第6回  戦争は終わっていない…
 
 今年・2012年は、第二次世界大戦/大東亜戦争が終わって67年目に当たる。
 そう。すでに半世紀を上回り、いわゆる還暦(60年)すら越えている。原爆、空襲、沖縄戦・・・。日本はこれでもかといわれるくらいに痛めつけられての敗戦だった。
 それでも、植民地だった当時のアジア諸国は、日本軍の華麗なまでの活躍に目を丸くし、その後確かに撤退はするけれども、独立を勝ち得るひとつのトリガーになったことは間違いない。
 中韓を除き、日本の侵略といわれる行為がかの国では、それほどひどく言われていないのには、そういうわけがあるからである。

 わたしもこてこての戦後派であり、むしろ「戦争反対」とばかりに、やや左傾化してしまった時期があった。「ああ、日本って結構残虐なことをしてたのね」と印象付けてしまったのがいわゆる南京事件である。
 数字だけで見てみると、恐ろしい。なぜか当時の南京市の人口より多い30万人だというのである。何しろ、新兵器でもある原爆2発分より多い人間を殺したというのである。しかし、よくよく考えてみるとこの数字自体に疑義が生じるのだ。30万人が整列でもして殺されたとでもいうのだろうか?これだけの人間の大殺戮を行ったとするなら、当時の新聞はやんやと書きたてるに違いない。大混乱をきたしている状況など、従軍記者から報告があってしかりである。しかし、それはない。また、ほかの占領した都市では虐殺がないことはわかっており、南京に向かった隊だけが牙をむいたと考えるのには無理がある。そもそも、それだけの人間を殺したという公式文書はどこにもない。被害国である中国にないというのもいささか腑に落ちない(なんか、鉄壁の証拠があるようなのだが、それがそうなのだろうか?)。
 もちろん、無血開城ではないのだから、多少の戦死者は出ているのは当然である。通常の戦闘で出た戦死者の数を膨大に言い募った結果がこうなったのかもしれないし、又、虐殺的な行為自体が数件あった事が捏造されて30万人の死者に生まれ変わってしまったとも考えられる。いずれにせよ、短期間の間に30万人を死に至らしめようと思ったら、よほどの兵器でもないと難しいことは明白である(ほかにも死体の処理問題などもある。あったことよりなかったことを指し示す資料のほうが多い)。

 この点を河村市長はついたことになる。誤った歴史は改めなければならない・・・かの、パール判事(東京裁判のときのインド人裁判官)の言葉を借りるまでもなく、事実でないことには声を上げるべきである、という考えの発露といえる。
 しかしあいも変わらず政府は及び腰である。確かに戦争には負けたけれども、精神的にまで敗れる必要はまったくない。むしろ「ないことをあったことのように/わずかな死者数を膨大に捏造する」ことの間違いを指摘するほうが建設的であるし、市長も言っていた「とげのようなもの」を除去する一助になることは疑う余地はない。正々堂々と論議を戦わせる必要があるだろう。
 日中戦争−−支那事変というのが正式名称らしい−−は、正直今でも続いている。今回の河村市長の発言が、プラスに出ることはなかなかないかもしれないが、日本の「国」として、この問題を中国の言いなり/根拠のない数字に惑わされないような「結論」を出すべきときが来ているように思う。

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