第2回  生き金・死に金

 いよいよ国会の審議がスタートした。大方の予想通り、「小沢」と言う爆弾を抱え持ったままの民主党では、まともに議論できる状態にはいっていかない。今のところ、紛糾や審議中止といった滞りは最小限に食い止められているが、この1年半でまともな成果を挙げられていない政権では、仮に国会そのものを乗り切ったとしても、全体的に右肩下がりの結末しか導出できなさそうでいやである。

 そんな折もおり、中東エジプトでの政情不安から、大規模な暴動にまで発展、旅行等でかの地を訪れていた日本人は早急に退去する羽目に陥ってしまった。国際空港が混乱の度を増していく中で、先般、ようやく残っていた500人弱の日本人が、チャーター機でエジプトを脱出できたという。お気の毒だとは思うが、巻き込まれて死傷しなかっただけでも良しとしなくてはなるまい。旅程が大幅に変更になったことは、「運が悪かった」としか言いようがないが、命あってのものだねと言う風に考えて行きたいはずである。
 ところがこのチャーター機、政府が出したものなのだが、人命救助と言う観点から出された支援ではなく、「混乱の地からの脱出の手助け」と言う視点で出されたものであるようなのだ。それが証拠に、政府は、チャーター機の使用料金を搭乗した人から徴収するといっているのである。

 この件については「とられて当然」派と「無料であるべき」派に意見は二分されそうである。かくいう私は「戦争状態と言う差し迫った状況であったのならいざ知らず、内戦にも至っていない、あの局面で、料金を取るような中途半端な支援ならやらないほうがまし」と言う風に考えている。
 ちなみに、他国は自国民を、自国まで送還し、その手段には自国のチャーター機や特別機で、無償で行っている。一方日本は、他国の航空会社に頼んで移送をさせている。別に日本の航空会社がヘタレだとか、いうつもりはないが、政府が八方手を尽くした結果が、「ローマまで」「有料」と言うのは、場当たり的で、実に中途半端である。そもそも、外国での騒乱状態のときに、この程度の対応しかできないのであれば、ますます国民は、政府に愛想を尽かしてしまうのが落ちである。

 所詮民主党政権だから、「不運でございました、今回は政府の権限で無料にいたしておきます」と、国民になびくような言は言うはずがない。「受益者負担でよろしく」とは聞こえがいいが、チャーター機といえども、おちおち乗っかってばかりもいられない。政府からすればはした金程度のそのお金ですら、出し渋って、乗った人に出させて何か得でもあるのだろうか?
 なくなった祖母は、「お金と言うものは使うべくして使って、初めて生きる。無駄に使ったり、時機を逸すると死に金になる」と言う趣旨のことをよく言っていた。折角の生き金チャンスをむざむざ「死に金」に逆戻りさせてしまう政府。別に人気取りまでしたくはないのだろうが、こんなことでは、先が思いやられる。

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