第19回  「人災」=「口災」

 『口は禍の門』という言葉がある。
 『不用意な言葉から災難を招くことがあるので、言葉は慎むべきものであるという戒め。口はわざわいのもと(WEB辞書・大辞泉より)』と、いまさら意味を調べるまでもなく、たいていの人であれば知っている慣用句である。

 ここ最近、自称:日本国内閣総理大臣殿や自称:日本国内閣官房長官、そして自称:せつでんけいはつたんとうだいじん(こいつは絶対自分の置かれた立場をわきまえていない=漢字が読めないと判断したので、すべて以後、ひらがな表記させてもらう/ちなみにトップに書かせていただいた方は、漢字にルビが必要かもしれない^^)の発する言葉に殺意すら覚えるようになってきている。

 その代表例が自称:総理大臣とやらの「原子力発電所の停止要請」である。権力者が穏やかに『要請』といったところでそれは形を変えた『命令』であることは疑いようがない。しかも、一切の根回しや、影響力の算定、経済界への波紋、もちろん決定に至った経緯などをまったく見せず、「俺が止め言うたらやめなんじゃぁぁぁぁぁ」としか聞こえないあの記者会見は、世も末の感すら漂っていた。
 まだある。例の『ODA倍増論』である。そのときの自称:総理大臣の表情は、『喜色満面』を絵に書いたような、気持ち悪いくらいの笑顔。そんなにODAを配ることが責務であり、余計に予算を出したいというのなら、総理大臣の自腹でやるべきである。少なくとも我々日本国民は、ODAを諸外国に渡すために納税しているわけではない。まして、いまだにそれを無心している『世界第2位の経済大国』にまで出す必要はまったくない。
 極めつけは自称:復興会議議長でいかめしい名前の御仁だ。この期に及んで、復興に外国人が必要などと、どの口が言うのだ。本当にこの人は、「日本は日本人だけのものではない」(ルーピー)としたいことがはっきりした。こんなやつが頭で、本当に復興するのか、と疑いの目を持たざるを得ない。
外国人雇用に積極姿勢
 被災地の農漁業再生−復興会議議長
 政府の東日本大震災復興構想会議の五百旗頭真議長(防衛大学校長)は13日、日本記者クラブで会見し、被災地の農業や漁業の再生に関し、「外国人をどう活用するか。国際的な人材を吸引するという在り方も考えなくてはいけない」と述べ、外国人の雇用を積極的に進める方策を検討する考えを明らかにした。
 被災地は震災前から高齢化が進み、農・漁業の後継者不足に苦しんでいた地域が多く、五百旗頭氏は「気が付いたら担い手がいなかったということでは困る」と指摘。外国人労働者については「社会を支える人だと分かれば、永住していただく、日本人になっていただくということを考えなくていいのか」とも語った。(ブログ 夕刻の備忘録  より抜粋)

 出した言葉は戻らないともいう。話せば話すほど、人としての底が知れる、威厳もヘッタクレもない民主党の面々、そしてそれにまとわり付く人間たち。今起こっている人災といわれることの大半は、同心円にせよ、被ばく線量にせよ、一時帰宅にせよ、原発停止にせよ、すべて誰かが言っていることが原因である。そこにあるのは「言ったもん勝ち」「権力をかさに来た言動」であることしか見えてこない。秘密裏に何でも事が運ぶというのはいささか危険であるが、国の中枢にいる人物が何かしゃべるたびに国益が毀損していると感じるようになっては、もはや口が災いの原因ではないか、と言っても決して言い過ぎではない。

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