第4回  「現場」の大切さ
 
 インターネットが普及を始めて、ほぼ20年近くになる。それまで一般市民が情報を得ようと思ったら、テレビ/ラジオ/紙媒体のいわゆる「マスコミ」に頼らざるを得なかった。無論、それらが「正しい情報を発信している」と信じて疑っていない層にとっては、いまだに有効な情報源であり、そしてほぼ鵜呑みにしてしまう危険性をはらんでいる。
 しかし、インターネットの存在は、そうした「お仕着せ」の、「正しいかどうかわからない」情報を検証し、もしくはその脆弱面を打ち壊し、あるいは「捏造である」と看破することでいまや別の意味での「正義」を振りかざそうとしている。

 とは言うものの、恣意的な動きがネット上でもないとはいえない。どだい、「すべてに公平・公正」に論じることなど、どんな媒体でも不可能である。逆に今頃になって「既存マスコミは偏向している」などとは、気付くのが遅すぎるといわざるを得ない。
 しかし「事実」は変えようがない。事実を論じることにまやかしや演出があってはならない。何の謀もないから、あの東日本大震災の映像は、どれを見ても空恐ろしく、虚脱感に襲われるのである。

 別に小生はジャーナリストを目指したりしようと思ったことは一度もない。むしろ、元新聞記者の知り合い(かなりの年上)がいるにはいたが、「ああいう輩にだけはなりたくない」と思ったほどである。
 ただ、真実/事実を知りたいという欲求には貪欲であった。その思いが沸き起こったのは、社会人になってからだったと思う。とにかく、思っていたこととのギャップが激しすぎることに気付いたのだ。
 それからというもの、知りたい/おかしいと思ったことは調べる癖がついた。ネットが身近になった昨今はとくにその思いが顕著になっている。一日としてググらない日はないといっていい。

 その私が現場として訪れることにしたのは「白梅の塔」である。
 沖縄戦の苛烈なることは、記録映画などでも見知っていたし、もちろん、ひめゆりの塔に代表される、うら若き女性の従軍看護隊(といっても本職ではなく、学生が無理やり救護隊にさせられたもの)のことはうっすらとは知っていた。しかし、ひめゆりの塔が、あまりに美化され、一種観光スポットのような扱われ方をしているのとは対照的に、ほかにもいた学徒看護隊の扱われ方のギャップというものが正直信じられなかった。
 勿論この塔の存在を知らしめたのは、一人の憂国の士である(青山繁晴氏)。記者時代の原体験が、彼を毎年の慰霊祭に向かわしめることもあるのだろうが、彼がこのことを話題にするたびに、「一度は沖縄に行かれたら、白梅の塔にいってみてください」というのだ。
 なぜこの人はことさらにこのことを言うのだろうか?浮かんだ疑問を確かめるべく現地に向かったのである。

 カーナビや詳細な地図がないとたどり着くのは難しいかもしれない。そんな場所にその塔はあった。分かれ道に看板がなかったら通り過ぎていても不思議はない。
 たどり着いた場所は、本当に慰霊塔と、その近くにある納骨堂、それだけがあるだけだった。勿論、訪れていたのは私一人だった。
 私は、やや重い足取りを確かめるように塔に近づき、一礼し、付近を探索することの無礼を謝した。向かって左に古びた、旧来の白梅の塔を見つけて身震いした。後ろに回って「散りてなお 香りは高し 白梅の花」の句を認めて、私利私欲なく、命終わらせなくてはならなかった15歳前後の彼女たちと、今の同年代の女性とがオーバーラップしてしまい、言いようのない感情にとらわれてしまった。
 去り際にもう一度一礼したが、あのときの感情は、正直、書くことも、口に出して言うこともできない。ひとつはっきりしていることは、「ここに来て良かった」と思ったことである。

 もはや多くは語らないでおく。しかし、気になる現場は行っておいて損はない。いや、むしろ時間を作っていくべきである。あえてあの映画を引くまでもなく、「現場」こそが大事なのである。


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