第12回  「プロ」であるということ
 映画初日の舞台挨拶が、これほど世間をにぎわせ、騒がせたことは当方、トンと記憶にない。
 それだけ、主役を張った「女王」と呼ばれる女優の一挙手一投足が尋常ならざるものだったということが言える。
 そのあとで猛烈なバッシングを受けるや、全面的に謝罪。それどころか「責任を取る」といった、どこぞの政治家や企業社長が耳にたこができるほど言ってきた常套句で騒動を収めようとしている。
 
 もし、彼女がこの態度そのものを「演じていなかった」とするならば、この映画はくそ(見る価値無し、金をどぶに捨てるような内容)であると主役自らが表現してしまったことになるし、「演じていた」とするならば、そこまでする必要がどうしてあるのかと首をかしげる。いずれにしても自分が主演した映画。「見に来てもらいたい」と思うのなら、仏頂面はどう考えても女優のとるべき態度ではない。はっきり言って「異常」だ。

 もっと根幹の部分に関して言えば、この映画に参加したくなくても、できばえが芳しくないと当の本人が思っていても、「愛想笑い」のひとつもできないで、何が女優だ、何が女王様だ、ということになるのは当然である。もちろん、そういうキャラで生きていこうという、ある意味「退路を断った行動」というのならまだ納得もいくが、結果的に謝罪しているということで、やはり不自然な物言い・行動であったと認識しているということになる。そうなれば、この支離滅裂なキャラのせいで芸能界で居場所がなくなることになりはしないか、と少々心配ではある。

 もっとも、この人−−沢尻 エリカ嬢−−がいなくなったところで、芸能界がこうむる影響は軽微である。もっとも、彼女をキャラクターにすえてしまった企業さんはその対応に苦慮することになるでしょうが。女優も歌手も、応援してくれるファンがいるから成り立つ商売。自分勝手に生きていると勘違いしたのか、それともこのキャラで行くと決めたもののあまりのたたかれようにびびったのか・・・。客が来ている目の前で、何ら楽しませることをしない女優は、プロ失格である。やめる必要はないが、しっかり勉強して一から出直してもらいたいところである。


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