第19回 「恨」(ハン)を忘れない民族の末路
1945年8月15日。前日に受諾したポツダム宣言に基づき、戦争終結の詔が発せられた日である。
第二次世界大戦は、日本とアメリカが主戦だった太平洋戦争、ドイツ・イタリアが連合国とやりあった欧州戦線、日本と中国がなぜか戦火を交えた支那事変など、その戦闘範囲はただのヨーロッパでの小競り合いだった第一次世界大戦とは比べ物にならないほど大規模だったのは言うまでもない。
勝負に負けた・・・それも原爆まで落とされる、屈辱的な敗北を目の当たりにして、その当時を生きていた人たちはどんなにつらい思いをしただろう。又、国を護る為に戦地で散華した人たちはどんなにこの結末を悲しんでいるだろうか・・・。その当時の人たちに思いを馳せ、戦争を美化するのではなく、戦争が起こらない世の中の実現をするべく、英霊に誓う場所こそが靖国神社であり、お参りする事が好戦的であるというのは余りに短絡的過ぎる。しかも、そういうことを言うのが、毎度毎度「歴史認識がーー」というお隣の外国なのである。
そういうお言葉を出す韓国の場合、第二次世界大戦当時は、「日本」として戦ってきた、同胞だったはずである。それが、日本からの独立を勝ち取った瞬間から「連合国民」だと詐称をはじめ、挙句には日本が統治してきた時代のことを「日帝36年」と、まるで植民地か、奴隷国家かのように扱い、日韓基本条約が締結されてから以降も、国技、とまで揶揄される、謝罪と賠償を要求することばかりを言い続けている。
確かに日本は戦いに敗れたとはいえ、精神的にまで負けているわけではなかった。だから、原爆の加害国でもあり本来ならば「1000年どころか未来永劫恨んでも飽き足りない」はずのアメリカと共同歩調を取ることを選択。今や日本国内で「原爆の謝罪と賠償を」日本政府に求めることはあってもアメリカに恐れながら、と訴え出てくる人は皆無である。それは、国際的にいろいろと取り決めがあるということを理解しており、又いまや日米は切っても切れない間柄になっている(アメリカを恐れさせた、特攻攻撃は、『こいつら怒らせたら、相打ちも辞さないんだ』と思わせることに成功した、先人の崇高なる精神の賜物である/つまり特攻が国体の維持のみならず、日本のそのあとの行く末をも決定付けたところは興味深い)ことも影響している。そこに恨みの文字はない。
ところが韓国はといえば、何かにつけて金と謝罪がセットになる。謝罪=自分が上に立てると曲解し、無心すればいくらでも出してくると味をしめた結果がこれである。ところが、日本国としても「彼らに恨まれることはした覚えがない」のである。強いてあげれば、日韓併合だが、これとて【反対派】だった伊藤博文を暗殺したテロリストが推進を後押ししたという事実があるわけで、そういうバックグラウンド・・・歴史を知っているのならば、到底出てこない言葉である。
それでも彼らは、日本がしてきたことには何も触れず、「日本に領土を犯された」「慰安婦は強制だった」などなど、未だに恨み節を重ねている。こういう国の大統領が「未来志向」と嘯いても、何の効力も、説得力もないことは明白だ。むしろ「1000年恨む」と言ってくれたほうが気分が楽である。付き合わなくて済むからである。
韓国にここまで恨まれ、蔑まれる日本。国会議員が靖国で行動を起こそうとするなど、理性や理屈で分かり合えなくなりつつある。こういう行為がどういう結末を招くのか、理解してやっているのだとしたらビョーキである。
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