第16回  中国:2つの正論

 震災と空き缶のことばかり書いているといわれかねないので、今回はちょっと毛色の違う話をしてみたいと思う。
 お題にするのは、『遅れてきた巨人』、中国である。

 表題には2つの正論とした。いまの中国を考えるとき、この2つは切っても切れないものといってもいい。このことに異論をさしはさめる人はいないと断言できる。
 まず一つ目は、『中国は共産党の独裁によって成り立っている国家である』ということだ。共産党独裁が中国国民に与えている影響は計り知れない。端的な例で言えば情報統制である。某国のタブロイド紙などは、特定の政治家や、政党をヨイショするなど偏向するだけしているが(その応援相手の政治家だが、どうも贈賄側がお金を渡したと裁判で証言してしまった・・・南無)、そんなところの騒ぎでないのが中国である。インターネットは自国の都合の悪いねたが書き込まれていれば閲覧に制限がかかっているし、そういう投稿も即座に消されている。テレビでも、海外から送られてくるニュースには『生放送』はなく、検閲がかかって放送されている(都合が悪い部分はブラックアウトしてしまう)。政権批判がほぼ自由にできる(といっても、対抗する法案が出たとか何とか・・・)日本とは大違いである。
 二つ目は『そんな国だが世界2番目の超大国』という疑いようのない事実である。あの、天安門広場を埋め尽くしていた自転車の大洪水は、今や自動車の氾濫となり、各地で考えられないような渋滞を巻き起こしていると聞く。当方は、中国がやがてそうなるとしても、日本のように、『全体的にかさ上げして国家として成長していくから、伸びも緩やかだろう』と考えていたが、沿岸部の土地価格の高騰によるバブルが完全に成長速度を速めてしまった。インフラが追いつかない状況となり、とうとう自動車購入に抽選制度が取り入れられる事態になっている。もちろん、海側と山側では、すべてが違う。アンバランスすぎる経済状況も中国ならではといえる。
 
 独裁国家が世界の経済を牛耳ろうとしているということが、この2つの論から導き出せる。
 よく、「中国の成長に乗り遅れるな」とか言う経済人がたまにおり、実際に、中国に工場を移転して当時としては安価だった労働力を駆使して安い製品を日本に導入することに躍起になっている、衣料チェーン店もある。先ごろ、実刑が確定し、収監される見込みになった、寵児・ホリエモンも『日本の若者は、中国に行くといいんじゃないですか』などとたわごとを言っている(本当にこの人は、時々、耳を疑うようなことを平気で言ってのける。尖閣問題しかり)。
 しかし、独裁国家であるという社会情勢で、日本の企業が一人勝ちできると思っていること自体がおかしい。だいたい、中国は国家を挙げて日本を敵視し、反日思想に国民を誘導し、あわよくば、ないこともあるかのように装って、罵倒し、謝罪を引き出し、金を無心するというような体質がある。南京大虐殺で言われている、30万人の犠牲者など、どう考えてもおかしい現象であっても、それを堂々と言い放てるのである(詳細は避けるが、一言だけ。通常兵器で、無抵抗の30万人を殺そうと思ったらどれだけ大変か、そして、そんなことを戦の真っ最中にしようと考える軍人がいると考えられる神経がわからない/ただ、小規模の戦闘にかかわる虐殺や市民への被害はあったことはこれも疑いようがないが仮にそれでも桁が違いすぎる)。最初は手招きよろしく迎え入れ、軌道に乗ったら、労働争議やら賃金アップを要求し、結果的に高物につくとわかって撤退させられるときには、技術も何もかも奪われている、という実態は案外知らされていない。

 隣国であり、いろいろな意味でこれからプレッシャーをかけてくるであろう中国。しかし、その実態は、『金だけ持っている無知なる大衆』の巣窟である。そして『中華思想』に毒され、偏屈なナショナリズムを内包したほかとは相容れない厄介な人たちである。とはいえ、技術革新が進み、また海外と交流することも多くなっていく中で、真実を外から見知った人々が増えていくことは、共産党が教える歴史との乖離を生み、確実に共産党の寿命を縮めることにつながるはずである。
 そのとき、中国はどう動くのか・・・。21世紀、中国が世界のキーマンになることは疑う余地はない。


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