第5回  体罰論
 
 一高校生が自殺によって投げかけた体罰/度を越した暴力というものが、波紋を広げている。彼の「死」というものはまったく持って無駄になっていないし、いいきっかけになったと思う。

 さて、当該高校の入試問題では、「体罰と入試には相関関係がなく、入試中止は暴挙」的な書き込みをさせていただいたわけだが、その考え方はいささかもぶれていない。死人に口なしなので、本当の自殺の原因は分からない。体罰だけではなく、キャプテンを辞めることで自分の進路が閉ざされることへの絶望が生み出したものかもしれないわけで、直接的な原因でない可能性すらある。度の過ぎた暴力にも等しい行為自体が常態化していたはずなのに、それを今まで改革することもなく18年も同一教師を勤務させ続けた教育委員会とその監督責任者である市長が急に「入試中止」というのは、おかしな話である。
 高校の状態が正常でないから、「入試中止にしたのは正しい」という意見も理解できなくはない。ただ、中止決定で、在校生のプライドも何も叩き壊され、特に今体育科に属する生徒たちの心情やいかばかりか、と思う。こういうところにまでケアできて初めての教育委員会であり、決定を後押しした(予算執行をちらつかせて恫喝した)市長のやるべきことなのだと思う。中止にするのは簡単だし、対処療法としては即効性はあるが、そこまで踏み込んだ結果の「中止」とはとても思えない。

 そこへ降って湧いたのが、女子柔道代表監督のパワハラ/体罰問題である。
 確かに指導法に関して間違っている結果がメダルに表れているはずであり、その部分からするとこの監督の留任こそ、柔道界が抱える人材不足を露呈していることにほかなならない。だから、選手たちは「もうたまらない」と訴えでたのであろう。
 申し訳ないが、この件については「どっちもどっち」であるといわざるを得ない。指導者も未熟なら、アスリートとしても未熟。愛の鞭なる言葉すら理解できない・・・もっとも、この監督の場合は、これまた度が過ぎているといわざるを得ないが・・・人たちが、訴えたところで、どれだけ改善されるというのだろうか?
 早速、「メダル激減の元凶は指導陣にあり」なる論調も目立ってきた。監督の首を挿げ替えればメダル量産?そんなに世の中甘くはないし、又腫れ物に触るような指導で、選手の心を揺り動かせるかといったらそんなことはないと思う。

 当方は「度の過ぎた」体罰は暴力であると認定している。手を上げないで育成できればそれに越したことはないし、又指導者としてもわからせるために手を上げることは本来したくないはずである。しかし、自身の腹いせよろしく、殴り続けることが指導とはとても思えない。それは指導でも、愛の鞭でもなんでもない。暴力である。この線引きを誰がやるのか、又そんなことが出来るのか・・・。難しい局面に指導者たちは立っている。


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