第17回  「現場」と反原発

 福島第一原子力発電所の、地震に誘発された事象の数々は、今まで原発を良しとしてこなかった人たちを勇気付けることになってしまった。
 建屋の水素爆発を「原発が爆発した」と喧伝し、毎日のように出される放射能線量の報道に便乗して、危険性を煽る。
 確かに「レベル7」に匹敵する事故が起きたわけだが、瞬時に収束するはずがないので、その間、福島原発は、それこそ「すべての害毒の元凶」のような扱われ方を彼らから受け続けることになる。

 しかし、彼らの弱点は単純かつ明快だ。「代替案の提示がない」ことにある。
 日本の発電総量の約1/4は原子力である(関西電力はやや比率が高い/ほぼ半分)。もし仮に反原発論者の言い分を信じきってしまい、「今の原発、みーんなやめ」と政府が号令を出したとしたらどうなるだろう?単純に考えて国民生活の1/4は不自由になることは間違いない。しかし、現実的に考えると、とても1/4程度で影響が収まらないことは、今回の計画停電でも明らかである。電力供給の大転換を受け入れる覚悟が反対論者にあるとはとても思えない。
 
 原発建設反対といってきた人たちの中には、今回の事故のような破滅的事象を想定していた人も大勢いる。その意味では先見の明があったと賞賛できることなのだが、実際作られてしまってからその言葉を口にしてきたのか、といえばそうではない。現地住民の人たちにしても、反対を言いながら、補助金や職場の創設で懐が潤ってしまったために反対のボルテージが下がって行ったのは間違いない。

 今必要なのは、管理していた東電をバッシングすることでも、無能で、邪魔ばかりする政府の不手際を糾弾することではない。もちろん、この期に及んで「反原発」を声高に言うのも間違っている。某刑事ドラマではないが、「事件は現場で起こっている」のであり、その現場の推移を見守ることである。原発の是非を論じるのはそれからでも遅くない。

 ちなみに私がリスペクトしている、青山繁晴氏の、福島原発を収めた映像は、衝撃的でもあると同時に、ほぼ2ヶ月が経とうというのに、ほとんど手付かずのままの場所が散在しているのを見せられて唖然とした。現場を知ることの重要性を氏からも教わったのと同時に、現場を知らないでとやかく言うだけの人たちの放言ぶりに若干殺気を禁じえない。


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