第8回 言論は自由なのだが・・・
「事件」は、5月30日に、私のブログで載せた「ワラタ2ッキ」閉鎖に関する雑記である。
当初、閉鎖に当たっては、「無断転載」を咎められてのことではないか、と思っていた。しかしよくよく考えると、数年前から掲載は続いていて、急に閉鎖は納得がいかなかったのである。
唐突なその閉鎖を残念といい、「管理人にねぎらいの言葉を出してしまった」のである。
ところが、事実が見えてくると情勢は私の思っていたこととかけ離れていることがわかってきた。
「ワラタ」に限らず、今回閉鎖を余儀なくされたプログは、ほぼ例外なく、広告による収入を得ていたことがわかったのである。「無断転載」の上に金儲け。2ちゃんねるの中の人たちが怒るのも無理はない。
もう少し背景を探るべきだったとブログに投稿してから思った。ワラタをはじめとする、アフィリエイトで稼いでいた管理人を礼賛することは、軽々しい行動だった。
さて、今回プログに私が投稿して、反響をいろいろと探った。もちろん、ブログの内容は、原文のままにしてある。
やはり、というか当然というか、真実を知らせてくれる方もいて非常に参考になった。しかし、どう考えても、本題とはかけ離れた意見/意味不明の文言に出くわす。
世に言う「煽り」「荒らし」である。たまに参加する2ちゃんねるでも、この手の「直球勝負」「言い放ち」に嫌気が差して、ほとんどといっていいほど書き込みすることはなかった。
まあ、僕のブログで乱闘にも似た「言論」が戦わされるのにはまったく支障がないし、むしろ、歓迎である。しかし、周りから見て、「言論」に値しない発言が散見されるのはどうしてなのだろうか?
荒らしも煽りも根は一緒。短い言葉で、すべてを見切ったように書き付ける。言葉尻を捕まえてあげあしを取る。さらには投稿者同士が巻き込まれるような書き込みをする・・・。
僕は、煽りも荒らしも、野球で言うところの「野次」だと認識している。いちいち取り上げないのがベストなのである。取り上げることは彼らの術中に嵌まってしまうからである。
「取り上げてほしいから」「怒らせたいから」そんな瑣末で、半ば人を馬鹿にしたようなことがかけるのである。
あおりが怖くて、荒らしがいやでネット社会は務まらないとは思っている。しかし、時間/労力の無駄な、そんな意見にも耳を傾けなくてはならないのか、と思うと複雑である。
たとえ完全無欠の文章を作ったところで、この手の輩は必ず出没する。煽られない、荒らしのねたにされないような、記事にしなくてはいけないな、とつとに思う。
コーナートップへ