第 6回 聖火リレーに一言
北京オリンピックが、本当に「スポーツの祭典」になるのかどうか…こう思っている人は日に日に多くなっているに違いない。
世界各地での聖火リレーでの一騒動。私も好ましく思っていない一人である。
「聖火」「トーチリレー」等でいろいろ各方面のニュース記事を探してみた。聖火リレーが初めて行われたのは1936年のベルリン大会。世界規模の聖火リレーが発案されたのは、前回のアテネ大会がはじめてである。当然のことながら、前回聖火リレーでひと悶着あったといった報道がほとんどなされていないことは、明らかである。いや、聖火リレーが事件沙汰になる記事など、はっきり言って皆無であるべきである。
ところが今回は、ヨーロッパに聖火が入ったときから不穏な動きをしている。聖火を消そうとしたり、妨害する人物が多数出てきたのだ。彼らの行動は全世界に配信され、それが、中国による各地での人権抑圧に端を発しているものだということから、一気にヒートアップ。時期を同じくして起こったチベット騒乱と中国側の対応もクローズアップされる結果となった。各地でボイコットをほのめかす発言も相次ぎ、開会式に出席しないとした国家元首も出てきてしまう。
聖火がアジアに入ると、インドではなんとわずかな距離をほぼ一般人シャットアウトの中で行う異例の措置。「とにかくやりました」的な、「こんなことならやらなくていいのに」と思えるような対応に終始した。そこへ持ってくると、日本では、確かにスタート地点こそ、善光寺側の辞退で変更になったものの、ほぼルートは変えず、厳戒態勢で臨むことで実施を敢行。ランナーを取り囲む「100mの警官隊」作戦が功を奏し、逮捕者が出たものの、混乱という最悪の事態は見事に回避されて、日本での聖火リレーは終了した。
しかし、こんな形でしか施行できなかった聖火リレーが、果たして本来の目的を達成しているかといえば、そんなことは決してない。そもそも妨害が起こることは、中国側の、少数民族に対するやりたい放題に起因しているとはいえ、それがオリンピックとは何の関係も無いからである。聖火を消して中国の威信を失墜させようとしていることが行動の正当化とする向きもあるが、聖火は中国を代表してはいない。聖火を消せば、オリンピックの精神に反することをしているということを認識する必要がある。
もちろん、中国側がしてきていることを看過することは出来ない。しかし、どういう経緯であれ、人権抑圧を平気でやる中国・北京が開催地に選ばれてしまったのだから、まずこのことを噛み締めるべきである。そして、オリンピック開催までに「オリンピックをする資格がある国」に脱皮すればいいだけのことである。日本の国家が流れるときにブーイングしたりしない国になっていれば、世界も納得するだろう。しかし、道のりは極めて遠いといわざるを得ない。
まもなく中国国内を回る聖火リレーがスタートする。国内で行われるだけに圧倒的な中華パワーの前に抗議行動はほとんどないと想定される。しかしお祭りムードとは裏腹に、暗部を決して公開しない秘密主義的な、良くも悪くも共産主義的なところが見え隠れしている。無事に何事も無く会期が終了するのか・・・不安は減ることはない。
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