第34回  隣国のメンタルティー

 今回は、あまり書きたくない「韓国」ねたである。
 ご他聞にもれず、そこまでひどくなかったとはいえ、日本を貶める教育に血道をあげている日教組出身の教師に教わっている40代の親父にとって、「日本は悪い国」という観点は10年ほどまえまでかなり顕著だった。
 しかし、ネットに参入し、教育の偏向性を目の当たりにし、特に「先の大戦は侵略の側面より自衛の側面のほうが強い」という解釈を知るにつれて、教育自体がかなりのひずみを帯びていることに危惧を抱いていた。だいたい、戦争で負けることは仕方ないし、悪い部分もあったかもしれないが、諸外国だってたいがいのことをやっている。日本だけが悪く言われ、それを今の世代にまで引っ張り込もうとするのは明らかに「日本の弱体化」を教育が推し進めていることにもつながりかねない。

 その教育という意味で言えば、小学生レベルの児童に、隣国を貶めるような絵を描かせ、大の大人までもが日の丸を列を成して踏みつけていく韓国の「反日」「侮日」「嫌日」ぶりは、単に民間レベルの憎悪だけで醸成できうるものではない。そもそも、日本と韓国は「併合」という同一国家を一時期形成し、仮にそれが植民地支配であったとしても植民地の人たちに「日本国籍」を与え、国土の発展に寄与したことは紛れもない事実である。あそこまで、ぼろくそに言われることはまったくしていないのである。
 そういうことになってしまった理由については、ご存知「韓国は『なぜ』反日か?」に詳しいのでここでは避けるが、要するにかの国は、日本がちょっとで過ぎたことをすると嫌悪感をあらわにし、窮地に落ちいると、鬼の首でもとったかのように大はしゃぎするのである。

 そして、例の垂れ幕問題である。いまさら「お祝い」もないものだが(6ヶ月以上経っている)、かの国のことわざ「川に落ちた犬は棒でたたけ」ということがそのままずばり出てきた「魂の叫び」なのだと思う。こういう国とまともに付き合わなければならない日本の立ち位置を考えるとき、「もう御免蒙ります」とわが国も言わなくてはならないのかもしれないと思うようになってきた。
 自国は何度となく助けてもらっているにもかかわらず、感謝する気もなく、災害で苦しんでいる他国にパンチをお見舞いする。すべての韓国人がそうではないことも承知だが、教育のレベルからして日本に敵対心を持っている国とまともに付き合えるはずがない。
 なんでもウォン安で、実際韓国経済はやばいらしい。お人よしでなおかつなぜか「お友達」と認識している某政党が政府を牛耳っている今、かの国からのSOSはいともたやすく受け入れられるだろう。それで日本が救われると思っているおめでたい連中の今後に注目した。
 

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