第4回  自然の猛威

 2011.3.11午後に起こった東日本を中心とする地震と、それに伴う津波の被害。もはや私の口でどうこう言うレベルをはるかに超えている。
 冒頭に当たり、被災者の方々の、一日も早い安定と、また不幸にしてなくなられたかたがたに、お悔やみ申し上げます。

 さて、マグニチュード9.0という、未曾有の大地震と、それに伴って起こった津波による大被害。繰り返し流される津波の実況映像は、たとえ想定される自然災害に対して備えていたとしても、それをはるかに超える事象が起こったときに何の効力もないということをまざまざと思い知らされる結果になっている。津波の高さが20mに達していたという地区もあったと聞く。こうなってくると、もしこれに耐えうるものを作ろうと思ったら、防波堤そのものがビルのような構造物とならざるを得ず、それははっきり言って非現実的である。その部分では、某仕分け女帝の「スーパー堤防は無意味」という発言もわからないではない。
 しかし、もし仮に10mクラスの防波堤が全沿岸に配置されていたとしたら、被害はかなり縮小されていたと推察される。もちろん、いまさら的な感は否めないが、東北はやはり、地震の巣であるということを認識するならば、それがたとえ非現実的/費用がかかりすぎたとしても、遺失利益のことを考えれば、そんなに高い買い物ではないと思う。

 阪神・淡路大震災を経験した小生からすると、一番の問題は、「生きている人」対策である。先の震災は、所詮兵庫県1県が多大なダメージを受けたにとどまり(大阪/徳島などは限定的)、復興支援も残る46都道府県がよってたかれば済む話であった。電気も、発電施設のダメージはほとんどなく、我が家などは、その日のうちに電気が復活したくらいであった。ところが今回は、宮城/岩手/福島の3県がひどく、しかも、原発問題で、頼みの首都圏も、計画停電などでひきづられている。電力の需給がアンバランスなままでは、復興そのものに時間がかかるのは必定である。こう考えると、人間をいくら投入したところで、ライフラインがそこそこ復旧しないことには復興の手がかりにもならないと思う。原発は、もはや使い物にならないであろうから、代替の電力確保こそが急務である。

 神戸は、比較的早く立ち直れた。それは、高層の建物が何とか大多数生き残っていたからでもある。しかし、今回の津波では、ようよう残っているのは3階建て以上のコンクリート製の建物くらい。今の技術力をもってしても、復興に数年を要するであろうことは察しがつく。これからは、生きているもの・生かされているものの、真の戦いが始まろうとしている。そして、それは自然の猛威が今の安穏と暮らす日本人に真の意味での連帯感を取り戻させる「お告げ」のように思えてならない。

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