第3回  どうも最後の一文を読んでない人がいる。
 
 今、テレビでやっている、ほぼすべての番組に関して、注意喚起のテロップが流れないものはないといっても言い。
 いい例が「※絶対にまねをしないでください」と言うようなテロップ。ここ最近は、演出上のせいもあってこの文字は意外に小さく書かれているが、バラエティー番組だから、ちょっと危険なことでもやってのけてしまうだけのことであり、相手は金儲け。
 一般人が逆に何の見返りもなく危険な行為をするはずがない。そこには、「こう書かないと真似して死なれたり怪我したときに困るから」と言う、よく言えば予防線、別の言い方をすれば視聴者を小ばかにしたテロップなのである。

 さて、皆さんご承知の通り、ドラマの最後には、結構長めのテロップが流れていたことはご存知だと思う。
 ニュアンス的にはたいていこうである。
    「このドラマはフィクションです。登場する地名・人名・団体名などは架空のものであり、実在のものとは一切関係ありません」 
 ところがここ最近のドラマでは、短く「このドラマはフィクションです」でとどめている場合が多い。
 理由は簡単で、この一文だけで、以前の長めの文章の意味を含有しているからである。辞書で調べるまでもなく、フィクション=fiction とは架空の出来事をあたかも現実に起こったかのように描くことであり、だから、日本では、毎週のようにあちらこちらで殺人事件が起き、それに対峙するイケメン刑事が、あるいは検事が、タクシードライバーが(爆)活躍するのである。

 そう考えると、「明日、ママがいない」もそういう、フィクションの範疇を超えているとは到底思えない。確かに現実にありそうだ、と言うより、現実にある事柄を題材に持ってくることは慎重にしなくてはならない反面、現実と架空の出来事を一種渾然一体化することによって化学反応を期待したのではないか、と思うのである。
 ドラマとしてではなく、ドキュメンタリー的に見てしまっている人が多いのかな、とも思うし、それだけ臨場感のあるドラマなのかな、とも考えるが、スポンサーまでが下りる事態になってしまっていることは、正直言ってちょっと残念である。
 →産経bizより。

 問題提起をしたという部分では、希代の名子役・芦田愛菜嬢の演技がクローズアップされつつあり、「家なき子」に次ぐ、子役が牽引したドラマと言うことになると思われる。しかし・・・。絵空事、こんなことがあろうはずがない、と言う風に見ていられない人たちが増えている現状は、現実と映像の区別さえ付かなくなってしまっている人たちが激増していることの表れではないかと思う。
 もし「こいつはおかしい!ありえないっ」と思ったら・・・。最後の最後の「このドラマはフィクションです」を思い返していただきたい。テレビに関しては批判的だがこの件に関しては、過剰に反応しすぎている人たちに頭を冷やしてもらいたい。

  
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