第1回  ぼくたちにできること・・・
  阪神大震災から今年で10年目となる。実際のところ、僕自身は、「え?、あれって10年前のことやったん?!」なんて、大ボケをかましてしまうくらい、過去の出来事のように感じている「被災者」だったわけである。あの時、無力だった神戸や周辺の街に住んでいた人々を勇気付けたのは、心温まる各地からの応援部隊であり、支援物資であり、義援金であったわけである。それほど被害はなかったのが、我が家の救いではあったが、関東大震災以来の、100万都市を襲った大災害は、7000人近い死者を出してしまった。10年目を節目にして、悲しみ新たに迎えておられる方も大勢いらっしゃるであろう。

 そして、昨年起こった新潟中越地震。地震での直接の死者が少なく、現在わかっているだけで二桁に収まっているのは、やはり、新幹線での「負傷者ゼロ」が大きく響いている。阪神大震災の教訓が生かされたのと同時に、完全な直線区間で、大きく振動しなかったことなどが転覆・車両全壊という、惨事に結びつく結末を呼び起こさなかったものと思われる。この部分は世界的に誇れる「技術力の高さ」を物語っている。しかし、一向に進まない被災地の復興状況。いらいらしているのは私ばかりではあるまい。特に、水没してしまっている山古志村が復活するのかどうか・・・。もし、あの大災害がなければ、耳目はまだ新潟の復興状況に向いていたであろう。

 そこへ振って沸いたような、スマトラ沖での大地震による津波の大被害。もともと海岸べりに人口が密集しやすいインドネシアやタイ南部という立地条件もマイナスに作用した。地震での建物倒壊がほとんどなかったタイやスリランカでは、死者のほとんどが津波によるものだというのである。日本では、沿岸での地震の際、ほとんど津波が起きなくても、津波警報・注意報を発令して、注意を喚起すると同時に避難を示唆するシステムが出来上がっている。ところが、今回被害が出た地域では大地震→津波の発生というメカニズムが浸透せず、避難勧告などは一切出されておらず、第一波がきてあわてて高台に避難するといった、パニック映画さながらの光景になったものと思われる。津波というと、どうしても数メートルの高さまで波が壁のようになってたたき落ちるといったイメージを想定するが、今までの映像を見る限り、浜辺では人の身長ぐらいの波が立て続けに襲ってくる、という印象を受けた。もちろん沖ではかなりの高さまで成長していることは想像に難くない(ボートを転覆させるだけの大波。4・5メートルはあろう) 。

 おきてしまったことはしょうがないが、防げる災害(少なくとも人的被害、というレベル)だっただけに悔しさもひとしおである。何しろ、避難に十分な時間はあっただけに余計だ。バカンスを楽しんでいた日本人ツアー客もまきこまれ、いまだに行方不明者はみつかっていない。そして何よりも被災規模が半端ではない。死者15万人超は近年の災害の中でも覚えがない。負傷者50万人(!!)、数百万人分の食料が至急に必要とされている。周辺各国はもとより、アメリカやEU各国からも軍を投入するところも出るなど、全面支援にはいっている。

 われわれ日本人に何ができるか?何かできることはないか、真剣に探してみたいとも思う。10年目の恩返しの意味も含めて・・・。
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