第 5回  法は死なず…
 幾多の裁判のニュースを聞いてきたが、今回ほど、「そのとおりだな、もちろんやで」を連発したことはないと思う。
 山口県光市で起こった母子殺害事件の差し戻し審が広島高等裁判所で開かれ、当時18歳1ヶ月の被告に死刑の判決が下ったのである。

 事件は凄惨を極めていた。何の罪もない乳幼児まで手にかけるなど、どう考えても信じられない。死刑は当然と考えられた。ところが1審/2審とも、少年の更生に道を開く意味もこめて無期懲役の求刑。当然原告側が控訴して迎えた3審目の最高裁法廷では、2審の量刑が不当(軽すぎる)という事で差し戻されていたのだった。
 ところがこの差し戻し審理が始まると、突如被告少年側が殺意の否定や、今まで出していない供述をする、奇妙な行動に出た。大弁護団に「助けられる」「いいように誘導され言わされている」と映った人も少なからずいた。当時の橋下弁護士が、番組内で弁護団の懲戒請求を呼びかけるような発言をするなど、場外乱闘さながらの、審理とは別の次元でも盛り上がってしまった。この、突然の告白や殺意の否定を裁判長ははっきりと「死刑逃れ」と断罪。酌量の余地もなくなったとした。

 確かに「生きながら地獄を見る」ことを土壇場で選ぼうとした被告側の気持ちも分からないではない。無期が差し戻された時点で、「次は死刑が確定」すると弁護団も少年自身も思ったであろうことは想像に難くない。だから差し戻し審での「言い逃れ」に近い発言が出てきたものと思われる。もしこのことが事実なら、審理の序盤で分かりそうなものだからである(そもそも差し戻し審が始まって殺意が無かったと言うのは遅すぎる)。人を2人も殺しておいて、いまさら生への執着をする被告。この自分勝手さ加減が裁判長にも伝わったものと思われる。

 残された被害者の夫にとって、実はこの死刑という判決も複雑なようである。なんとなれば、もし刑が確定し、処刑が実施されればもう一人が、贖罪という名のもと死んでしまうからである。3人が3人とも、この一件さえなければ失うことの無かった命。だが、これしか、被害者を納得させる判決は無いことも事実である。
 無期懲役という、どうとでもなる量刑から一歩踏み込んだ今回の判決は、法がまともに機能していることを内外に示したといっていい。厳罰化が議論されることも今後考えられるが、まずは次の一歩を踏み出したこの裁判の今後にも注目である(被告側は即日上告している)。
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