第9回  会社は誰のものなのか?
 今この文を読んでおられる方の中には、「俺なんか、ひとりで生活してるからな」などと豪語している人もいるだろう。しかしそれは「他人の世話になんかなってないもんね」と勘違いしているだけなのである。その人の生活を思い浮かべるといい。コンビニで朝食を買う。レジ係と金銭のやり取りをするはずだ。会社に行けば、同僚と挨拶のひとつは交わすだろう。昼食の場面で大好きなカレーライスを席まで届けてくれるのは、茶店のウエイトレスさん。「お茶でも入れましょうか」なんて気の利く女性社員の呼びかけにほいほい応じる。家に帰れば、テレビの前でバラエティーを見ては馬鹿笑い。ネットにつないで、「セー○ャンのホームページ」なるものを見て、「何言ってんだ、こいつ」と罵倒しつつ、眠りに落ちる。どの行動にも、別の人間が関わっているのである。自給自足し、完全に世捨て人となっていない限り、人間は、誰かの世話にならないと生きていけないわけである。

 人間がそうであるように、法人という人格を持った会社も、自分ひとり(会社という存在)だけでは生活(企業活動)できないのである。毎度たくさん買ってくれるお得意先があり、商品を卸してくれる取引先があり、そういった優良企業を開拓する社員がいて、初めて成り立っているのである。しかし、ここで忘れてはならない存在がある。会社を実質的に「保有している」株主という存在である。このことは意外と忘れがちな面である。それは、会社の構成員である、社員/バイトもろもろは、上司、もしくは経理部という、社内部署から金員を頂戴しているからである。会社と株主、会社と社員という関係は主従関係といってもいいのだが、株主と社員という関係にはなんら接点がない。社員が株を持ち意見を言うことも可能だが、社の方針に反対するような意見でも言おうものなら、窓際へ即左遷と相場は決まっている。つまり、第三者的立場で会社を監視/意見を述べることができるから株主は存在するわけで、しかも、株を保有する=身銭を切っているわけだから、むしろ会社は株主の要求には最善を尽くさなくてはならないというのが資本主義社会の不文律ともいえる。

 さて本題に入る。尼崎市で起きたJRの脱線事故はとてつもない惨事として、人々に記憶されることとなった。死者100人越えは三河島事件(3重衝突事故)以来で、単独事故としては空前の死傷者数を数えてしまっている。乗客のほぼ全員が死傷することとなったわけで、いかに衝撃がすごかったかを物語る。事故原因については、速度超過が支配的になっているが、私としては、ただそれだけで脱線したとは考えていない。実際に原車実験する(事故を再現する)までは原因を特定できないと考えている。
 事故は起こってしまった。起こってしまったことに対して、果たしてJR側は、どの程度謝罪しているのか?疑問に考え、ホームページを覗いてみた。トップページに、いきなり謝罪文が掲載されている(こちらが全文)。だが、被害にあった方々に対する哀悼の意や利用客に対する、不便をかけることに対するお詫びはうかがい知ることができるのだが、本来の会社の保有者であり、一番今後どうなるか気にかけているはずの、株主に対しての言葉が一つもかかれていない。IR情報に書かれている、4/27付けの資料には何とか謝罪の文言と「株主」という文字を見出せたが、他の部分の数字(業績予想等、18年度分)には事故の影響がまったく織り込まれている様子が見えない。被害額の算定が困難なこともあるだろうが、「とってつけた」様な印象を受けた。

 事故発生から29日で5日目となる。実務的な部分に殆ど目線が行っていないのは、マスコミを含め、殆ど一般の人は事故現場の動静のみが重要と考えているからであり、また、人命尊重という立場上、業績云々の話をできかねるという部分があることも承知しているつもりである。しかし、普通の会社なら本当に危急存亡の一大事であるはずであり、会社の今後も気になるところである。こんなことを言うと不謹慎かもしれないが、利用客は一時は危険と考え利用を遠慮するが、時が経てば、利便性にやむを得ず使わざるを得なくなる。しかし、会社は一度こけたら、大変である。事故のその後に対する危機感がまったく感じられないのは、「自分たちで安全は作ってきた」という、間違った認識がそうさせているのではないか、とさえ思ってしまう。
 おそらく、数週間後に行われる株主総会で、経営陣は総入れ替えになることは避けられない。たとえ半官半民のJRといえども、株主からそっぽを向かれるとどういうことになるか、そろそろ考え始めたほうがいいと思う。会社が存在しているのは、利用客と株主、そのどちらに対しても責務を果たさなくてはならない、針のむしろに立たされていることを身にしみて感じてほしいものである。
 
             最後になりましたが、今回の事故に遭われ負傷した方々の一日も早い回復と、亡くなられた100余名の方のご冥福を心より祈念いたします。
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