第33回 9月2日に就任とは・・・
2011年の9月2日、並み居る競合をなぎ倒した、野田新総理の組閣が行われ、お披露目となった。
よくよく見てみると、新聞で一時当確といわれていたフランケン岡田の姿はなく、せつでんけいはつたんとうだいじんをやっていた女性は今度は「ぎょうせいさっしん・こうむいんかいかく」とかいう、二つのことをしなくてはならない大臣に就任、どう見ても経済通でない元アナウンサーが財務大臣になり、連立してますよのポーズ丸出しの自見氏入閣など、本人曰く「バランス重視/適材適所」といっているようなのだが、一本筋の通った人はどこにもいないように見受けられてしまった。
中でも一番の「アキレス腱」になりそうなのが、玄葉氏の外務大臣起用である。
早速中国は「外交実績ゼロでくみしやすい」とこの起用にエールを送っている。全く、他国に外務大臣のことをとやかく言われるのもどうかしているが、今や、中国にとっては日本の政治の混乱は、おそらく野次馬感覚で見ていられるのだろう。そこまで言うなら民主的な選挙をしてみてから批判なり迎合なりしてもらいたいものである。
話はそれたが、外交という点で言えば、この9月2日は日本にとっても忘れべからざる外交の一大イベントがあった日である。
1945年の9月2日、と書けばピンと来る人が大半だろう。戦艦ミズーリ上において、時の重光葵全権(外務大臣)が降伏文書への調印を行った日であり、この日から実質的な進駐軍の統治が始まった日でもある。
そう。何の因果か、9月2日つながりとなってしまったのである。結果的に終戦後の日本は、復興を後押しした戦争特需のせいで経済を立て直すことに成功し、現在の地位を築いている。そして、今年の9月2日には、野田首相は「復旧復興を加速度的に進める」と言ってはいる。しかしながら足りないお金はどうあっても「増税」で賄いたいという風に受け取るしかない就任会見をやってのけた。
あと約一週間で東日本大震災から6ヶ月である。津波による被害が大きく、しかも、もう少し軽減されていたであろう福島原発の事故は、いまだに出口が見えない状況である。今までの低レベルの復興スピードが加速度的に速くなっても、せいぜい時速10キロが20キロになる程度だと思う。何しろあの程度で辞めた当の本人は「よくやった」といっているのだ。同じ党の仲間として、こんな人の尻拭いをさせられる野田氏には同情を禁じえない。しかし、もうそんな悠長なことは言っていられない。遊びは終わりなのだ。
そして外交の危機はまたしても顕在化しようとしている。中国のしたたかさに翻弄されるのが目に見えている人材しかいない民主党。やはりこの党では日本のような国家の統治は無理だったのか、と思い知らされて、暗澹たる思いにとらわれてしまう。
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