第4回  入試中止は「終わりの始まり」
 
 21日にどういう結論を出すか、と思われた、大阪市の教育委員会。報道陣にも公開されたが、5人の委員のうち、教育長を除く4人が入試中止に賛成、結局市長の思惑通りの結論となった。
 そりゃぁ、思うとおりの決定が下されたのだから、本人はご満悦。「どっちにしても俺は関係ないからネ」といわんばかりの饒舌ぶりに、こちらとしてはむしろ腹立たしささえ覚える。

 例えば、決定が下される前段階として、市長自ら、高校に趣旨説明しに行っている。この場でも、在校生からは処分の撤回を数名から提案されており、本人としては「受け止めた」と言ってはいるものの、いったんこうと決めたらそう簡単に翻意するはずのない御仁。「生徒の意見も聞いた」というアリバイ作りに生徒たちは利用されたに他ならない。
 また、いろいろと暴言や極言も飛び出している。いわく「死んでない分、生きているだけで丸儲け」だの、「1年我慢してください」だの、「受け入れ態勢が出来ていない」だの・・・。体罰、というより暴力教師のせいで生徒が自殺したことと、今年入試して当該高校に入ろうとしている生徒にどんな因果関係があるというのだろう?そもそも、この教師に対する処分や、実名などは一切報道されていない。別にそんなことは知りたいとは思わないし、犯罪者扱いしようと思っているわけではないが、反省の意思が市側にあるとは言いがたいから、加害者の立場を慮るような姿勢(隠蔽、擁護)になっているのである。
 その点を衝いているのなら市長の言い分も理解できる。しかし、ことは、今年しか経験できない、一回こっきりの中学三年生の受験である。確かに志望者は200人程度で、「大勢に影響ない」といったら言い過ぎかもしれないが、この200人超の人生が大なり小なり変わる、又、「市長のせいで」変えさせられると思っている受験生はかなりの数いるはずである。

 世の中には、こういう高圧的な物言いをしている人が「正義」と思っている人も大勢おり、あのオカマ崩れの教育評論家なども市長の擁護に回っている。しかし、何度も言うようだが、生徒の自殺/教師のいじめ/学校の体質を論じることと、入試を取りやめることに結びつくものがまったくないのである。粛々と入試をやり、問題があるのならそれこそ新入生と市長が一丸となって大好きな、高校の「改革」をやればいいのである。又、「いったん普通科に入ってもらう」なんていう、まやかしの妥協案なら、最初から普通に試験をさせればいいわけで、そのあたりにも「どこを向いているのか」といわざるを得ない。

 今まで、声なき声をさんざん無視しておきながら、それに対する反省や、改善を表明せずに入試中止という「斜め上を行く」決定。しかも自殺の基になった体罰/暴行は、あの市長が全国遊説を盛んにしていたころと合致する。ご自身のお子さんに同じような事案が降りかかってきても、この人は「これは仕方ないですよ」と達観した物言いが出来るのだろうか?口を開けば開くほど、政治家としての資質が崩壊していくこの市長。「維新」の屋台骨の強行度合いは、終わりの始まりのように思えてならない。


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