第37回 仕分けの意味を考える
どうも、今の与党である「民主党」とか言う政党には、「仕分け」という意味がわかっていないか、もしくはそれと知ってて仕分けをしているのか、と思う部分が多々見える。
仕分けというと聞こえはいいが、要するに無駄かどうかを「議員という素人」が「官僚という玄人」に意見をして、有無を言わせずやめる/縮減するを決めているものである。
議論は尽くされているように傍目には見えるが、確実に「予想外の展開」を迎えている仕分けの場面はありえない。それがあれば、マスコミはそれこそ「これでこそ仕分けだ」と大手を振って報道しまくるからだ。
つまりは、「予定通りの結末」。こんな予定調和の、芝居じみた仕分けなど、見たところで、何の役にも立たない。
それどころか、またしても、スーパーコンピューターにいちゃもんを付ける、たわけた議員(仕分け人/階 某とか言う)がいるというから、驚く。
たまたま彼のいっていることを収めた動画(ニュース映像であり、元はTBSが報じたもののようだ)があったのだが、2分半強の動画を見て思ったのは、「雁首そろえて、そんなに一番が憎たらしいのか」ということでしかない。
→憎悪に満ちているとも受け取れる表情の彼の動画はこちらから。
ただの一位ではない。世界一位なのだ。どこぞの誰かが「2位ではだめなんですか」ということに発奮して、作られたであろうことは察しがつく。仮に仕分けの女帝がそんなことを言わずとも一位を取るべくして取れたかもしれない。
「当初の設定とは異なる方式を採用した、これは失敗ではないのか」とか、「反省すべき」とか、まるで大損害でも与えたかのような物言いである。これでも仕分け人が務まるのである。
そもそも、評価しようとしていないことからして胡散臭い。「無駄遣い」を追求するはずなのに、結局「一位を取った過程が気に入らない」ということに論点が摩り替わってしまっている。むかつかないほうがどうかしている。
マア、その分野に素人の議員が、文字面だけ追ってそこそこの評価ができれば、強制力はない仕分けだけに、官僚諸氏も猿芝居の片棒を担いでいるような印象を受ける。
どちらにしても「ポーズ」で「ショー」としか受け取れない仕分けなど、やることの意味がわからないし、あえてその題材にスーパーコンピューターを選択する神経がわからない。
そんなに一位になるのがイヤなら、さっさと下野して万年野党でい続ければいい。次に仕分けられるのは、確実に、仕分けている「ヒトモドキ」である。
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