第8回  正式名称:東日本大人災

 民主党に政権交代して、早いもので、もうまもなく2年である。自民党に対する、マスコミと共同作業によるネガティブキャンペーンの果てに政権を勝ち取った政党は、今まで、散々自民党のやってきたことを批判してきただけに、さも、自民党よりもよい政治ができるのではないか、と人々に淡い期待を抱かせ、あるいは、『あれもやめます、これもただ』とばかりにばら撒きで人気取りをしようと必死になっていた。
 しかし、ふたを開けてみれば、『ある』と強弁していた政府の無駄は、民主党の想定をはるかに下回り、それでいて、肝心のものまで無理やり削減/廃止にしてもとても耳がそろうにまではいたらなかった。それでも、マニフェスト違反をしまいと形だけの『無料化実験』や「子供手当の非満額支給」など、『何とかやってます』という格好だけはつけてきた。
 約束が寸分でも違えるならば、昔の民主党であればどれだけ政府・自民党を攻め立てたことか(漢字の読み間違い程度で攻めまくったのだから、政治の約束反古など、カッコウの攻撃材料)。今の自民党が何もおとなしくなったわけではない。昔の自分の党に向けられた攻撃と同じことをしても国会が空転すると思ってしぶしぶ(内心でははらわた煮えくり返りながら)応じてきていると思われる。

 それが、今回の大震災で吹っ飛んでしまった。いや、吹っ飛ぶだけではない、さらに追い討ちをかけるかのような仕打ちを『政府』がしているのである。
 上げれば切りがない。たとえば小出しにする原発関連区域の避難指示。放射線量の報告。不安にさせるだけさせる。挙句に物流が滞っているだけのコンビニに立ち寄り、『買占め』があるかのように喧伝する。極めつけというか、今回記事にする気にさせたブログエントリーはこれである。
 →正しい歴史認識、国益重視の外交、核武装の実現 3/31エントリー分
 『党』としての、防災服がほしくなったのだろう。『仏作って魂入れず』「馬子にも衣装」。昔の人は本当にいいことわざを残している。見てくれだけでもよければ、政府としては『よくやってますよ』と国民は理解してくれるに違いない、という風にしか、服をそろえる意味合いが思い浮かばない。まるで自身の『醜い本心』を隠すかのような服の新調は、金銭的な面から見ても大反対である(800万は、この人たちにすれば、たいした額ではないかもしれないが、今、食うや食わずの人たちがまだたくさんいるのにそういう人たちが見えていない証拠である)。
 『民のかまど』の故事では、時の天皇は、租税を減らしたのみならず、自身の衣食住まで倹約なさったと聞く。ようやく下々の家々から炊事の煙が立ち上るのを見て、『わたしも豊かになった』といっている天皇のお姿はみすぼらしいものだった。そこを皇后に尋ねられて、天皇はこう返している。
 
 「君主があるのは、百姓のためなのである。百姓が貧しいということは、自分が貧しいということである。百姓が豊かであって、自分が貧しいということはないのである」
 <杜父魚文庫ブログ/西村眞悟氏の記事より抜粋・もとの文献は頼山陽「日本樂府」より>
 そんな昔の人のことなど、とおっしゃるのなら、今の天皇陛下が、自主的に停電されているお姿を見ても、『見てくれ/外観』にこだわる民主党と政府。800万の多寡を論じる前に、人としてどうなのか。もはやこんなことしかできない政府が、今を生かされている人たちに被害をもたらしている・・・これを『大人災』といわずして、何であろうか?


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