第28回  市長が見る「死兆」
 
 「日本維新の会」なる政治団体を旗揚げし、その代表に収まった橋下徹大阪市長。ここ最近のマスコミの取り上げ方は、半ば異常とも言えるような、持ち上げ方に終始しながらも、国会議員と市議会議員との「温度差」を突っ込まれて軋轢が生まれているように報道されるなど、一概にもろ手を挙げて賛成という感じには報じられていない様子である。

 実際、会派に賛同し入会したのはどの顔ぶれを見ても貧弱そのもの。まあ、ここ最近の政治が巨大な案件を次々にこなしてきているような、筋肉質な政治になっていないうえに、ほとんどが民主党出身の、次公認が得られるかどうかも分からない泡沫議員の寄り集まり、ともなれば、マスコミのトーンダウンもむべなるかな。松浪氏の勇み足も、結局は、「橋下氏」そのものについていくわけではない、ということを露呈したとも言え、代表を一種揶揄したような発言をしてしまうような、程度の低い議員の集まりと見られていることは間違いない。

 慌てて引き締めにかかる橋下氏。しかし、報道はされているものの、どことなく冷たい印象で、「ああ、なんか何とか維新が会合開いたみたいよ」というような、アリバイ作りに報じたように感じられる向きもあった。

 もはや市政そっちのけになっていると見て間違いない橋下氏。当然、大阪市民は、そんな、国政に色気があり、いずれは投げ出すことになる人を選ぶために、彼を当選させたわけではないはずである。私自身は大阪市民ではないが、同じことを現在の居住している市長がしようものなら、即座に退陣を要求するところだ。だいたい、国政と市政が両立できるほど、政治は甘くない。いや、そんな風に政治を甘く見ている段階で、この人は政治家失格である。どちらかが片手間になることは必至で(仕事の配分を50:50にすることなどできるわけがない)、それは大阪市民にとって、重大な背信行為である。くどいようだが、「国政に出るかもしれない」人を選んだつもりは、ほとんどの大阪市民は考えてなかったであろう。

 知事から市長の鞍替え、という部分も、国政目当てだったのか、と考えればかなり腑に落ちる。知事が会派の代表になるのは、さすがに気がひけたのであろう。表向きは「組合組織の解体」を謳っておき、いろいろ改革していると見せかけて、収まりがついたら出て行こう、という算段。確かに計算高い彼ならではの策略である。
 しかし、やはり「政治は人ありき」で動くものである。幹がしっかりしていても(見た目はそうかもしれないが、主張はあんまり感心できない)、支える根や枝葉がああも見栄えがしないのであれば、来るべき総選挙でさしたる成果も挙げられないであろう。何しろ、「革新」という言葉がどこぞの政党のおかげで有名無実化してしまっており、「改革だの、革新だの言う人は信用ならない(たいしたことない/何も出来ない)」ことがこの3年間で分かってしまっただけに、「維新」も同レベルだと論破されるのは時間の問題だからである。

 漫画「北斗の拳」では、死に至る人には、北斗七星のそばに光る「死兆星」というものが見えるらしい。そして、その死兆星が見える人は必ず死を迎えるのである(見えていながら死ななかった人物もいるが・・・)。橋下市長が見上げる政治の夜空にその星が光り輝いているような気がして仕方ない。

 
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