第6回  信じるものが救われない悲劇
 
  2014年4月16日の白昼に起こった韓国での客船沈没事故では、関わった誰もが恐ろしいばかりの喜撰な態度や行動をとるという、前代未聞の「国辱」的な事故にまで発展しつつある。
  →2014.4.22時点のまとめ記事。ちなみに、このまとめでは、ニュースソースも見られる。そもそも「こんなことがありましたの報道→嘘でした」が多すぎるのは致命的過ぎる。

  それにしても、である。
  船に乗った場合、不測の事態が訪れたときに頼るのは船員であり、船長その人である。もちろん、本来であれば、そういうことは起こらないのが普通であり、かの国の高校生諸君も無事に航海を終えられていたことだと思う。
  だが、乗った船がとんでもない状況で出港したことなど乗客は知りようが無い。過積載しかり、未熟な航海士が舵を取っていたことしかり、基礎的な荷物固定も省略していたことしかり。そんな状況であっても、「船の中にいて」と言うアナウンスをしたのは、自分たちがいなくても助かる、と言う間違った判断が影響していると思われる(それにしても、完全に水没しかかっている状況で脱出している船長の写真を見るにつけ、怒りがこみ上げてくる)。

  船長の言うことを信じたばっかりに船に閉じ込められて若い命を散らせてしまった高校生。逆に「そんなことまともに聞いていたら!」と独自の判断で脱出した人は、命冥加があるというよりも、「根本的に人のいうことを信じない」人だから助かったのだと思う。ここに強烈な矛盾が生じるのである。我々は、子どものころから、「大人のいうことは信じなさい」「先生の言うことを信じなさい」と言う具合に、目上の者/上司の命令は聞き、そのように行動するものであるという刷り込み・・・一種の「洗脳」を施される。その結果、社会はたいした混乱も無く、日常がスムーズに回っていくのである。
  ところがこの韓国の事例は、「人のいったことの反対をするのが正解である」と言う刷り込みをも含んでいる。こうなると、社会道徳の規範や規則といったものが意味を成さなくなってしまう。モラルハザードの局地にある状況だ。船長をはじめとする乗組員がむちゃくちゃしたおかげで国全体が「何を信じればいいのか」と言う苦悩にまみれることになる。

  事故からほぼ10日。幸か不幸か、ほぼ全員が船内に閉じ込められているため、遺体が外洋に流されることも無く、船内で続々見つかっているのはいい傾向である。さすがにもう生存者はいないと断言できるのだが、船長と言う人殺しの言うことを聞いてしまったことがあだとなった高校生たち。事故にあって生還した生徒たちも、果たして、これから大人や政治家たちの言う言葉に正しく向き合えるのかどうか、不安になって仕方ない。もちろん、その過程で、反日っておかしくネ?と言う疑問が生まれて政府の言っていることがすべて間違っていることに気づかないとも限らない。やはりかの国では「人のいうことは信じない」と言うのがデフォルトとしてはやってしまいそうで、怖い・・・。



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