第11回  マスコミは正義ではない

 震災発生から1ヶ月がたった。その間に「やらなくてもいい」選挙までやって、負けると「地震のせいで候補者に不利に働いた」とか、「自粛ムードで云々」などと、本当にジシンガー、ジシュクガーと、責任逃ればかりする政治家たち。ある意味哀れでもある。
 そういう、いってみれば「恥ずかしい」態度を覆い隠すかのように、また、正論をまるでなかったかのように取り扱う、もしくは文字面にすると「オモシロイ、あほな事いうとる」ことを大げさに取り上げるのが昨今のマスコミである。
 たとえば、都知事に再選された石原都知事の「天罰」発言などは好例である。普通に考えて、被災者に追い討ちをかけるような言葉として使ったわけではない。そこまで「作家」であるはずの氏が間違って語意を使うとは思えない。もっとも、センセーショナルだったことを受けて当の知事は謝罪はしている。しかし、見出しとして「天罰」などという言葉が踊れば、それしか捉えない多くの人々は過剰に反応することは明白で、彼を貶めるためには絶好の「失言」と捉えたマスコミが主導して叩いたとも言える。
 
 事ほど左様に、言葉尻を捕らえて報道したり、端的な言葉だけを抜き出し、前後の文脈を無視した報道が多く見られる。しかし、である。某党の暴言系は、ほとんどといっていいほどスルー、もしくは扱いが低調である。
 ご存知前官房長官の、長官時代に言い放った「暴力装置」発言。これなど、ほとんどといっていいほどマスコミに取り上げなられなかった。それは自衛隊がいまだに日本の国内にあって微妙な立場にあり、国民から全幅の信頼を勝ち取っていないから、こういう貶める発言が出てきても国民の側が声を上げることもなく、また、マスコミもそういう風潮を察して、長官を追い落とすような空気を醸成してはなるまいと、報道をしなくなっていくのである。あの、漢字読み間違い/カップめんの価格を知らない程度で叩きまくった、あのマスコミと同列といえない事例とも言える。

 今のマスコミはどういう姿勢になっているのか、を示すうまいたとえ話があったので抜粋させてもらう。
 →テキサス親父 公式サイト(ついに来日もされるそうです)
  <以下抜粋/読みにくいので改行を一部省略>
   これは、やり過ぎたなぁ〜と、反省したマスコミは、現在は、虚偽ではなく捏造報道に軸足を移しています。
   たとえは、赤ずきんちゃんと言う物語で、赤ずきんちゃんが、
  オオカミに食べられた所だけを報道したとしましょう。
   視聴者は、
  「赤ずきんちゃんは、オオカミに食べ得られて死んじゃったんだ。可愛そうに」 
  となりますね。
  これが、今のマスコミの偏向報道なのです。
  まず、マスコミは、この報道は、事実だと言います。
  実際に起こった事ですので。
  意図的に、前後を全く報道していません。また、結果も、報道していません。
  しかし、報道されたところだけ見ると、
  「赤ずきんちゃんは、オオカミに食べられて死んじゃったんだってよ」
  になってしまいます。
  この物語は、実際には、オオカミは、お腹を切られて、中に石を詰め込まれたことは、ご存じですよね。
  こうして、マスコミは、国民を騙し続けているのです。

 編集という「禁じ手」がマスコミにはある。どうとでも作り変えることができるのである。正しく報道しようとはこれっぽっちも思っていないに違いない。いまだに政府・民主党を守ろうとしている雰囲気が見え隠れする。民意を代表しない党とまるで一蓮托生のマスコミ。テレビも新聞も、正しく事実を報道しようと言う、正義感に満ちて仕事をしている人は数少ないのではないだろうか?

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