第11回  沈黙は金
 
 なんか、ここ最近、「三国志」を読んでいるせいなのか知らないが、故事成語の偉大さに感服することしきりである。
 三国志以前に孫子の兵法や孔子の教えなども流布していたこともあってか、物語のなかにはちょくちょく現代にも通じるような含蓄のある文言も記載されている。

 前回では、よもやフランス起源だと思っていなかった「火中の栗を拾う」を元に某市長の口ぶりが止まらないことについて書いた。
 そして、よりにもよって、この金曜日にはとうとうマスコミと丁々発止をやってのけ、囲み終了を宣言するにまで関係はこじれてしまった。
 大体において、この人とマスコミ・・・特に朝日系列とは犬猿の仲になってしまっているのだが、その朝日の記者がとうとうそこまで追い詰めてしまったものだった。
 ところが月曜日になると「どうせ再開するんだから早いほうがいい」と、前言撤回と映るような囲み取材に応じる姿勢。もうこの人が何を言っているのか、分からなくなってしまっている人も多かろう。

 そもそものきっかけはやはり慰安婦関連の発言なのだが、当方は、それを言わされたことや発言内容には深く触れていない。
 その理由は一目瞭然。そんな神経質な題材を囲みのような、時間も何も取れない中でやって、真意が伝わるとは思っていなかったからである。
 結果として、釈明やマスコミの切り貼りを面罵するも、「そうなること」くらい、自身が、編集されるマスコミの番組に出ていたのだから知っているはずなのにそういう発言を熱くしてしまう。
 良くも悪くも愚直なのかな、と思ってしまう。

 反面、真意を受け取れない・・・いや、むしろ「渡りに船」のみんなの党は選挙協力を白紙に戻し、返す刀でこの市長はみんなの党を斬って捨てた。
 「やれやれぇぇ」と、外野は楽しいのだが(わたしもその一人ww)、維新が空中分解しそうになっているのは誰の眼にも明らかである。
 パンドラの箱に手を出した市長。勿論「言いたいことは山ほどあった」にせよ、完全に炎上してしまった今回。しゃべらなくてもよかった内容だけに「黙っていたほうが選挙にもプラスだったのに」と考えると、忸怩たる思いで火消ししているさまが目に映る。
 「沈黙は金」・・・けだし、名言である。(このことわざは、イギリス発祥/沈黙は金、雄弁は銀が正式なもの。)

 
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