第11回  著作権とネット社会
 世の中には、「権利」「義務」といわれるものがいくつも存在する。国民の3大義務とは、「教育を受けさせる義務(26条)」「勤労の義務(27条)」「納税の義務(30条)」 なのだそうだが、ニートと呼ばれる若者は、すでに勤労と納税(国民年金のような、社会保障費の納付も含める)の義務を怠っていることになるわけで、そういう人たちが増加しつつある現状は憂うべき問題である。
 しかし、「権利」というものは、主張すればしただけ、言ったものがちとなる風潮がここ最近顕著に目立ってきた。これは良くも悪くも、欧米の権利意識が日本にも導入され、「言うことが通らなければ即裁判」といった流れにも結びついている。現に、テレビ番組でも、法律相談的な番組はどれも高視聴率をとっている。

 今回話題にするのは、「著作権」、特に「音楽関係の著作権」である。音楽関係の著作権を一手に引き受けているのは、ご存知JASRAC(社団法人 日本音楽著作権協会)である。一番過敏、かつ先鋭的な行動を常に行う、結構「やり手」の団体として、各方面からは煙たがられている。実際「JASRAC」でホームページ検索すると、でるわでるわ!いろんなことをやっているおかげで、たたかれ方も尋常ではない。その上、「作曲者と作詞者の取り違え登録」とか、「CCCD(コピーコントロールCD)の廃止に苦言」とか…。作曲者たちの権利は守って(間違えて、も含めて(笑))、ユーザーの意見は知らん顔、とは、恐れ入るしだいだ。
 そんな中、ひとつの事象に突き当たった。すでに私のブログでも紹介している、「新潟中越地震」で被災した新幹線「とき325号」をめぐる感動のフラッシュである(ここからも見られるようにしました。が、リンクが変わっているかもしれないので、切れてたらごめんなさい)。ストーリーは、擬人化された「とき325号」の先頭車(AAで書くとなんとも愛くるしいのだ・・・)が、地震で傷つきながらも乗客を守ったこと、最終的にどうなるかわからないが、自身のことについて、独り言のように語っている。本来、黙して語らないはずの車両たちが言葉を発することができたらこんなことを言っていたのかも、と考えるとき、胸が熱くなる思いがするのである。そして、このフラッシュを製作した方たちのHPを訪れて、愕然とした。当該フラッシュは、ここには存在していないのである。
 理由は、プロバイダ業者からの削除命令とも受け取れる文書。プロバイダが独自に調査したというよりも、楽曲の違法利用を調査するシステムを持っているJASRACがプロバイダに通告して、プロバイダが動いたと見るのが妥当である。この手法によって、JASRACでは、数万ファイルの削除を行ってきているという。こうなる理由は、フラッシュ側にもある。ここで使われている楽曲は、JASRAC管理下の方たちが作ったり歌ったりしているからである。

 とはいえ、私は、ひとつの疑問にぶち当たった。「こういう利用方法を無断利用と決め付けるのはいかがなものか?」と。実際、楽曲はBGMとして利用されており、さほど音質もいいとはいえない(ここが作者の付け目だったとも思う。だが、今回は摘発の対象になってしまった)。音楽のみを配信したわけでもなく、まして主体となるのは映像のほう。それでもだめだと言い張るのだ。ならば、と、利用料を払うからといってもだめなのだそうである(これがJASRACの回答書)。ここにJASRACの怠慢振りと、時代に対応しきれない脆弱さを見て取ることができる。
 今の時代、個人が情報発信を行う際に、出来合いの楽曲を頻繁に使うことが十分に予想される。現に、権利意識の希薄な世代が、楽曲をそのまま転用して貼り付けるなどして、ファイル削除の対象になっている、とJASRACは自ら発表している。つまり、下手をすると、音楽ダダ漏れのインターネット社会になりかねないのだ。それを避ける意味で、現在、前述の回答書のような結論しか導き出せないのである。とはいえ、JASRACは独自の手法で、違法利用を摘発できるシステムを持っている。それならば、個人利用者が「安心して」「合法的に」HP上から、音楽や動画に添付された音楽を配布するシステムを構築することだって可能なはずである(いや、むしろすぐ作れ、といいたい)。つまり、個人が著作権料を合法的に支払う形で、HPに楽曲を流してもいいというシステムである(視聴者からも課金する形をとればいい。もちろん、有料部分はセキュリティを高めるなど、別に作るというのが望ましいけどね)。
 「権利を守る」ことばかりを声高に言い続けているJASRAC。そのくせ海外から流入する海賊版の邦楽CDにはほとんどメスを入れる気すらない。そして個人のような弱者には飛んで行ってすぐにやめろと言い放つ。それで飽きが足らなければ、告訴・裁判である。実際、ほかのアーカイブばかりを扱っているHPも同様の理由でクローズしてしまっている。昔のCMや番組オープニングなど、貴重な資料だけにかなり需要もあったと思われる。こんな「世間遺産」を公開する(それを容認する)風土が育つどころか、一切だめというがんじがらめな、味気ないHPばかりになっていく可能性がある。

 もちろん、私は「違法なもの」はとりしまるべきだとおもうし、そういうものは作ったり配布しないことはネット社会では常識であるという認識も植えつける必要もあると思う。あれもだめ、これもお断りといった、権利の乱用で、次世代を担うやも知れぬ情報発信手段にまったをかける形は、これからのコンピュータ/インターネット社会に悪影響を及ぼしかねない。
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