第 5回  「還暦」を迎えた日本国憲法
 1946年11月に公布された日本国憲法が、1947年5月3日に施行されて、今年で60年の節目を迎えた。
 安倍内閣(というより安倍氏本人)が「政治スケジュールに載せる」と公言してはばからない、憲法改正論議も、この日を境に白熱しそうである。

 さて、ここで私のスタンスを公表しておきたい。
 ・憲法の規定があることで、実態とねじれ現象が起こっている条項については、改正を含め論議すべき
 ・基本的人権・自由関連(報道/表現/宗教)などについては、当然ながら現憲法を踏襲する。
 ・「アメリカ原案」といわれる現憲法については、「日本人の言葉」で書き換えるべき。

 第一の項目の代表例が憲法9条ということになるだろう。私は、今の憲法の「おかげ」で、日本が戦争から回避できていたとは到底考えていない。つまり、攻め込むつもりの国が存在していれば、日本国土が戦場になっていたことは容易に想像が付くからである。それがなかったのは、アメリカの進駐と、西側諸国の仲間入りをしたことによるところが大きい。憲法があったから(日本が巻き込まれる)戦争がなかったというのは妄想である。
 その一方で、海外「派兵」は各所で行われている。いわばなし崩し的にである。国際協調が優先されるために、実態とそぐわない憲法の運用を余儀なくされるのならば、憲法を変えて、国際社会に「ニッポン、ここにあり」を強調するほうが、今後の世界において、かなりの効力を発揮すると思う。

 ただ、そうなったときに起こりえるのは、中・韓の反発である。だが、このことについては、一切無視でかまわないと思う。なんとなれば、基本的スタンスはまったく変更しないからである。むしろ、平和国家を標榜し、60年間紛争をまったくしてこなかった日本に対して、軍事国家への逆戻りというようなとんちんかんな理解しか出来ないこれらの国が笑われるだけのことである。
 
 第2の項目についてはなんら変更の必要はないであろう。しかし、私は、すべての条文を覆っている、「アメリカ色」を今回改正するならば払拭してもらいたいのである。すでに言われているように、現行憲法は、当時のGHQの民政局が中心となって草案を作成、日本語に翻訳したものである。つまり、日本政府はほとんどといっていいほどこの憲法にタッチしていない。回りくどい言い回しや、日本語として当時から使われていない訳語を基にしている憲法は、はっきり言って他国の産物である。

 戦後60数年、草案を作った当のアメリカですら、実態とずれの生じている憲法改正にはほとんど異論を唱えていない。また占領下にあったとはいえ、占領国に作ってもらった憲法でいることは、日本の国家の根本が、言葉こそ日本語だがアメリカという国に「いまだに占領され続けている」のと同じに思えてしかたない。もちろん、ベースの上では、この憲法はすばらしいものである。だから「日本人の、日本人による、日本人のための」憲法に書き換える必要があると思うのである。

 憲法改正論議が活発化することは大いに結構。「改悪」の方向に行かないように監視する必要は伴うが、次世代に引き継げるすばらしい憲法になることを願わずにはいられない。

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