第12回  列車事故から一ヶ月が過ぎて。
 あの痛ましい事故から一ヶ月が過ぎ去った。私も、事故現場に立ち、献花して、その事故のあまりの規模の大きさに、言葉を失った。亡くなられた方の無念がひしひしと伝わり、現場は重苦しい雰囲気に包まれていたのが印象的だった。
  
 そろそろ書き出さなくてはならない時期に来た、というのが私の本音である。事故をさまざまな角度から咀嚼し、ひとつの結論を出したからである。
 それは「ただ一人の焦りを押さえ込めなかった会社の責任」である。言われているように、減速が必要なカーブに、速度規制をする機能のない(信号機とほぼ同等の機能しかない=追突防止だけ)旧型の列車制御装置を、大量に車両が運行する路線に放置したまま、走らせ続けたことが遠因と考えられるからである。
 そこには、それまでローカル線として、情緒漂う客車列車が走り、のどかな雰囲気だった福知山線を電化し一気に沿線住民の快適さだけを追い求めた会社の性急さしか映らない。競合する阪急の旅客を奪うに十分なスピードを得たJRは、東海道線で推し進めた更なるスピードアップをこの「元」ローカル線に押し付けたのである。その上、東西線乗り入れを画策、乗り換えなしで大阪をスルーし、学校の多い旧片町線沿線に乗り入れることでサービス向上も謳っていた。
 しかし、そこに、「安全輸送」という、第一義がかけていた事はすでに既報されているとおりである。JR宝塚線の快速は今回の3月の改正で、運行時分がまったく同じで、停車駅をひとつ増やした。そんなことができるからにはしわ寄せが必ずあるはず。そのことも、今回事故が起こるまでは、はっきり言ってマスコミすら声を出していなかった。つまり、JRの利益至上主義を誰も見抜けなかったことになる。
 
 もちろん、「スピードの出しすぎ」という直接的な原因を忘れてはならない。遅れを出したのがどんな理由であれ、その遅れを取り戻そうとすることが安全かどうか、といったことをどこまで会社が理解していたかが問題である。そもそも、まだ未熟な運転士にとって、このダイヤはストレス以外の何者でもない。焦りが出る、また、遅らせてはいけないという強迫観念が事故を起こしてしまったのだ。安全施策の遅れと過密ダイヤ、「回復運転」の考え方など、どこを取り出してみても、安全第一という考え方が見出せない。そんなにまでして儲けたいのか、とさえ映ってしまう。
 これでJRは変わると考えている人は一握りだろう。その理由は、14年前に正面衝突事故を起こしながら、また事故を起こしたからに他ならない。信楽高原鉄道の事故の際も、安全施策をとっていれば間違いなく事故は防げたからである。つまり、安全対策が完全に後追いになっているのである(現場の新型ATSも6月取り付け予定だった)。漏れがある場所で必ず事故は起こる。こうした危機管理ができていない会社はいずれまた大きな事故をしでかすに決まっている。
 つい先ごろ、北陸新幹線の起工式が行われたそうだ。どこまでも『速く』を追い求めるJR。いい加減、ころあいというものを考える時期に来ているのではないだろうか?
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