第8回  ふーん、やっぱりね・・・
 中国ねたが続く。これもしかたがないことである。ようやく、政府筋や政府関連の日刊紙(ご存知人民日報)で、無許可のデモには参加しないよう呼びかけるなど、事態の沈静化に本腰を入れ始めたようである。
 私個人の意見だが「今頃になって」というのが率直な感想である。下手をすると全土を巻き込みかねないビッグウェーブになるとの見方をするのが遅すぎるのである。それも、直接的に国家が攻撃されたとか言うレベルではなく、「国連常任理事国入り」という、どちらかというと国際的な立場に立とうとしている日本の姿勢を批判しているわけで、「国際感覚もない、まだまだ発展途上国」という見方を全世界からされていることに気づいたからと考えられる。日本も外交下手なことは知られるところだが、それ以上の馬脚を現したわけで、2008年のオリンピックで、更なる「恥」をさらすことになりはしないかと、人事ながら心配することしきりである。

 さて日中の間の中に、ずっとくすぶり続けている問題が、「靖国参拝」と「教科書問題」である。「国家に対する謝罪」も中国側は時々求めてくることもあるのだが、実は、かなりの額の金額補償として日本は中国に対してODAや円借款という形で行っている。これを「戦後補償です」といわない日本政府の「美しさ」と取るか、「もらえる物はもらっとけ、ついでに戦争謝罪金も分捕ってやれ」と狡猾に考える中国政府のしたたかぶりと見るかは意見が分かれるところだが、このことはここでは取り上げない。今日は中国が必ずといっていいほど過激に反応する教科書問題をメインに取り上げる。
 毎度のことなのだが、日本の教科書の、第二次世界大戦部分の記述には、いろいろな論議が交わされている。私見を述べさせていただくなら、「歴史」を習うということをどう受け止めるかというところが重要なのであって、「過去にどういうことが行われたか」ということは副次的だと考えるのである。特に言われている、日中戦争の部分にしても、ひどいことをしたことは確かであっても、それを記述したからといって受け止める側が何も感じないのでは意味がない。「書いていないこと」ばかりをとやかく言う中国側の認識はどの程度のものか、と考えていたわけである。

 つまり、「内政干渉」に限りなく近い教科書検定に踏み込むほど、大国・中国の教科書はさぞ立派なものだろう、と誰しもが思う。過去に起こったことが重要であるのなら、民主化デモを武力で封じようとした天安門事件も記述されていてしかるべきである。ところが、である。これがどこにも記述されていないのである(CNNニュース/翻訳版より。こちらが全文)
 「へぇ」とおもったのはわたしばかりではあるまい。当時は、東欧各国で共産主義政権が雪崩を打って崩壊、その余波が中国にもやってきたころだ。現在の中国につながる重要なターニングポイントであるにもかかわらず、その記述がないのである。そればかりではない。中国が仕掛けた戦争についても一切書かれていないというのだ。これは正直言ってダブルスタンダード以外の何者でもない。

 「書きたくないこと」がどこの国にも存在する。そのことを踏まえたうえで、中国側には日本の教科書に踏み込んだ意見を言っていただきたい。他国(特に中国に攻め込まれた国々)の人々が中国の教科書に難癖をつけないのはどうしてかをよく咀嚼して、今後の日中政策に生かしてもらいたい。あ、我慢指数が足りないから、またぞろ文句言ってくるだろうけど。
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