第10回  自粛は「自縮」につながる

 震災関連のエントリーが小生も続いている。黙っていても、季節はめぐり、うららかな春を迎えた。この時期は、桜の木の下で(木にならなくてもいいです^^;)、謳歌する桜花をめでる、花見がやはり日本人にはふさわしい。とはいえ、「自粛だ」と言う声があちこちで聞こえてくる。

 大災害が起こった。ドンちゃん騒ぎしている場合ではない。だから花見は自粛しよう。これは「普通」の人の思考回路である。しかし、その花見を当てにしている人たちがいることをその時点で忘れてしまっている。
 本来「するべきこと」をしないことで困る人たちの存在。地元で花見のときが書き入れ時になっている企業やお店はたくさんあるはずで、その中に、酒屋さんも含まれることは容易に察しが付く(花見にはお酒がつき物/特に日本酒!)。そして、東北地方は、これまた有数のお酒の産地でもある。

 古い話でまことに恐縮だが、小生が大学生だったころ、列車で北海道へ渡る旅行をしたとき。当時最長の電車特急だった「白鳥」の車内。確か秋田県内を走行中のことだったから、夜も少々更けてきたときのことだった。乗り合わせた地元の方から、日本酒を勧められ、一口飲んで、その爽快さに驚き、さぞや一級酒かと思いきや、二級酒だったと知って、またしてもびっくりしてしまった。以後、地酒にはまるきっかけになったのだが、米どころは酒どころ、と言うことがよくわかった旅路での一こまである。国花でもある桜・ソメイヨシノの下で味わう美味なお酒。日本に生まれて、よかったと思える瞬間でもある。しかし、それを自粛したほうが、と言う著名人がいると言うのだから驚く。
 花見をめぐっては、自粛すべしと言う現職の都知事と、何とか大臣が口角泡を飛ばす激論をやってのけた。ちなみに都政側では猪瀬副知事は「自粛ばかりでは却って逆効果」的な発言もしており、賛否両論が入り乱れる結果になった。もちろん、度を越した、派手な花見は「自粛」ものだろうが、普通の市民感覚で執り行う花見は行事の一環であり、それを規制したから、ためになると言うのは、どこかしら、論点がずれているように思う。
 
 自粛したから、「東北の人に気兼ねしている」と言うのは、実は間違いで、「使うべきお金が回らない」二次的な被害をもたらしていると言うことに気づかなくてはならない。たださえ現金収入が欲しい東北の人々にその大事なお金が行き届かない。義捐金も必要だが、今被災した人たちにとって大切なのは生活基盤である、産業の復興である。そのためには、自粛なんかしている場合ではない。
 関西では節電の意味合いもあったグリコ看板も復活。花見の名所でのライトアップも復活しつつある。自粛は自縮であり「自滅」に通じると言うことを肝に銘じなくてはならないと思う。

 トップページに、新設したバナーのうち、「ハナ★サケ ニッポン」バナーでは、東北地方の名産や地酒を扱っているメーカーさんなども紹介されている。今必要なのは、地元を応援する気持ちと行動。義援金を募金したら、今度は、東北の名産品を買って賞味したいものである。

 コーナートップへ