第20回  何とかの一つ覚え
 
 何でも、ここ最近、毎週金曜日になると、首相官邸を囲んだ、原発稼動阻止や反原発を趣旨にした集会的なものが催されているようだ。
 さる7月16日には、代々木公園で、反原発の大集会(主催者サイドは17万といっているが、警察発表は7.5万。総じて左翼系の集会の主催者発表による参加者数は水増しされるのが通例のようだ/沖縄の基地反対集会などが好例)が開かれ、著名なミュージシャンの「たかが電気」発言も飛び出す、かなり方向性に「危ない」ものになってきている。発電の方法論から、とうとう「使う側」にまで問題が飛び火していくような風向きだ。

 「命を守れ」とか声高に言ってはいるが、くどいようだが、福島原発事故では、あの爆発によってですら、直接的な死者はでていない。ましてや、降下した放射線量は、確かに原発が存在していない地区に比べれば大きくかけ離れているが、事態が収束に向かう中で、除染や除去さえできれば、ほとんど変わらない地区も多いはずである(年間1ミリシーベルトという厳格な基準値を使っているうちは、申し訳ないが、十分に命を守っていることにもつながるわけで、原発=死神的な言われようはさすがに承服しかねる)。
 そして何よりも、こういう集会の特徴は「原発NO」としか言わないことである。その結果がどういうことになるのか、代替エネルギーはどうするのか、それによって失う国富はどうでもいいのか、他国の原発に同じ主張を訴えかけないのはどうしてか・・・。日刊スポーツの記事を読んでみたのだが、わざわざ大阪から朝一番の「新幹線」で来た人にインタビューしている。新幹線が、ディーゼルで走っているのなら文句は言わないが、あなたが忌み嫌う原発で作られた電気で走っている可能性がいくらかはあるのである。あえてその集会に交通費まで出し、原発反対を述べる姿はこっけいすぎる。

 彼らの主張が、本当に「国家国民を思って」言っているのかどうかは定かではない。ひとたび事故を起こせばこうなる、というだけのことであり、もっともっと厳重に安全対策を採り、極論すれば、出力の大きな原発を数個作るだけでまかなえるようにするなどの対策を採れば、たちまち日本は復活できる。原発無しで済ませられると思っている彼らは、本当は、未来の日本がどうなってもかまわない(某歌手といい、左巻きの著名作家といい、余命いくばくもないから、こんな荒唐無稽なことを言い放てる、と考えれば納得行くのでは?/事実歌手の場合は海外在住w)、と思っての発言だろう。

 彼等がわあわあたわごとを言っているだけで、何の生産性もない。それを使う手立てはないものか、と思って調べてみると、「振動発電」という技術があることを知った。
 →歩くと光る床、とかに応用されている。消費電力の少ないLEDの点灯くらいならできるはず。いくつか実用化もされている。開発会社のコメントをどうぞ
 7.5万人もの人が集まれば、一人ひとりの発電量は小さくてもいいパフォーマンスになるはずである。「ああ、反対反対ばっかりじゃないのね」と振り向かせることだって可能だ。勿論そんな微々たる発電が社会にまでまかなえるはずもない。
 それすら出来ずにただ反対。なくせ、減らせの一点張り。何とかにつける薬はないようだ。
 
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