理解できていない、堅物と評されてしかるべきであろう。だいたい殺し合いの対象が変わっただけでこの目の色の変わりよう…。その筋の人たちももう少し「俺らの時は何も言わなかったくせに」くらいは発言があってもよかったのではないだろうか?
まぁ、冗談はさておき、監督の死が映画自体に及ぼす影響は計り知れない。既に書いたが、監督の想定した通りの映像になるかどうかが未知数だからである。息子でもある健太氏が監督代行を務めていることもあって、そのズレはそれほど感じずに済みそうであるが、彼の感性が監督のそれとピタリ一致するとはいいがたい。果たしてこの作品、吉と出るか、凶と出るか、楽しみではある。
最後になったが、さまざまなジャンルの映画でメガホンを取り、不世出の監督といわれた氏の、安らかならんことを。合掌。
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